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第294回   イージェンと陽光の『空の船』(1)

 『空の船』は、買出し組が港街から戻った翌朝、夜明け前にはすでにイェルヴィールの王都上空に到着していた。ヴァシルは荷車を探しに行ったが、なくなっていたとすっかり落ち込んでいた。

「盗まれるなんて」

 こんな間の抜けた魔導師なんていないと眼を真っ赤にしているので、ルカナがまた頬をつねった。

「いっつ!つねるのやめてくれ!」

 ルカナがぷぅと頬を膨らました。

「藪に隠しただけなんだから、盗まれたって文句言えないわよ、それより、早く買い物行くわよ」

 背負子がふたつあったので、それで荷物を運ぶことにした。ヴァシルが、頬を押さえながらさっさと先を行くルカナの後から付いていった。

 イージェンが甲板から地上を眺めた。

 王宮がすぐ足元にある。八年ぶりだ。かつてあの王宮の奥まった館にいたネサルの妻だった王女シェラディアを殺し、学院長ザブリスを殺した。

「あの女だけは殺さなければ…よかった」

 ネサルは裏切ったと誤解していた。ほんとうは逃がしてやったのだと知ったら、あんな風に殺せとは言わなかったはずだ。いつも後悔ばかりだとないはずの胸を痛めた。

すっと地上に向かって降りていった。

 円形屋根の学院の裏手に降り立った。薬草園まで道が延びていた。いくつかのヒトの気配があったが、そちらには行かず、学院長室の窓を探して覗いた。学院長室には誰もいなかった。もしや薬草園かと戻ると、ヴィルヴァの気配がした。そのほかにも小さな気配がたくさん感じられた。足元に何かが当たった。

「だぁあっ」

 赤ん坊が這い這いしていて、イージェンの外套を握った。ひょいと抱き上げた。まだ一つ半くらいか、男の子だった。

「アトル、どこだ」

 背の高い草の間から声がした。草がふたつに分かれて、大柄な女が現れた。

「ヴィルヴァ」

 ヴィルヴァは灰色の外套を着ていなくて、ズボンと袖なしの胴衣を着ていた。

「イージェン様」

 背中に五つくらいの子どもを背負い、右腕にみっつくらいの子どもを抱えていた。驚いたようすはなく、もう来てくれたのかとお辞儀した。

港街スィイムルグに買出しに行ったんだが、『例祭』で店がやってないので、こちらに来た」

 背中の子どもを降ろし、イージェンが抱え上げた子どもを受け取った。

「オルタンシア、大魔導師イージェン様だ、挨拶しろ」

 背中から降りた子どもは女の子だった。地べたに両膝を付き、最敬礼した。

「オルタンシアです。大魔導師イージェン様」

 はきはきと大きな声で挨拶した。イージェンが手を取って立たせた。

「大魔導師イージェンだ、よい子だな」

 はにかむように笑って、ヴィルヴァの後ろに隠れた。

「アトルはひとつ半、ヤノスはみっつ、オルタンシアは五つになる」

 起き抜けの身体を解していたと話しながら、学院長室に向かった。学院長室の前で教導師らしい男が伝書の束を持っていた。

「朝食を食わせろ」

 伝書と子どもたちを交換した。学院長室に入り、ヴィルヴァが学院長席を勧めた。すっと席に座り、机の前に立ったままのヴィルヴァに椅子に座るように示した。壁際の椅子を持ってきて座った。

「国王陛下に挨拶していかれるか」

 イージェンが少し考えてから、手を振った。

「今回は止めておこう。本当はキャニバール卿の墓も訪ねたいが」

 落ち着いてからのほうがよいのではとヴィルヴァも無理に勧めなかった。

 書付けを差し出した。受け取り、目を通した。

「代金は払う」

 ヴィルヴァがいやと手を振った。

「ラトレルを預けるので、その養育分としていただければいい」

「いいのか」

 うなずいて、揃えさせるので待っていてくれと出て行った。イージェンは立ち上がり、ぐるっと部屋の中を見回した。天井や壁のところどころや椅子の背もたれにも黒い染みがあった。その染みに触れた。

 扉が開いてヴィルヴァが入ってきた。

「これは、俺が付けた跡か」

 ヴィルヴァが天井や壁を指した。

「そうだ、あれも、それも」

 イージェンが手を伸ばし壁の染みに触った。

「何で修繕しない」

 ヴィルヴァがふわっと浮き上がり、天井の染みを摩った。

「あなたがここに来たという証しだから」

 すっと床に降りた。

「気になっていたが、俺のこと、知っていたのか」

 ヴィルヴァが学院長席を指した。

「ああ、あなたがそこに座っていたザブリスを殺すところを見ていた」

 窓を差した。

「あの窓の外から見ていた」

 キャニバール卿の逆恨みというザブリスの説明に納得がいかないので、もう一度問いただそうとして学院長室に向った。鋭い殺気を感じたので、窓に回り、イージェンがザブリスの胸に剣を突き刺しているところを見たのだ。イージェンは怒りに震えていた。目を真っ赤にして。その姿が強く心に焼き付いていた。

「そうだったのか…誰かが見ていたなど思いもよらなかったな」

 ヴィルヴァが窓際に立った。

「あなたは、魔力を破壊と混乱のために使うと叫んでザブリスを殺した、だが、結果的には、ザブリスはじめ、卑怯な陰謀をたくらんだやつらを一掃することになった」

 皮肉なことだと窓の硝子に手をつけた。

「ザブリスが死んで、すぐに私が学院長になった。まだ十七だったが、他に適任者がいなかった」

 それから、王宮と宮廷、学院の腐敗を糾弾して、陰謀の首謀者だった前国王を退位させ、従弟の現国王を即位させたのだ。

「確かに皮肉なことだな」

 ヴィルヴァがくるっと身体を回し、腕を組んだ。

「この国はそれでまともになった。他の国の学院はもちろん公国、自治州にも目を光らせている。完璧とはいかないが」

 かつてイージェンの母を殺したダルク公国公王の息子ジュスタンは、学院に敵意を持っていて、伝書受け入れの体制を承知しなかった。そのため、協力体制を受け入れることを条件にジュスタンの従兄が公王につくよう手助けし、ジュスタンを幽閉した。国や自治州の間での小競り合いが多かった以前よりはこの大陸も混乱が収まっているはずだと胸を張った。

「さきほどのオルタンシアはかなり強い魔力をもっている。わたしの後を継がせたいので、しっかり鍛えようと思っている」

 アトルも強くなりそうなので、七つになったら、カンダオンの学院で育てさせる予定にしていた。

「カンダオンは今特級が四人しかいない。国土が広いのでなかなか行き届かない。それで、こちらからふたりほど巡回させている」

 どこも特級は不足しているのだ。

「ところで、ドゥオールのゾルヴァーとはかなり不仲だな」

 経緯はアリュカ学院長から聞いたがと言うと、ヴィルヴァが険しい眼をした。

「あれは屑だ」

 アランテンスが隠居するというので、イメインと一緒に訪ねに行ったときのことだった。アランテンスに自分が精錬した星見の筒を贈呈すると、ゾルヴァーがイメインが精錬したものだろうと難癖をつけて、ドゥオールの王侯のたちの前で『競い合い』をすることにしたのだ。そのときにヴィルヴァがゾルヴァーを諸侯の前でバカにしたのでゾルヴァーが恨んだという話だった。

「アリュカ学院長は知らないからな」

 しかたないがとヴィルヴァがため息をついた。

 『競い合い』をする前にドゥオールの魔導師がヴィルヴァの部屋を訪ねて来た。キレイなドレスや首飾りをやるから精錬してくれとたくさんの道具を持ってきた。ドゥオールにはあまり強い魔力の特級がいなかった。

ヴィルヴァは断ったが、時計が動かなくて困っている、学院長では、動かないものもある、アランテンスに頼むわけにもいかないのでやってほしいとせがまれ、ドレスなどは受け取らないで、その日夜なべして精錬してやった。

 ところが、その道具は、ゾルヴァーが貴族やヴラド・ヴ・ラシスに金で頼まれていたものだった。『競い合い』を見に来ていた大商人が精錬してやった携帯時計をもっていたので、おかしいと思って、頼みに来た魔導師を問い詰めたところ、白状したのだ。

「強欲おやじとでも罵ってやりたかったが、たいした魔力もないくせにとだけ言った。それなのに恥を掻かされたと逆恨みされた」

 このことはイメインやアランテンスにも言わなかった。

「言えばイメインに叱られなかっただろうに、何故言わなかった」

 ヴィルヴァが顔を逸らした。

「イメイン様はザブリスが宮廷で画策するのを嘆いていた。ほかの大陸とはいえ、学院長が腐っていること、聞かせたくなかったし、隠居するアランテンス様を悲しませたくなかった」

ザブリスは、ラ・クィス・ランジの駒を動かすように宮廷や王立軍の人事を操りたかったのだ。

 扉が叩かれて、返事をすると、教導師がワゴンを押してきた。

「頼まれたものだ。一応そろえられたと思う」

 薬草と薬、茶葉、書物、紙などだった。

「急に来て無理を言ったな」

 袋に詰めた。ほどなく、さきほど子どもたちを連れて行った教導師がやってきた。

 赤ん坊の胴着、ズボン、肌着やおむつ、山羊の乳の入った瓶も何本か持っていた。ヴィルヴァがそれも袋に詰めた。

「あいつは『聡い』から、もうおむつはいらないかもしれないが、寝るときだけでもつけておいたほうがいいから」

 面倒かけるがよろしくと頭を下げた。

 五つくらいの袋の口を閉じ、縄で繋いだ。

「あわただしくてすまんな、いずれゆっくり訪れる」

 ヴィルヴァが手を振った。

「異端の始末で手が必要なときは呼んでくれれば手伝う」

 イージェンが、十分警戒をしてくれと言って、繋いだ袋を持って飛び上がった。ヴィルヴァは、その姿に、あの日の少年の姿を重ねていた。思い出すと胸が熱くなる。この気持ちはなんだろうなと思う。

「今度来てくれたときには…」

 会わせたいヒトがいるからと遥か上空に消えて行ったイージェンに向かってつぶやいた。

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