第302回 イージェンとパリスの子ら(下)(1)
バランシェル湖の中から異様な光が出て来るを見て、ルキアスは、急いで詰所に戻った。魔導師のリギルトはよく寝ていたが、揺さぶって起こした。
「湖の中から何か出てきます!」
リギルトが飛び起き、立ち上がったが、膝をがくっと折った。ルキアスが背負い、馬に乗せて湖の見えるところまで連れて行った。
「あれです!」
ルキアスが指さした。
「…なんだ、あれは…」
リギルトが震えた。湖の中央で光の塔が何本も飛び出ている。その中央に大きな鉄の骨で出来た塔が出てきて、それは空に向かって高く伸びて行った。
湖は波が荒れていて、湖岸が洗われ、係留していた漁船などが木の葉のように揺れていた。リギルトが急いで詰所に戻るよう命じた。
戻ってすぐ、部隊長に湖周辺の村を避難させるよう発令し、伝書を書いて、『空の船』のヴァシル宛と王都のアルバロ学院長に向けて発信した。湖の対岸にある関門の街にも花火で連絡することにした。
詰所の裏庭で花火に火を点け、夜空に飛ばした。
ヒューンパアァッと音がした。二発打ち上げた。関門の街にも分隊が駐留しているので、見張り番が見ればすぐに避難するはずだった。
詰所に居るよう言いつけたはずのエルチェの姿が消えていた。
「エルチェ!」
家に戻ったのか、逃げるにしても貴重品くらいは持ち出したいはずだ。部隊長にリギルトが無理をして出て行かないように頼んだ。
「あれ、とてもリギルト様ひとりでは太刀打ちできません!」
あらかじめ、緊急の避難場所は決めている。すぐ周辺の村にも連絡するよう伝令を出発させた。
「俺、もう一度湖を見てきます!」
部隊長が止めるのも聞かずに馬で走り出した。途中、村の民を誘導しているバウティスともすれ違ったが、そのままどんどん走っていった。
避難している村人にも目を配ったが、エルチェはいない。ついに湖までやってきた。湖から出ている何本もの光の塔のほかに岸近くにも塔が出てきていて、そこから光がぐるぐると回転して周囲を照らし出していた。
湖岸のエルチェの小屋があった辺りも水を被ったようだった。押し流されたりはしていなかったが、びしょびしょだった。扉を開けるとエルチェが父親を背負っているところだった。関門の街から帰ってきていたのだ。
「早く逃げないと!」
父親は酒を食らって寝ているようだった。
「荷物取りに来たら親父が寝てて!」
荷物はまとめてあったようで、袋がふたつ床に置いてあった。そのふたつをルキアスが担ぎ上げた。
「網とか銛とかももっていかないと」
ルキアスが首を振った。
「そんなもの、もっていく暇ない!」
外に出て、袋を馬にくくりつけ、父親とエルチェを乗せた。
「馬、乗れるかっ!」
エルチェがうなずいた。湖の方からバリバリと音がした。音の方を見ると、あの王都で見た鋼鉄の鳥が光を放ちながら湖岸に近づいてきていた。ルキアスが馬の尻を叩いた。馬がいなないて、走り出した。
「ルキアス!」
エルチェが後ろを振り返った。
「かまわずに行けっ!」
ルキアスも走り出した。頭上から光が当った。ルキアスは馬が走っていった方とは逆に走り出した。光はルキアスを追いかけてくる。
「追って来い!」
バリバリという音が激しくなって、頭上に迫った。
『そこのやつ、止まれ!』
頭上から大きな声がした。ルキアスが足を止めずに振り仰いだ。光が迫ってくる。背を向けてまた走り続けた。
『止まれ!』
何か空を裂くような音がして、何十セルか前に光の弾が飛んでいき、木にぶつかった。
光が弾け、木が爆ぜ飛んだ。
「わあっ!」
ルキアスが頭を抱えながら地面に伏せた。次々に光の弾が飛んできて、湖の周りの林の木を吹き飛ばして行く。強い風が吹いてきて、顔を上げて振り向くと、鋼鉄の鳥が降りてきていた。縄梯子が垂れ下がっていて、灰色、白、青の服を着たものたちが何人も降りてきていた。
みんな頭に丸くて黒い兜を被っていて、肩から鉄の筒を提げていた。青い服を着ている男が筒の先で伏せているルキアスの頭を突付いた。動かないでいると、硬い皮の靴で腹を蹴り上げた。
「起きろ」
「うっ!」
うめいて転がり、身体を起こした。せめて一太刀と腰の剣を抜きながら立ち上がろうとしたが、鉄の筒から火花が散った。火花は地面にぶつかって四方に散った。
「その刃物、捨てて立て。言うこと聞かないと、次は頭をぶち抜くぞ」
男が鉄の筒を頭に突きつけて恫喝した。ルキアスが剣から手を離すと、鉄の筒の先で立つようにうながされ、ゆっくりと立ち上がった。かなり大柄と気が付いて、男が二、三歩下がった。周りにも鉄の筒を構えたものたちが数名取り囲んでいた。別の鋼鉄の鳥が近づいてきた。上から何か大きな影が降りてくる。鳥がぶら下げてきたもののようだった。
「モゥビィル、降ります!」
誰かが叫んだ。ドォンと音がして、影が地面に降りた。鋼鉄の馬車のようだった。白い服の男が近寄ってきて話しかけた。
「アリアン様、弐号機から報告です、周辺の村に人影が見えないそうです!」
アリアンと呼ばれたのはさきほどからルキアスを鉄の筒で脅している男だった。ルキアスの胸に筒の先を押し付けた。
「おい、なんでシリィたちがいないんだ?」
ルキアスが返事をしないので、さらに先を胸にめり込ませるようにした。
「答えろ、でないと撃つぞ」
ルキアスはここで死ぬのだと覚悟した。
エルチェと親父さんは無事に逃げられただろうか。
エルチェの顔が思い浮かんだ。
…アル、ごめん、一番好きなのエルチェになった。アルは七番目だ。
また格下げになって、アル、がっかりするだろうなとこんな命が危ういのにのんきに考えていた。
「そうか、しゃべれないのか、野獣だもんな、それじゃあ、しかたない」
アリアンの指に力が込められようとしたとき、モゥビィルの側にいた男が怒鳴った。
「アリアン様、バレーから入電、ハルニア副議長からです!」
アリアンがちっと舌打ちして回りのものに見張るよう言い付けてモゥビィルに寄って行った。モゥビィルの席の前から伸びている細い紐を耳に入れた。紐の途中から出ている小さな円盤を口元に持って行った。
「アリアンだ、なんだ副議長」
何か聞いているようだった。
「了解、仮設ラボを湖岸に設置する。トレイルを出してくれ」
それととちらっとルキアスを見た。
「湖周辺のシリィたちは逃げ出したらしいが、周囲五十カーセル内を制圧するから部隊は予定通り出してくれ」
モゥビィルを降ろした鋼鉄の鳥が飛び去った。ルキアスの背中を冷汗が流れた。
…周囲五十カーセル制圧って…まずい、もっと遠くに逃さないと…
なんとかリギルトに知らせなくては。このまま死ぬわけにいかない。
アリアンが耳から細い線を外し、ルキアスに近付いた。腰から下げていた丸い金の輪のひとつを取った。金の輪は途中で切れていて、その輪をルキアスの首に掛けようとした。ルキアスが身体を引こうとすると、両脇から鉄の筒の先を脇腹に押し付けられた。
アリアンが輪をルキアスの首に掛けた。まだはたちくらいの男で、細面で目は灰色だ。にやっと笑った顔が不気味だった。
「こいつがなんだか、わからないだろうから、今から教えてやる」
そう言って首の輪っかをぐいっと引っ張った。
「うっ!」
腰の輪をもうひとつ取って、どこかの木にかけろと側の男に渡した。男は、数セル離れたところの木に近付き、ヒトの首ほどの太さの枝に輪をかけた。アリアンが胸に下げている小さな箱を掴んだ。
「よーく見てろよ」
開いて何か押した。すると。
バァアアアーン!
激しい音と閃光、首輪は破裂して、枝が粉々に吹っ飛んだ。
「きゃぁぁーっ!」
近くで女の悲鳴が聞こえた。その女の首にもルキアスが付けられたのと同じ輪っかが掛かっていた。
「俺に逆らったりしたら、首が吹っ飛ぶからな…といってもわからんか」
アリアンがまたにやっと笑った。
…すぐに殺すつもりはなくなったということか…
しかし、逃げたりすればすぐに発破のように爆発させるということだろう。どうやってリギルトに知らせようかと考えたが、思いつくはずもない。
輪っかを付けられた女がアリアンの足元にしゃがみこんだ。
「絶対あなたに逆らわないから、これ、外してぇ!」
ぶるぶる震えている。アリアンが女の腕を掴んで立たせた。
「もう少し突っ張れって言ってんだろう。殺されても、父親と同じ啓蒙派を貫くって言ってみろよ」
女が首を振った。
「父様とはもう関係ないわっ!死にたくない、死にたくないの!」
アリアンがフンと鼻を鳴らし、女をルキアスに向けてドンと突き飛ばした。
「あっ!」
ルキアスがきゃしゃな身体つきの女を受け止め、抱き支えた。
「外してやれ、逆らわないって言ってるじゃないか」