第356回 セレンと南海の魔獣《マギィクエェト》(下)(4)
「ねえ、従者って、着替えとか身体洗うのとか、してくれるんだよね」
アートランが驚いて首を振った。
「いえっ! そういったことは侍女でないと!」
顔を伏せた。
「いいよ、あんたで」
アートランがぶるぶると頭を振った。
「あたしがいいって言ってるんだから」
一緒に来てと隣の部屋に向かった。ユニットは窓に面したところに置いてあり、送排水管や電力線が窓側から引き込まれていた。職員が銀色の箱のひとつを開けて、タオルやら敷物やらを出して床に引いたりしていた。
「あんたたち、夕食の支度しておいて」
職員たちが顔を見合わせていたが、小さく頭を下げて、出て行った。ルカナが側に立っていたので、手を振った。
「あんたもいなくていいよ」
ルカナがアートランをちらっと見た。アートランがファリンツェリに気づかれないように顎をしゃくったので、承知しましたと下がった。
ファランツェリが箱のふたにドレスを引っ掛け、ユニットを開けた。
「早く脱がせてよ」
アートランがおずおずと近づき、震える手でオゥバァオゥルの留め具を外した。もたもたとしながら脱がして、引き下がった。ファランツェリが怒ったように口を尖らせた。
「ちょっとぉ、全部脱がしてよ」
下を向いてなるべく見ないようにして肌着を脱がし、下穿きを下ろした。
「付いてきて」
ユニットの中に入っていった。
……鱗を見て、どう思うか。
胴衣とズボンだけ脱いで、肌着と下穿きはつけたままユニットに入った。奥のシャワーの場所で湯を落として、浴びていた。
「洗って」
正面を向いて、恥ずかしがっているアートランに見せ付けるようにした。まだ子どもの身体だ。でも、自分では女の魅力があると思っている。
……ヴァドもこいつも頭が良いんだか、悪いんだか、わからないな。
知識もあるしコォオドを組む能力も高いのだが、考えていることもやることもまるで子どもだった。
戸惑う振りをして、タオルで身体を擦った。アートランにも湯が当たり、肌着が濡れて、透けてきた。
「なに?これ」
ファランツェリがアートランの腕を取って、袖を捲った。肌着を無理やり脱がせた。
「あっ!」
床に倒されて下穿きも引き摺り下ろされ、裸にされた。アートランが真っ赤な顔を伏せた。
「これ……」
……魚の鱗?まさか。
ファランツェリが触れてきた。硬いとわかり、手を引っ込めた。
「なんなのこれ」
……感染症とかなのかな。触っちゃった。
「生まれつきなんです」
みんな気味悪がるので、肌は見せないようにと言われてましたとアートランがしおれて見せた。
「生まれつきなんだ」
ファランツェリの頭の中にも、ティスラァネと同じような形質異常の原因を探す作業がされた。そして、やはり解剖して調べなくてはと考えていた。もちろん、自分でするわけではないが。
……生まれつきなら接触で感染はないよね。
「じゃあ、続きしてよ」
タオルで胸や股も洗わせた。アートランが真っ赤になって息を荒らしているのを見て楽しんでいた。
ようやくシャワーを止め、タオルで拭かせて、ドレスを着た。
「どう?似合う?」
ファランツェリがくるっと回った。ちょうど食事の仕度が出来たと知らせに来たルカナがにっこりと笑った。
「とてもよくお似合いですよ」
ファランツェリが満足そうに笑った。
中庭のテーブルには携行食を陶器の皿の上に置いたものが乗っていた。食べながら、炎のゆらめきと花を眺めていたが、小さな虫が飛んでくると、かきむしるように払った。
「新都にはあまりいなかったのに」
もういいと部屋に引っ込んだ。部屋も風通しのよい造りなので、最初は虫が入ってきたが、忌避剤を散布したらしく、入ってこなくなった。
「テェエルは、においと虫がいやだなぁ」
この居城で一番立派な長椅子に腰掛けた。大きめで茶色の艶のある木に凝った織の布が貼ってあるものだった。
アートランが、職員が出そうとしていたカファを受け取り、ファランツェリの膝元に両膝を付いた。
「どうぞ」
掲げるように差し出すと、ファランツェリがにこっと笑って受け取った。
「ありがと」
飲み干してから、ここに座ってと隣を手のひらで叩いた。少し間を開けて座ると、自分のほうからすぐ側に座りなおした。
「この間みたいに、キスしようか」
……おもちゃにしようっと。
おどおどしたところが、パリスがおもちゃにしているディゾンのようでいじめたら面白そうと考えていた。
アートランが恥ずかしそうにこくっとうなずいた。杯を側の小卓において、ファランツェリが眼を閉じた。アートランが両肩を掴んで少し引き寄せるようにして唇を重ねた。ずっと口付けしているので、ファランツェリがもどかしそうに腕を首に巻きつけて抱きついた。
「……大人がすること、しよ?……」
アートランが真っ赤になって戸惑いながら、声を震わせて、はいとうなずき、恐る恐るといった感じで腰の辺りを触り始めた。
「ファランツェリ様……ぼく、聞いてしまったんですけど」
何?と聞きながらファランツェリがアートランを長椅子の上に押し倒した。
「……『瘴気』をたくさん地上に打ち込むって……」
「そうだよ、たくさん……打ち込むんだよ」
アートランの上にまたがったファリンツェリの頭の中にたくさんのミッシレェの影が浮かんだ。
「もしも……もしも、魔導師さまたちが降参したら……打ち込まないんですよね」
ファリンツェリがくすっと笑った。
「魔導師たちが降参しても……打ち込むよ」
素子に乗っ取られたこの惑星を取り戻す。そのためにはたとえユラニオウムで汚染されたとしてもかまわない。
……それがパリスの考えか。
「それじゃあ、ぼく……死んじゃうんですね」
『瘴気』は恐ろしいと顔を強張らせた。ファランツェリがアートランに覆いかぶさって額をこつんと合わせた。
「あんたはあたしが助けてあげる。だから、あたしをうんと気持ちよくして」
検体としてキャピタァルに持ち込んで、解剖させよう。それまではたくさんいじめて遊ぼうと楽しんでいた。
アートランが抱き締めて口付けしながら、ファリンツェリの髪に手を入れて、掻き梳くように撫でた。
……ミッシレェ発射システム、独立系……あるのか、ないのか。
表面の感情や心象は少し離れていても読み取ることはできる。だが、知識や思考は触れないと正確に読み取れない。しかも、特定のものを引き出すとなると、即座にはいかない。欲しいものになかなか行き着かない。
引き出すまではなんとかごまかさないと。
しかたなく愛撫を始めた。
ファランツェリがうふっと喜んで自分もアートランのズボンの上から触れてきた。
急にファランツェリが離れた。
「ちょっと待って」
ぱっと長椅子から降りて、小さめの箱を開けて、布のようなものに包まれたものを出してきた。布を取ると、中から水のようなものが入った硝子の筒が出てきた。水の中に浮かんでいるものを見て、アートランが椅子から転げ落ちた。
「そ、それは……!」
小卓の上に置いて、筒の腹を撫でた。
「これね、イージェンっていう魔導師の眼なんだよ、きれいでしょ?」
翠玉の瞳。水の中でゆらゆらと揺れていた。
……仮面の眼球か。
そんなものを持ち歩いているとは、アートランでさえ不気味に感じた。
「そ、そんなもの、なんで」
腰を抜かしたようになって、立ち上がれない振りをした。
「見せたいの、あたしが子どもじゃないってとこ」
子どもじゃないよ、おとなの女なんだから。
ファランツェリが早く気持ちよくしてと長椅子に座った。アートランが這うようにして長椅子に近寄り、ゆっくりと立ち上がった。
アートランの顔におとなびた不敵な笑みが戻った。ファリンツェリを押し倒して、身体の上にまたがった。
ファランツェリがどきっとして、目を逸らした。
……これじゃ、逆じゃない。あたしが上にならなきゃ。
起き上がろうとしたところを押し戻された。アートランがひそやかな声を出した。
「……この惑星は、死んだんだ……」
ファランツェリがはっと眼を見開いてアートランの紫がかった瞳を見た。たちまち動けなくなった。
「……あ……んた……は……」
アートランが険しい眼で睨みつけた。
「それを、大魔導師たちが、魔力を注ぎ、『蘇りの術』を掛けて、蘇らせた。それも二度も」
首に手を掛け、ぐいっと顔を近づけた。ファランツェリがぶるっと震えた。
「そ……し……」
「今度地上がユラニオウムで汚染されたら、いくら地下でラカン合金鋼の殻に閉じこもっていたって、ただじゃすまないぜ」
この惑星は素子によって生かされている。だが、この惑星の素子の密度は薄くて、ユラニオウムの汚染はこの惑星にとって致命的なのだ。
「いいこと教えてやろう、エヴァンスと会った大魔導師」
ぐいっと首に掛けた手に力を込めた。ファランツェリが、アートランの手を掴み、はがそうともがき、苦しくて眼から涙を流して顔をゆがめた。
「くうっっ……ううっ……」
「あいつはヴィルトじゃなくて、イージェンだ」
ファランツェリがえっとアートランを見返した。
「あ……れ、イ……ジェ……?」
ファランツェリの頭の中にイージェンの顔が浮かんできた。その腕に抱きかかえられていた。大きな身体。力強い腕。男らしく優しい。
好き。キスして。ちゃんと大人のキスして。あたし、子どもじゃないよっ、性行為だってできるんだから。
いきなり、イージェンが特殊検疫で女の名前を呼びながら精を出している映像が重なった。
ティセアって女がいいんだ、あたしよりいいんだ。
そして、解剖台の上で切り刻まれている映像が重なり、殺意がかぶさった。
素子。研究対象。生体標本は貴重。標本にしたら、後は。
「やっぱ……り、ころせる…ときに……」
「殺しておかないとな」
アートランが更に手に力を入れた。ファランツェリがパリスの顔を思い浮かべた。
……助けて、かあさん……
両脚をばたばたさせて、くしゃくしゃに泣き苦しんでいた。
「……かぁはぁあっ……さ……ん……」
「現し世にいてはならない存在」
アートランが、首を絞めたまま、身体を光らせ、ファランツェリの全身にドンッと衝撃を与えた。ファランツェリの身体が弓なりになり、そのまま固まった。
長椅子から降りて、隣の職員たちの控室にした部屋に顔を出した。ルカナの足元にマシンナートのつなぎ服が三人倒れていた。
「けっこう手際いいじゃん」
アートランが誉めると、ルカナがぎょっとした。
「あんたが誉めるなんて」
なにか企んでるでしょと腰に手を当てて顔を覗き込むようにしてから、ははんと気付いた。
「いろいろと黙っててほしいわけね」
フンとアートランがそっぽを向いて、ファランツェリの小箱を開いた。
「ここで殺しちゃって大丈夫なの? ロジオンにばれたら」
アートランが小箱から電文を送った。
「……ここ、気に入っちゃったから、しばらく遊んでるね。ファランツェリ」
すぐに返信がきた。
「……いいですよ、ゆっくりしてきなさい。ロジオン」
パタンと閉じた。
「どうせ明日には策謀を実行しないといけないからな、これで充分だ」
侍従長のランヴァトにファランツェリの小箱を預けた。音声通信はでないようにして、電文が来たら、中央管制室に連絡するように言いつけた。
「死体は焼いてしまえ」
ランヴァトがうなずいた。
ファランツェリの部屋に戻り、硝子の筒を持って来た。ルカナが何かと覗き込んでから、うっと口元を押さえた。
「それ……なんなの?」
「これは、仮面の目玉だ。解剖されたときに抉られて、あの小娘が保存していた」
ルカナがぶるっと震えたが、意外に度胸があるようですぐに顔をしかめながらもしげしげと見ていた。
「イージェン様の目……?」
アートランがうなずいて、『空の船』に持っていけと渡し、明日朝まではここで見張っているように指示した。
「あんたが仕切るのぉ?」
ダルウェルに相談していないしと文句を言ったが、しぶしぶの態で了解した。だが、急に真顔になってアートランを見つめた。
「気をつけて。失敗は許されないわよ」
ああと承知して新都に戻っていった。