第340回 イージェンと極南の鋼鉄都市《キャピタァル》(下)(3)
リィイヴが眼を見張ってアートランを見つめた。エアリアが首を振った。
「そんなに簡単に代わりになれないのよ。無理言わないで」
アートランが膝を付き、手を引っ張られたリィイヴも腰を降ろした。アートランが右の手のひらを広げて、ヴァドの頭に押し付けた。
「……あっ…な、なんだ、お……まえ……」
ヴァドが薄眼を開けて、側にいるのが素子と気が付き、無理やりに目を見開いた。
「お……まえ……、ア、ト……ラ……」
アートランが睨みつけた。
「こいつの頭の中にあるデェイタとコォオド、吸い上げて」
左の手のひらを広げて、リィイヴの頭を掴んだ。
「リィイヴの脳に書き込む!」
えっとリィイヴがアートランから離れようとした。だが、動けなかった。
「アートラン、できるわけないわ、やめなさい!」
エアリアが止めようと近づいたが、バシッと跳ね返された。
「きゃあっ!」
「できる!」
アートランの全身が白く光り出し、手のひらが置かれたふたりの頭も光り出した。
「ああっ!なぁあんだぁああ?!」
ヴァドが完全に意識を戻し、ガクガクと震えた。
「ああっ!わあぁぁっ!」
リィイヴがかっと眼を見開き、身体を振ろうとした。
「な……に……こ……れ……は……あああっ!」
アートランが読み取ったヴァドの記憶域の記憶をリィイヴの記憶域に書き込んでいく。リィイヴの頭の中に、光がチカチカと瞬きのように点滅していた。すさまじい勢いでデェイタやコォオドが目の前を過ぎていくようで、それを瞬間的に記憶している。そんな感じだった。
……統制システム……キャピタァル都市管理コォオド、管理者権限、クオリフィケイション、生命線管理システム、全都市網…………通信衛星運行マニュアル……測位システム管理マニュアル……コォオド……コォオド……
どんどん流れ込み、書き込まれていく。そして。
ヴァドの記憶、感情。波のように被さって来た。
パリス。
……かあさん、かあさん、かあさん、かあさん、かあさん、かあさん……
ヴァドの中は母親のことでいっぱいだった。パリスを恋しがる感情。幼い子どものまま。甘えん坊のヴァド。
かあさんに誰よりも役に立つ子どもだと思われたい。
かあさんを独り占めしたい。
それを覆うどす黒い感情。
パリスとロジオン。パリスがロジオンの肩を叩く。
「ロジオン、中枢主任のレクチャーと訓練、受けておけ」
ヴァドにもしものことがあったらロジオンが代わりになる。
「中枢主任のワァアクは大変だがな」
ロジオンがこんな苦しくてつらいことに耐えられるわけがない。
「いえ、母さんの役に立てるのですから、頑張りますよ」
……おまえより、ぼくのほうがかあさんのやくにたってるんだ!
ヴァドの怒りと憎しみが電撃のように全身に走った。
……いやだ、いやだっ!ここはわたさない!
その瞬間、ヴァドの意識がリィイヴの意識と重なった。
「おまえ、な、ん、か、し、んじゃぇええっ……ええっ!」
リィイヴが喉を裂くような叫びを上げ、鼻血を噴出し、口からも血の混じった唾を垂れ流した。
「やめて、アートラン!リィイヴさんが!」
エアリアがドームを破ろうと光の杖を振り上げ、叩きつけた。ガシャーンッと音がして、破れそうになった。
アートランが髪を逆立て、きっと睨み付けた。
「リィイヴが代わりやらないと、ミッシレェが発射されるんだぞ!邪魔するなっ!」
エアリアが泣き崩れた。
ようやくアートランがふたりの頭から手を話した。ヴァドが何かを掴もうとするかのように手を伸ばした。
「わ……たさ……ない……そ、の、だ…い…、ざ……ぁ」
手の力が抜け、ぱさっと床に落ちた。
「まずい!」
アートランがヴァドの瞼をひっぱり、光らせた指を突っ込んだ。
「アートラン、なにするんだ!?」
レヴァードが悲鳴のように叫んだ。
「こいつが死んだら、まずいんだ!」
ヴァドの眼球を抉り取った。すでに息絶える寸前だったが、びくびくっと断末の痙攣で身を震わせた。リィイヴの右目に指を入れた。
「ぎゃあぁぁっ!」
「きゃああっ!」
リィイヴとエアリアの悲鳴が重なった。レヴァードがあまりの恐ろしさに固まった。
アートランはリィイヴの目も抉り出した。血を流してぶるぶると震えている。その開いた洞にヴァドの眼球を納めて強い光を放った。
「くっつけ!」
「ああっ!こ、こんなぁあっ!」
リィイヴが痛みと異物が入り込む感覚に吐き気を覚えて、ぐぼっと吐き出した。血と胃液が混じったものが床に広がった。
「リィイヴさん!」
エアリアが抱きついた。
「姉さんも魔力を注げ!」
エアリアが泣きながらリィイヴの頭と胸に光る手を当てた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、リィイヴさん!」
苦しめてごめんなさいとぼろぼろ涙を零した。
アートランが手を離した。エアリアはまだ手を光らせて、頭と胸に押し当てていた。
「どうだ、見えるか」
アートランが覗き込んだ。リィイヴが瞬きを何回かしてから、瞳をぐるっと回した。
「……ああ、見える……」
リィイヴの瞳は灰色だったが、右目は茶色になった。
「網膜で認証してたから、あいつが死んでしまうと」
アートランが言いかけたが、リィイヴが手をかざして止めた。
「わかってる。こうしないと……システム再起動できないからね……いいんだ、これで……いい」
ふらっと立ち上がった。エアリアもよろけながら、リィイヴを支えようとした。アートランも腕を取った。
「その……台座に……」
アートランが抱き上げ、ゆっくりと台座に座らせた。
「そのめがねみたいなの、取って」
アートランが幅の広いめがねを拾って渡した。それは頭部装着ディスプレイ装置だった。眼を覆う。
アートランが血塗れの手のひらの上にあるリィイヴの眼球をエアリアに差し出した。エアリアがぶるっと震えて首を振った。
「持ってても、もう取り替えられないしな」
屈みこんでヴァドの空の眼窩に置いた。
リィイヴが、装着装置が通電していることを確認し、手元のボォウドを叩いた。
ピッと小さな音がして、右眼の前に網膜読取盤がシュッと現れた。装着ディスプレイのひとつに表示が出た。
『中枢主任、ヴァド、認識番号キャアル・ヴァヌ・ディズヌフ・五五八六二二三』
ピッと光ってから表示が変わった。
『認証完了』
「中枢主任権限により、統制基幹システム再起動」
リィイヴの声とともに、ブウゥゥンと鈍い音がして、装着ディスプレイと前面のモニタが光ってから青い画面になり、文字が現れた。
『ウルティミュウリア、テクノロジイの頂』
その下に白い帯が出てきて、左から伸びていき、右まで一杯になったとき、黒い四角が現れ、白い文字がたくさん現れて、上から下へものすごい速度で流れていく。
「再起動完了まで時間がかかる」
リィイヴがその間に脳に書き込まれたマニュアルを呼び起こしていた。エアリアがそっとリィイヴの頭を撫でた。
「リィイヴさん、こんな、つらい目にあわせてしまって」
リィイヴが首を振った。
「いいんだよ、こうしなかったら、つらい目どころじゃなくて、すべて終わってしまっただろうから」
ぎゅっと手を握り締め合った。
アートランがレヴァードの腕を引っ張って少し離れた。
「おっさん……恐ろしいか、俺のこと」
真剣な眼で見つめた。レヴァードが眼を伏せた。
「ああ、たしかに……な……」
恐ろしいことを平然とする。だが、自分に息子がいたら、こんな感じなんだろうかと胸が温かくなることもあり、この異能の力がなければ、戦うことができないのだからと顔を上げて大きく息をした。
「でも、恐ろしいというより、参ったって感じだな」
凄すぎてお手上げだと苦笑いするレヴァードに、アートランがいつものにやりとした笑いを見せて、レヴァードの手をぐっと握った。レヴァードも握り返した。
「俺が撒いた粉のせいで、ヴァドの頭と神経系の装置にものすごい負荷がかかって、感電したようになったようだ。それで、ヴァドが気絶したんで、電源が落ちたんだ」
通常なら補助装置が働くが、それも壊れてしまい、しかも、ヴァドの脳と心臓が持たないくらいの打撃を受けていたのだ。
「予備の補助装置が三箇所にあったのに、それもすべて中央で管理するようにしてた。こいつ以外は統制システムを動かせないようにしていたんだ」
誰にもこの場所を渡さないために。誰かに替えられてしまうことのないように。
「母親に一番役に立つ子どもだと思われたかったんだ」
「自分にもしものことがあったときの対処をなくしてしまったなんて、正気じゃなかったんだな」
ああとアートランがうなずいてから、台座に目をやった。
「おっさん、リィイヴの身体管理してくれないか。マニュアルはリィイヴに出してもらえるだろうから」
「いや、それより……」
『空の船』に戻りたいと否定しかけてやめた。
「俺がやるしかないな」
神経系の管理も合わせてと言われて、レヴァードがごくっと唾を飲み込んだ。台座に近付いた。
「リィイヴ、おっさんに身体管理してもらうことにしたから」
リィイヴが了解した。
「再起動完了したら、レヴァードさんの小箱を使えるようにしてマニュアル送ります」
頭帯の接着処置してくれるよう頼んだ。頭帯を見ていたレヴァードがうなずいた。
「わかった。見たところ、微細針で直接頭皮に差し込んでいるようだから」
髪を剃らないといけなかった。
「そうですか」
眉をひそめたエアリアがそっとリィイヴの髪に触れた。
ヴァドの遺体を部屋の隅に移した。
「整備班や医療班の出入りもあのエレベェエタァだったのか」
壊してしまった扉を眺めながらレヴァードがため息をついた。機材用の昇降機があるが、いちいち裏方に回らないと使えない。アートランも困った顔をした。
「上の階に中央管制室がある。そこまでは他のエレベェエタァで来られるから、そこからここまでは、梯子かけるしかないな」
中央管制室には当直の担当官が何人かいるはずだった。一部補助電源が動いているので、中央塔の復旧をしているだろう。管制室を制圧しなければならなかった。