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第285回   イージェンと罪深き島(上)(4)

 四の大陸ラ・クトゥーラを発ったイージェンは、目覚めたばかりのエアリアを気遣いながらも急いで戻らなければと焦っていた。

…いったいなにが起こったんだ?なんでティセアがさらわれるんだ…

 検体か人質か、いずれにしてもひどい目に会わされる。命も危ないかもしれない。特殊検疫などされたりしたら、おかしくなってしまうかもしれない。心配でたまらなかった。

師匠せんせい、どうかしたんですか」

 エアリアがまだ身体の力が戻らないようで、弱々しく尋ねた。

「先日二の大陸に行ったとき、俺の妻だった女を船に連れてきたんだ。その女がどういうわけか、カトルにさらわれてしまったとかで」

 エアリアが青い眼を見張った。

師匠せんせいの…奥様?」

 イージェンが昔の経緯を話した。エアリアは黙って聞いていたが、なぜか少し寂しい気持ちになった。

「…いろいろとご苦労されたんですね」

 ああとうなずきながらイージェンが仮面をエアリアに向けた。

「すまないな、おまえと殿下の間を許してやらなかったのに、俺は妻を側に置くことにしてしまって」

 エアリアが首を振った。

「いえ、そのような方なら、この先も諸侯たちがほおっておかないでしょうから、保護する意味でも一緒にいたほうがいいと思います」

 またすまないとあやまるイージェンの胸元をぎゅっと握った。

「苦しいのか」

 ええと息をつくので、イージェンが堅く抱き締めた。

「船に着いたら、元気のでる茶を入れてやるから」

 イージェンの胸に顔をうずめてエアリアが目を閉じた。

 ようやく三の大陸を越え、一の大陸近海に戻ってきた。『空の船』を捕らえ、はるか上空から一直線に甲板に降りた。

 すでに夜も更けていたが、ヴァシルが甲板で見張りをしていた。

師匠せんせい…」

 イージェンの姿を見て、顔を泣き崩して甲板に額を付けた。

「…すみません…またわたしは…」

 イージェンが立ち上がれと命じた。

「いったいどうして連れて行かれるなんてことになったんだ」

 厳しい口調で言ってから、エアリアを寝かせたらすぐに南方大島に行くと船室に向かった。廊下を進んでいると、リィイヴが艦橋からやってきた。

「…イージェン、戻ったの…」

 腕に抱きかかえているのがエアリアと知り、目を見張った。

「どうしたの、エアリア…」

 寝かせるからと下の階に急いだ。追いかけながら話しかけた。

「怪我したの!そんなに強い相手だったの!」

 イージェンがぶわっと扉を開けた。

「魔力を使いすぎて疲れているだけだ」

 怪我も少ししているが命に別状はないとベッドに横たえた。エアリアが目を覚ました。

「エアリア…」

 リィイヴが目を真っ赤にして覗き込んだ。エアリアが包帯を巻いている手を差し上げた。

「大丈夫ですから」

 リィイヴが心配しないでと微笑むエアリアの手を握って頬に押し付けた。

 イージェンが、茶を入れてやるからと厨房に向かった。入れる間に詳しく話せと言うと、ヴァシルがティセアはすでに戻っていると震えた。イージェンが驚いて振り返った。

「戻っているって…奪い返してきたのか」

 厨房に行くと、カサンが湯を沸かしていた。

「イージェン、戻ってきたのか」

 その湯を貰うことにした。カサンがレヴァードを起こしてくると出て行った。

「詳しく話しますから、船長室の隣に来てください」

 ヴァシルが深々と頭を下げた。ただならぬ様子を感じ、急いで精錬しながら茶を入れた。エアリアの部屋にもっていくと、リィイヴが受け取った茶碗を渡しながらエアリアの頬に掛かる髪の筋を払った。

「後でまた来るから」

 ゆっくり休んでいてと部屋から出た。

「側にいてやってもいいぞ」

 イージェンが気遣ったが、リィイヴが首を振った。

船長室の隣の部屋に行くと、ヴァシル、レヴァード、カサンが待っていた。

「レヴァード、おまえも連れて行かれたと書いてあったが」

 イージェンが長靴を脱いで敷物の上に上った。レヴァードがうなずいた。

 まずリィイヴが、ティセアがカトルに連れて行かれたときの様子を話した。ヴァシルがおびきだされ、プテロソプタが船を襲い、ティセアを連れ去った。レヴァードが懸命に縄梯子に捕まっていたが、海に落ち、その後プテロソプタに引き上げられたところまで話した。

「よくもそんな無茶を」

 イージェンが戸惑った声でレヴァードに仮面を向けた。

「必死だったんだ」

 レヴァードがその後を引き継いで話し出した。

「カトルは俺にも麻酔弾を撃ってきたので、起きたときはエトルヴェール島に到着していた…」

 なんで連れて行ったのか聞くと、女の素子を捕まえるようミッションを与えられたとのことで、この船に銀髪の女素子がいることを思い出して、捕らえたのだと答えた。

「銀髪…エアリアと間違えたのか」

 よく見ないで撃ったようで、間違えたまま、トリスト大教授に渡してしまったのだ。

 イージェンがぶるっと震えた。

「トリスト…あいつが…なんのために…」

 バレー・アーレの硝子の部屋。あの部屋でトリストに生きながら解剖されたことを思い出し、もう痛む身体はないのに、あのときの苦痛と恐怖が蘇ってきた。

素子ではなく普通のシリィの女性と知ったカトルは、船に返すとレヴァードと強引に奪い返した。検体を奪った上、ラスティンという助教授を殴り倒し、重大違反者として追われることになった。そしてアンダァボォウトで船まで送ってきて、出頭するために戻って行ったのだ。

 リィイヴが外部記録媒体ヴァトゥンを差し出した。

「これに…実験のことが記録されてる…直接読み取れるよね」

 イージェンがためらいがちに手ぶくろの手のひらを開いた。リィイヴがその上にヴァトゥンをそっと置いた。

 手がぐっと握られると、拳の中が青く輝いた。

 手の中のヴァトゥンがパシッと音を立てて破裂した。ぶるぶると震え出し、手のひらで仮面を覆ってうなだれた。

「まさか…あのときのあれがこんなことに…」

 使われるとは…とひどくうろたえている声だった。

「このこと…ティセアは…」

 レヴァードが、戻ってくるまでずっと麻酔を掛けていたので、さらわれたことやその間に実験をされたことも知らない、疲れで倒れたと思っているはずだと話した。

「おまえが処置してくれたんだな」

 レヴァードがうなずくと、ありがとうと小さくつぶやいた。ヴァシルが敷物に額を押し付けた。

師匠せんせい、ほんとうに申し訳ありません…わたしがまたひっかかって…しまって」

 イージェンが仮面を逸らした。

「…ひとりにしてくれないか…」

 リィイヴがイージェンの肩に触れようとしたが、レヴァードが首を振った。泣き伏すヴァシルをレヴァードとリィイヴが抱きかかえ、部屋を出た。

 レヴァードがヴァシルに少し寝るよう勧めた。

「いくら何日も寝ないでいいっていっても、少しは寝たほうがいい」

 ヴァシルは小さく頭を下げて自分の部屋に入っていった。リィイヴはエアリアが怪我をして戻ったとレヴァードに話し、看病するからと離れていった。


 カサンがレヴァードに朝まで横になろうと言って部屋に戻ったが、レヴァードはしばらく艦橋で『調薬の書』を読んでいた。少ししてイージェンが気になり船長室の隣部屋に戻ろうとした。途中厨房に明かりが点いていたので、そっと覗きこんだ。

 イージェンが何かをすり鉢ですっていた。側に草の入った木箱が置いてあった。

「調薬してるのか?」

 レヴァードが声を掛けるとイージェンがかすかに顎を引いた。厨房に入っていき、『調薬の書』を見せながら尋ねた。

「ちょうどいい、今勉強中なんだ、なんの薬なのか、教えてくれ」

 イージェンは何も答えずただ首を振った。レヴァードが険しい眼を向けた。

「中絶の薬だな」

 しばらく黙ってすり続けていたイージェンが冷たい声で言った。

「テクノロジイで出来た子どもなど許すわけにはいかない」

 だが、そのすり棒を持つ手がかすかに震えていた。レヴァードがその動揺を感じとって、ぐいっと近寄り、手を掴んだ。

「だったら、俺やカサンやリィイヴはどうなんだ、俺たちもテクノロジイで出来たんだぞ」

 イージェンがその手を払いのけた。

「おまえたちとは違う」

 険しい眼のままイージェンの仮面を見つめた。

「違わない、同じ命だ。どんな出来かたでも命に変わりはない」

 イージェンの手が止まった。

「ほかの男の子どもだったら、中絶もやむをえないかと思うが、あんたの子どもじゃないか。これからティセアを抱けばいい、そうすればそれで妊娠したってごまかせるだろう」

 イージェンが手ぶくろの手で仮面を覆った。

「…できないんだ…」

「『決まり』なんてどうでもいいじゃないか!」

 レヴァードの肩を掴んだ。レヴァードがはっとイージェンの仮面を見上げた。

「『決まり』がどうのってことじゃなくて、俺にはもうヒトの『営み』はできないんだ」

 もう身体がないんだと天井を見上げた。

「身体がないって…」

 どういうことなのかと聞き返したが、イージェンは語れないと言って立ち尽くしてしまった。触れてはいけないことなのだと察した。

素子は『ヒトの領域』ではない。

 実際に魔力を目で見、リィイヴたちと話をしていくうちに、体感的にそう思ったことだったが、果たしてそれは当たっているようだった。

 これ以上は自分が立ち入るべきではないとレヴァードはそっと厨房から出て部屋に戻った。

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