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第295回   イージェンと陽光の『空の船』(2)

 朝から買出しに出かけ、何回かに分けて買い物したものを船に運び上げていたヴァシルとルカナは、エアリアに頼まれたものを買いに小間物屋に寄った。

「ちょっと…外で待ってて」

 ルカナに言われてヴァシルがわかったと店の外で待った。店の中に入ったルカナは、店の隅に行き、女の店の者に耳打ちした。

「あれを…ふた袋ばかり」

 女は了解して奥に引っ込んで、紙の袋をふたつ持ってきた。他にもティセアの櫛、鏡、結い紐、肌荒れ止めの馬油を買った。

「ティセア様は身籠ってるからいらないとして、わたしの分は…」

 でも、もうエスヴェルンに帰らないといけないだろうなとあきらめた。

 カーティアの学院は忙しいがなかなか楽しい。学院長のダルウェルは少し鈍いところもあるが、誠実で豪胆で気取っていないので話しやすい。宮廷もみんな若く、張り切っている様子がうかがえて、勤めていて張り合いがあった。もちろん、エスヴェルンでの勤めも悪くはないが、どうもサリュース学院長とは反りが合わなかった。

 子どもの頃からエアリアやシドルシドゥは魔力も強く、真面目で非の打ち所のない仕事ぶりだったので、近い世代のルカナやクリンスはよく比較されてもっと励めと叱られてきた。

「息苦しいのよね…」

 『空の船』はもっと面白い。物珍しいこともあるが、マシンナートたちがあんなに面白い連中だとは思わなかった。

「あーあ、帰りたくないわ」

 命も危うくなるほど危険だが、リィイヴと恋人になったというし、エアリアがうらやましかった。

 魔導師は結婚できないが、こっそりと隠れて恋人を作るものもいる。もちろん、エスヴェルンの学院も『決まり』にうるさいし、サリュース学院長や学院長代理、シドルシドゥ、クリンス、ヴァロダ、リタなどはまったく関心もないようだが、ルカナは俗物と言われても恋人が欲しかった。子どもの頃から、エアリアとラウド王太子の仲の良さもうらやましかったし、お別れしてもすぐに恋人ができるなんて、器量良しはいいわとねたましいくらいだった。

 買い物を済ませて店を出ると、背負子を背負ったヴァシルがぼつんと立っていた。

「どうしてそううじうじしてるのよ」

 ルカナがむっとしてまた頬をつねろうとしたが、ヴァシルがさっと避けた。

「うじうじなんかしてない、反省してるだけだ!」

 まあと呆れて、次の買い物に行くわよとさっさと歩き出した。

「後はお酒ね」

 酒屋で調理用の果物の酒と麦の醸造酒を三本づつ買った。

ようやく買い物が済み、ルカナも背負子を背負って王都の外れまでやってきた。日も翳ってきていた。

「少し移動したわね、船」

 すでに王都からは遠ざかっていた。

「ねえ、私と交代しない?」

 急に言われてヴァシルが伏せていた顔を上げた。

「交代って…」

 自分の背丈よりも高い背負子を背にしていたルカナがふわっと浮き上がった。

「わたしが船に残って、あんたがカーティアに戻るってこと」

 魔力は少し劣るけど遣い魔を受け取ったり、警戒したり、留守番くらいはできると見下ろした。

「あの船の連中、気に入っちゃった。あんたはあの連中嫌いみたいだし」

 ヴァシルが顔を赤くして怒った。

「あの連中のこと、嫌いじゃないっ!君と交代なんかしない!」

 ぷいと顔を逸らして飛び上がり、速度を上げて上昇していった。

「なによ、ほんとは嫌いなくせに」

 連中のやることなすこと迷惑そうにしてるし、どう見ても嫌がっているのに。

 ヴァシルとは年頃も近い。どことなく、エスヴェルンのシドルシドゥに似ているところもあるが、話しているともっと子どもっぽい感じだ。ついいじわるなことを言ってしまっていたが、ほんとうは親しくなりたかった。でも、シドルシドゥと同じで堅物のようなので、難しそうだった。いずれにしても、船にいるためにはヴァシルと入れ替わるしかない。

 『空の船』は、かなり南下していた。夜の内に一の大陸南方海岸に戻るつもりのようだった。船に戻ってヴァシルが買い物の金額の書き込みをした紙をイージェンに渡した。

「この小間物というのは…」

 ルカナが、ティセアの櫛とか鏡とかだと言った。

「きちんと書いておけ」

 戻されて、ちょこちょこと書き込みした。

「何度も運んで大変だったな」

 この間と同じくらい買い込んでいた。店はさすがに王都なのでいろいろとあったし、市場も賑やかだった。

「時間があればゆっくり見て回りたかったですけど」

 ルカナが残念がった。イージェンが封をした伝書をヴァシルに差し出した。

「ヴァシル、船はこのまま南方海岸に戻るが、おまえはこの伝書をもってダルウェルのところに行け」

 すぐに出発するようにと命じた。ヴァシルが固まったようになって、伝書を受け取るのを戸惑った。

「どうした、早く行け」

 イージェンに伝書を突き出され、ヴァシルがぐっと堪えるようにして受け取り、頭を下げて、船長室から出て行った。

…これでわたし、この船にいられるわ。

 口元を緩めたルカナもお辞儀して出て行った。

 ヴァシルが廊下から食堂の中をそっと覗いていた。

「みんなに挨拶していかないの?」

 ルカナが意地悪く声を掛けると真っ赤な目で睨みつけて、ばっと走って行った。食堂にはエアリアとリィイヴ以外集まっていた。ティセアとラトレルも一緒にくつろいでいた。ルカナもお茶をもらおうと食堂に入っていった。

 『空の船』は五の大陸から離れ、海上に出ていた。そこから、南下して一の大陸の南方海岸に向かう。その位置からカーティアへはほとんど東に向かって飛べばよく、明日朝前には着く位置だった。

 星空の下を飛びながら、ヴァシルは涙が出てしかたなかった。あの船から追い出されてしまったことがこんなに悔しくて悲しいとは思わなかった。あまりのことに荷物も置いて出てきてしまった。

 ヴァシルは、二の大陸キロン=グンドの今は亡き大国イリン=エルンの学院で、なに不自由なく育った。師匠であった学院長ジェトゥは、学院の『決まり』には厳しかったが、修練はあまり厳しくなかった。ほとんどほおって置かれたといってよかった。

ジェトゥは無口で感情をほとんど表さず、ヴァシルは、副学院長のレスキリのほうが親しみやすいのでなにか困ったことがあるとついレスキリのほうに相談してしまっていた。ジェトゥとの間に師匠と弟子の間柄の感情はなかった。だから、イージェンの弟子にしてもらって、とてもうれしかった。大魔導師にあるまじきところもあるが、不愉快ではなく、むしろ、厳しくも暖かいヒトだと思えた。今は修練をしている暇はないが、側にいられるだけでとても充実していた。それなのに、失敗ばかりで見放されてしまった。

 マシンナートの連中も、最初は南方大島でひどい目に合わせたやつらの仲間だと敵視していたが、だんだんと知り合ううちに、好きになっていた。素直に態度に出したりはしなかったが、温かみがあって一緒にいて楽しかった。

魔導師はその役目もあって、冷たい表情で感情を押し殺してヒトと対しなければならない。その上、ヴァシルが育った学院は学院長ジェトゥの性格もあって、魔導師同士の交流もほとんどなく、ヴァシルは子どもの頃から孤独だった。

もっと一緒にいたい。あの連中と。

 ヴァシルは初めてヒトの温かみ、ヒトといることの心地よさを知った。それなのに別れなければならなかった。

 一の大陸上空に入るとカーティア王都にはほどなく到着した。王宮のほとんどはマシンナートのボォムに破壊されていて、修復はできていない。当分使える建物を中心にどうしても必要なときは仮小屋を建てて使うことにしていた。

 丸屋根の学院の庭に下りた。まだ夜明け前だったので、宛がわれていた自分の部屋に窓から入り、ベッドに横になって眼を閉じた。

 うとうととして朝を迎えた。廊下に出て、外の井戸まで行き、顔を洗った。

「ヴァシル」

 後ろから女の声がした。

「キュテリア、おはよう」

 イリン=エルンの学院で一緒だったキュテリアだった。

「戻ってきたの、ルカナは」

 ヴァシルが沈んだ顔をしているので何かあったのと尋ねたが、ヴァシルは首を振った。学院長室に向かったが、ダルウェルはいなかった。キュテリアが茶を入れてきた。

「学院長様は外泊なのよ」

 マレラのところに行っているのだ。

茶をもらいながら、『空の船』にティセアがやってきた経緯を話した。キュテリアが驚いて茶碗を落としそうになった。

「まさか…イージェン様とティセア様がそのような仲だなんて」

 キュテリアは後宮の女たちの治療などに当たっていたので、後宮の事情には詳しかった。

「ティセア様が見つかったとき、従者だという若い男と一緒だったというのは聞いていたけれど、それがイージェン様だったのね」

 国王はティセアを訪ねたがったが、王太后が疎んだため、遠慮してほおっておくようになった。ティセアは子どもも取り上げられて、一番美しい『花の年頃』をただ空しく独り寝で過ごすだけの寂しい身の上になった。気の毒なことと思っていた。

茶と一緒に持って来た薄いパン生地に香草とチーズを挟んだものをヴァシルに差し出した。

「でも、よいのでは…好きな方と一緒に過ごせるなら」

 取り上げられた子どもも酷い殺され方をした。グリエル将軍とも無理やり結婚させられた。いつもさだめに翻弄されて仇に身を任せて生きなければならなかった。少しは幸せになってもいいと思った。

「うん…」

 ヴァシルもうなずいた。食欲がないとパンを返し、茶だけ飲み干した。

 扉が開いて、ダルウェルが入ってきた。ヴァシルに気が付いて驚いた。

「おう!戻ってたのか!」

 マレラと娘のところで過ごしてきたからだろう、にこにこと機嫌が良かった。

立ち上がってお辞儀し、イージェンからの伝書を渡した。かなり分厚いその伝書を受け取って読み始めたダルウェルが途中から鼻をすすり、指で目頭を押さえた。

「そうか…ティセア様…」

 グリエル将軍の離邸でひとり寂しげに座っていた。身震いするほど美しかった姿を思い出した。

「よかった…」

 許せないままかと思っていた。回り道したかもしれないが、これでよかったと心からうれしかった。

「学院としてはまずいが」

 自分もごまかしていることもあり、あまり他の学院には知られたくないとふたりに納得してほしいと頼んだ。

「了解しています」

 ヴァシルが暗く沈んだまま声を震わせた。キュテリアも承知しましたと頭を下げた。ダルウェルが礼を言い、ふたりに座るよう示したが、ヴァシルが震えたまま立っているのを変に思った。

「どうした、ヴァシル」

 ヴァシルは声を殺して泣いていた。

「わ、わたしは、イージェン様の弟子にしていただいたのに、失敗ばかりして」

 見限られたと机に泣き伏した。

「ヴァシル」

 キュテリアが心配して背中をさすった。

「見限られたって…」

 船から追い出されたと震えていた。ダルウェルが残りの伝書にさっと目を通し、ヴァシルの肩をぽんぽんと叩いた。

「ここに寄こしたのは、ある方を『空の船』まで運んでほしいからだぞ、あいつはそうそう簡単に見限るなんてしないから」

 ヴァシルが濡れた顔を上げた。

「ある方…を…」

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