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第296回   イージェンと陽光の『空の船』(3)

 椅子に座れと言われて腰掛けた。

「エスヴェルンの大公家リュリク公がわが国を来訪されている」

 カーティアとエスヴェルンの間の協定締結のためにエスヴェルンの王太子が来訪する予定だったが、それがご夫妻での外遊となったので、先に連絡に来られた。ところが、それは表向きの理由で、大魔導師と直接話がしたいので、連れて行ってほしいということだったのだ。

「問題は、サリュース殿…エスヴェルンの学院長には内密にってことだ」

 何かあったに違いないとダルウェルがため息をついた。

「俺は副学院長だったアルバロに根回しされて追い出されたことがあったからな、こういう流れはやばい」

 あのときもアルバロはダルウェルが知らない間に他の特級たちや宮廷に働きかけていた。ダルウェルは策謀などは考えたこともないので、すっかり出し抜かれてしまったのだ。

「そのリュリク公閣下は、学院長がサリュース学院長に告げるかもと思わないのですか」

 ヴァシルが当然の疑問をぶつけた。キュテリアがダルウェルにも茶を差し出した。

「俺を信用すると言っていた。ともかくイージェンと話がしたいんだそうだ」

 セネタ公とは旧知の仲だとかで、セネタ公からも頼まれてしまった。昨日からセネタ公の屋敷に滞在している。午後にでも訪れて運んでくれと頼んだ。

「今は各国の内情に関っている余裕、ないのに…」

 ダルウェルが茶碗を傾けながら上目遣いした。

「たしかにな」

 それからと書面を数枚差し出した。

「南方大島から脱出してきた兵たちを南方海岸の村に住まわせることにしたから、これをレアンの軍港にいる派遣将軍に渡してくれ」

 かつてマシンナートたちが村人を全滅させた村だ。今は無人だった。後で執務宮の迎賓館に滞在している統治総帥アルリカのところに寄って、地図と文書を渡してきてくれと頼んだ。

「総帥閣下は南方海岸に戻らないんですか」

 宮廷からの依頼で、エスヴェルンから王太子夫妻が来訪したときの歓迎の式典や宴に出席してもらうために滞在を伸ばすことになっていた。

「これがまたなかなか美しい方なんだ」

 カーティアの王族はほとんど死んでしまい、新王の親戚もいないので、接待のできる姫や公女がいないのだ。

「振る舞いとか大丈夫なんですか」

 王族としてのしつけは受けてないだろう。

「短い時間ならなんとかごまかせるだろうってことだそうだ」

 イリーニア王妃がみっちり教えているらしい。

 ヴァシルは、急に食欲が出てきて、先ほど返したパンをもらって食べてから、執務宮に向かった。

 執務宮に入ると、玄関広間で国王側近のフィーリに出会った。

「ヴァシル殿、戻られたんですか」

 うれしそうに手を差し出した。その手を握り返して、またすぐに南方海岸へ行くと告げた。

「そうですか、お弟子のセレン殿と会うことはありますか」

 今船に戻っていると話すと、渡してもらいたいものがあると言うので、迎賓殿の宿舎に寄ってからフィーリの執務室に顔を出すことにした。

 迎賓殿宿舎のアルリカの部屋前までやってきて扉を叩いた。扉が開き、控えの間にいた護衛兵が取り次いだ。すぐに入るよう許しが出て、居間に通された。

「魔導師ヴァシルです、閣下」

 胸に手を当ててお辞儀した。アルリカは背が高く手足が長く、ほどよく筋肉がついていて鍛え上げられた身体だった。薄茶色の筒のようなドレスで、短い黒髪の両脇を赤い宝石を散りばめた髪留めで止めていて、形のよい耳に耳輪を着けていた。

「南方大島統治総帥アルリカだ、楽にしてくれ」

 アルリカが頭を下げた。地図と文書を受け取り、眺めていたが、軍港に残っている部下に手紙を渡して欲しいと書き出した。

「これをお願いする」

 受け取り、了解した。お茶でもとアルリカが部屋の隅に行った。

「いえ、結構です」

 ヴァシルが遠慮すると、これも稽古だから付き合ってくれと丁寧に入れ始めた。少しつたない手付きだが、あわてず茶碗やポットを温め、茶葉をポットに入れてお湯を落とした。

 皿に茶碗を乗せて、背中を丸めて強張った足取りで運んできた。

「どうぞ」

 ヴァシルが受け取って、ゆっくりとすすった。

「おいしいです」

 アルリカがうれしそうに自分の分も持ってきて向い側に座った。

「どうかな、貴婦人みたいにできてたか?」

 アルリカが心配そうに尋ねた。イリーニア王妃に仕込まれているが、なかなか振る舞いがしとやかにならなくてとため息をついた。

「充分だと思いますけど、背筋を伸ばして歩いたほうがきれいに見えます」

 そうかと椅子から立ち上がり、背筋をしゃんと伸ばして歩いてみた。

「こうか」

 よくなったと誉めると、うれしそうに笑った。席に戻って飲みながら、ちらっとヴァシルを見た。何か聞きたいことがあるようだったが、ヴァシルはうながさなかった。すると、アルリカが思い切ったように身を乗り出した。

「南方大島の様子はどうなんだ」

 ヴァシルが少し考えるふりをしてから応えた。

「閣下が去ったときとあまり変わりないです。ただ、マシンナートたちの出入りが激しくなったようですが」

 大魔導師も慎重にみているのだと言うとそうかとうなだれ、尋ねてきた。

「なあ…マシンナートのカトルという男のこと、知らないか、島を出るときに世話になったんだ」

 リィイヴからカトルと統治総帥が恋人同士だと聞いていたので、当然尋ねられると思っていた。本当のことを話すべきか、それとも。

「閣下、マシンナートたちのことは気になさらずに。島の民もいずれはテクノロジイから切り離され、元の生活に戻されます。そのときこそ、閣下のお力が必要となります」

 島の民を導かなければならないと説いた。アルリカが唇を噛んで堪えていた。

「そうだな」

 カトルは違反者として監獄のような仕事場に送られた。そのようなことをアルリカに聞かせて悲しませる必要もないだろう。どうせ、もう会うこともない。

 それではと手紙を渡すことを約束して下がり、二階のフィーリの執務室に向かった。

 フィーリがなにか包みを机の上に用意していた。

「これをセレン殿にお渡し下さい」

 包みの中身を尋ねると、開けてよいというので開いてみた。中は木箱で文字合わせの木片が入っていた。古めかしいがかなり上質のものだった。

「これは、いずれかの貴族のお子様のおもちゃでは」

 木片の色艶もとてもよく、丁寧に作られていて、後ろに紋章が入っている。

「ええ、それは我が家に伝わるおもちゃで、わたしも子どものころに使いました」

 今は家の名前もないが、百年前は貴族の端くれだったと話した。

「フィーリ殿のお子様が使われるでしょう」

 魔導師は贈り物などは受け取ってはならない。セレンはまだ魔導師ではないので貰ってもまずくはないが、こんな大切なものをよいのか、ヴァシルは困ってしまった。フィーリが笑って包みを元のように包んだ。

「いいんです、ぜひセレン殿に差し上げたい」

 ヴァシルがはっと目を見開いた。

「そうですか」

 以前、セレンは別の魔導師に預けてきたと聞いて、がっかりしていたので、セレンをかわいがっていたような感じはしていた。

「では、お預かりしていきます」

 よろしくと頭を下げた。扉が叩かれ、王宮侍従医のユディトが入ってきた。

「ああ、よかった、間に合いました」

 走って来たらしく息を上げていた。ユディトもなにか包みを持っていた。

「これをお弟子殿に渡してください」

 服とか靴下とかでたいしたものではないのですがと渡された。

「確かに渡します」

 ヴァシルが思いついてユディトに尋ねた。

「医師の勉強をしているものがいるのですが、脈診術の書物を貸してもらえませんか」

 ユディトが医局にあるのでと一緒に行くことになった。フィーリに挨拶し、執務室を出た。

 医局には、侍従医長のソリンがいて、脈診術の書物を貸してくれた。

「イージェン様によろしくお伝え下さい」

 ソリンが頼んでいると、ユディトが別の書物も出してきた。『解体の書』だった。

「こんなに借りていいんですか」

 ソリンが了解してくれた。礼を言って執務宮を出た。

 セネタ公の屋敷は王都の北のはずれにあった。もとは大きな屋敷だったのだろうが、上から見ると壁で三つに分かれていた。それぞれに屋敷がある。そのひとつの門の前に降りた。

 門番に来訪を告げると、門番はあわてて屋敷まで打診に行ったようで、少し待たされた。ほどなく侍従らしき中年の男がやってきて、門を開けるよう門番をうながし、門の外にいたヴァシルにお辞儀した。

 案内されて屋敷の玄関広間に着くと、セネタ公自ら出迎えていた。

「セネタ公閣下、ごきげんよう」

 ヴァシルは胸に手を当ててお辞儀した。セネタ公も深くお辞儀して、正面の階段を登ったところにある客間に案内した。客間の上座に軍服姿で座っているものがいた。かなり背が高くがっしりした体格で、年は五十過ぎているようだが、はつらつとしていた。セネタ公とヴァシルが入っていくとすぐに立ち上がった。

「リュリク公、こちらはわが国の魔導師ヴァシルだ」

 ヴァシルが胸に手を当てるお辞儀をした。

「カーティア学院魔導師ヴァシルです、閣下」

 リュリク公も深くお辞儀した。セネタ公が椅子に座るよう勧め、腰をかけた。

「学院長から聞いていると思うが」

 セネタ公がエスヴェルンの学院には内密にしてほしいと頼んだ。ヴァシルが慎重に応えた。

「それはわたしからはなんとも申し上げられません。大魔導師に(はか)り、判断を仰ぎます」

 リュリク公を連れて行くことは了解していると言った。

「ありがたい、よろしく頼む」

 リュリク公が頭を下げた。すでにリュリク公は旅装だったので、すぐに出発することにした。

「あさっての朝までには戻られよ」

 リュリク公がうなずき、セネタ公と握手した。

 ヴァシルが客間を出ようとしたとき、奥の壁の額に気が付いた。

「あれは…」

 セネタ公が、ダルウェル学院長が当家に寄贈下さったとにこにこ笑った。

「大魔導師様直筆の式次第など、どこの王家にもない宝だ」

 ジェデル王とイリーニア妃の婚礼式次第だった。イージェンは金持ちに売りつければいいと言ったが、さすがに学院長となったので遠慮したのだ。

 ヴァシルは、リュリク公に、途中で用を足したくなったら遠慮なく言ってくださいと気遣って、抱え上げ、飛び上がった。飛んでいる間何も話さなかったが、強張っているのはわかった。

 夜も更けてきた頃、南方海岸のレアンの軍港に到着した。書面の受け渡しがあるのでと着地し、詰所を尋ねると、すでに休んでいた派遣軍将軍が飛び起きてきた。ヴァシルから書面を受け取り、南方大島軍の兵士たちを村に誘導して、住まわせることを了解した。

「食料などの配給も指示通りにしてください。派遣軍の不足分はすでに手配済みですから心配なく」

 統治総帥から部下への手紙を渡してくれと頼んだ。

 沖の船までは数分も掛からない。甲板に降り立ったとき、すでに夜更けでほとんど寝入っているようで静まり返っていた。そっと船室に案内し、船長室の扉を叩いた。返事がないので開けてみるとイージェンはいなかった。

「着くのは明日かと思ったぞ」

 急に階段の下から声が上ってきた。イージェンが下の船室から上ってきた。

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