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第280回   イージェンと策謀の大陸《ティケア》(3)

「なにか…近付いてきます」

 副操縦士がレェイダァを確認した。金属物ではない。

「動物…鳥でしょうか…」

 白い羽を広げているようにも見える。次第に近づいてきた。

「…ヒ、ヒト…です!」

 副操縦士が顎をガクガクさせて悲鳴を上げた。

「素子…素子なのね…」

 タニアも目を見開き、強張った。その白い羽を広げたように見えたのは、白い布を被っていたからだ。

「信じられません、飛んでいます」

 操縦士もぶるぶる震えていた。ギュンと近付き、プレインの前の窓にバンッと張り付いた。

 銀色の髪をきりっと結い上げている大きな青い眼の女だった。年は三十少し過ぎくらいか、目を吊り上げていたが、かなり美しい女だった。

「…アリュカ…」

 アダンガルが口の中でつぶやいた。女素子が拳を作り、窓を叩こうとした。その寸前で止め、口を開いた。

『異端の民、地上での啓蒙行為は禁じられているはず、すぐに立ち去りなさい、さもないと、この窓を叩き割ります、割られたらどうなるかは、あなた方のほうがわかっているはず。すぐに立ち去りなさい』

 凛とした声がプレインの壁を伝って、機内に響いてきた。

「うむっ…」

 エヴァンスが険しい眼で窓に張り付いている女素子を睨みつけた。

「聞こえているか、素子」

 エヴァンスが口を開いた。素子は窓の向こう側で顎を引いた。

『聞こえています』

「ここに君たちの国の王子がいる。プレインを破壊すれば、巻き込まれるぞ」

 素子が冷たい眼で機内を見ていた。

『立ち去りなさい』

 窓に拳を叩き付けた。ガッと音がして、強化硝子の窓にヒビが入った。

「わぁっ!」「きゃぁあっ!」

 みんな驚いて悲鳴を上げた。ヒビだけだったが、次第に亀裂がピシピシと走っていく。

『次は本当に窓を割りますよ』

 素子が冷たく言うと、バッと白い布を広げて姿を消した。

「早く、補修帯を!」

 副操縦士が後部室にいる乗組員を呼んだ。乗組員があわててやってきて、窓に補修帯を貼り付けていく。

 エヴァンスがふっと肩の力を抜いた。手が震えていた。やはり緊張したのだろうとアダンガルがそっとエヴァンスの手を握った。

「アダンガル…」

「おじいさま、ここは引いてください」

 窓を割られたら大変なんですよねと心配した。

「タニア、戻ろう、もう充分見ただろう」

 ええとうなずいたタニアもめまいがしたらしく、ソロオンの手を借りて後ろの座席に戻っていった。

「アダンガル、もう君は敵とみなされたな」

 戸惑うアダンガルをエヴァンスが座りなさいと椅子に座らせた。ぎゅっと手を握り、肩を抱き寄せた。

「もう戻れないな」

 アダンガルがえっと息を飲んだ。

…戻れない?そんな…

「でも心配しなくていい、わたしのところにいればいいんだから」

 アダンガルの頭を肩に押し付けた。

「あの国は君のものだ。必ずあの水の国を君のものにしてあげるから」

 民は、素子たちよりも幸せにしてくれる君を為政者として歓迎するはずだよとアダンガルの気持ちを揺さぶった。

 アダンガルがぶるっと身を震わせた。

 セラディムの学院に戻ってきたアリュカは、国内を巡回している魔導師たちからの伝書やヴラド・ヴ・ラシスを監視させているものたちからの報告書を読んでいたが、そこに財務省の執務官のひとりがやってきた。

「閣下よりの伝書です」

 財務大臣からの伝書によれば、王太子の側近スティスが王都の護岸工事をヴラド・ヴ・ラシスに発注してしまい、そのため費用が三割増しになっている。つい先だってもエクセヴィル州の河岸修復工事をヴラド・ヴ・ラシスに発注してしまっていた。今後もそうなると、予備予算では補填しきれないので、早めに対策してほしい。宮廷に意見書を出すので、学院も国王に提言してくれと書かれていた。

 アリュカがはあとため息をついた。執務官が耳元でこそりとささやいた。

「閣下にアダンガル様はお元気か聞いてこいと言われました」

 学院がかくまっていることはバレバレねと苦笑した。

「存じません」

 澄ました顔でそう返事し、提言については約束した。

 書面整理しながら迎えた夜明け頃に窓の外で気配を感じた。

「ご苦労さま」

 声を掛けると、キィッと小さく開いてアートランが入ってきた。アリュカが席を立ち、水出し茶を筒のような硝子杯に入れて、差し出した。

「なんか、妙な雲行きになってきたぜ」

 アートランが腹減ったと言うので、アリュカが少し待ってと厨房に向かった。厨房ではすでに朝食の準備に調理係や従者たちが来ていた。その中に混じって、調理を始めた。厨房のものたちが、学院長が妙なことをしているとひそひそと話していた。米粉を練ってカリカリに焼き、青甘辛子と鳥肉の細切りを乾煎りして赤辛子のスゥウプに入れて少し煮込んだ。

「朝飯の献立ではないですよ」

 朝に食べるには重すぎるのだ。調理係が呆れていた。

「これしか得意な料理がないのよ」

 アリュカが困った顔をしながら笑った。そのほかに苦菜と小魚の空揚げの酢漬けを作って、持っていった。

「お待ちどうさま」

 学院長室に入ると、アートランが窓のほうに向いていたが、振り返った。アートランの口から遣い魔の鳥の足がはみ出していた。

「アートラン、待てなかったの」

 アリュカががっかりして机に盆を置いた。

「遅いから」

 その足もバリバリと食べてしまった。

「これ、伝書」

 口元の血を手の甲で拭って、書筒をぽいと投げてよこした。東オルトゥムからの伝書だった。アリュカが筒の中を広げて読んでいる横で、アートランがアリュカの手料理に手をつけ始めた。アリュカがちらっと横目で見て、うれしそうに目元を緩めた。アートランは、酢漬けを食べたが、むすっとした。

「まずい」

 赤辛子の煎り煮も食べたがこっちもとため息をついた。

「姉さんのほうがうまい」

 アリュカがしゅんとなってすねたような顔をすると、文句を言いながらも口に運んだ。

「エアリア、上手なの?」

 うなずいて米粉を焼いたものを食べた。

「姉さん、殿下と別れたぜ」

 アリュカがええとうなずいた。

「サリュース殿が四の大陸から王女が輿入れするって言ってたから」

 気の毒だけどしかたないわと返書を書き始めた。

「でも、もう他の男と楽しんでる」

 アリュカがはっと頭を上げた。

「そう…」

 そっと羽ペンを置いた。

「もしかしたら、あのマシンナート?」

 聡明な感じの優しい顔立ちを思い出した。

「ああ、そいつ、リィイヴ。パリスの息子だってさ」

 アリュカが目を見開いた。

「ジェナイダ様の従弟ね、どこでつながっているかわからないものね」

 アートランがすっかり平らげてから、茶を飲んだ。

「さっき、妙な雲行きとかなんとか…」

 アリュカも茶を飲んでひといきついた。アートランがうなずいた。

「ああ、ゾルヴァーのやつ、併合なんて考えてないぜ」

 もちろん、ヨン・ヴィセンをドゥオール王につけるつもりもない。

「では、どうするつもりなの」

 細かいことはわからないけどと前置きした。

「ゾルヴァーのやつ、ランスとつるんでる。ランスは、アラザードを侵略する気だ、そのためにドゥオールの協力が必要と考えている」

 アリュカが目を激しくまばたきした。

「やはり」

 二の大陸のウティレ=ユハニが大陸統一を目指して領土拡大していることに刺激されたらしい。ネルタを吸収するというのも噂ではないようだった。そのため、ドゥオールにセラディムの動きを抑えてもらい、動き易くするつもりなのだ。加えて、アラザードとの国境も刺激させて、気を逸らし、その間にアラザード攻略を進めるのだ。

「そんなことより異端を警戒しなければならないのに」

 アリュカがはあと大きなため息をついた。ウティレ=ユハニ王都の惨状を知って、思いとどまってくれればいいが。

「ミスティリオンで、争いには関与しないなんて唱えるけど、意味ないな」

 学院は秩序を重んじるはずだが、大魔導師が亡くなってからは、安易に領土拡大によって国力を上げようとするものが出てきているのだ。ウティレ=ユハニのユリエン学院長もそのひとりだった。

「サディ・ギール学院長には伝書を出しにくいわ」

 ランスの学院長サディ・ギールは、三代の国王に仕えていて、七十過ぎだがかくしゃくとしていた。王室や宮廷への影響力は他の学院以上と言っていい。しかも、年を取るにつれて、頑固さが増していた。

「ランスのじじいは、あんたのこと、大ッ嫌いだもんな」

 アリュカがええとため息をついた。

 十七年前、両国の間に位置する自治州で起きた『災厄』をどちらの学院が鎮化するかで揉め、そのときに会談したのだが、アリュカの大きな腹を見て、ふしだらだと怒って、杖で叩いたのだ。そのため、赤ん坊を早産してしまった。その赤ん坊がエアリアだった。アランテンスが黙認したこともひどく腹立たしかったようで抗議文を寄こしていた。

「あの老体なら、イージェン様のことも軽んじるかもしれないわ」

 ありうるなとアートランも同意した。

「でも、『腐っても』大魔導師様だ。仮面に警告を出してもらおう、とにかく今は異端の警戒が先だ。極北の海と各大陸北海岸はやばいぜ、まじで」

 事情は自分が説明して出してもらうことにすると請け負った。

「よろしくね」

 アリュカが真剣なまなざしで頼んだ。

「それと、ゾルヴァーだけど、併合しても学院長にはなれないし、それならこのまま毎年管理料を搾り取って、ランスに恩を売ったほうがいいと思ってるから」

 アラザードの硝子工房を譲ってもらうつもりでいるのだ。

「王太子殿下は利用するだけなのね」

 わかっていたことだけどと少し気の毒そうにつぶやいた。

「あいつはひがみっぽくて欲深で、ふしだらなやつだ。もし心を入れ替えたとしても、とうてい国王の器じゃない」

 アリュカも同意した。それじゃ行くからと窓を開けた。飛び出る寸前、ぶっきらぼうに言い残した。

「ごちそうさま」

 アリュカが驚いて窓に寄ると、すでに姿は見えなくなっていた。

「あの子ったら、いい子になっちゃって」

 うれしそうな目で空を見上げた。

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