第275回 イージェンと南海の嵐《スュードゥヴァンテ》(下)(1)
エトルヴィール島の北海岸にある北ラグン港の詰所では、カトル助手が重大違反を犯して逮捕命令が出ていることを知り、驚いていた。副主任のピラトに、トリスト大教授から音声通信が入ってきたが、雑音をいいわけに了解せずに電文をもらった。
「シリィの女…まさか、アルリカさんか?」
ピラトが、さきほどのミッションに参加した部下に尋ねた。
「検体って、たしか魔導師だって、銀髪の…アルリカさんじゃないですよ」
なにか訳があるに違いないと、ピラトが部下にアンダァボォウト三号艇の出航準備を継続するよう指示を出した。堰水門工事現場の管理所からピラトに音声通信が入った。
『バイアスだ、緊急事態だな、そっちに応援に行くから』
副監督のバイアスが一方的に告げて、通信を切った。通信は全て管制棟で記録されているし、今も傍受されているだろう。直接会って話したほうがいいのだ。
明け方、バイアスがプテロソプタで到着した。
「カトル助手、まだ着てないのか」
どこか途中で着陸して、陸路を来るのかもしれないなと話し合ってから、新都の管制棟に連絡を入れた。カトルの小箱から、現在地が特定できるので、確認してもらうことにした。
『こちらに助手以上のクォリフィケイションをもつものがいないので、特定できません』
新都には、何人か助教授以上の地位のものが着任したが、この時間管制棟にはいなかった。
「わかった、トリスト大教授に北ラグン港には到着していないと伝えてくれ」
了解と管制棟が応えた。
「この近くでプテロソプタが降りられるところってあったか」
ピラトがモニタァに地図を表示し、ある場所を指した。
「ここくらいかな」
北ラグン港の五カーセル西側にある村の跡だ。そこならば平らな場所がある。そこから港までの道は狭くモゥビィルなどは通れない。馬やヒトがやっと通れるくらいだ。時間的に見て、もしかしたら、もう港に来ているかもしれない。
呼びかけてみようかとピラトが提案した。バイアスもそれがいいと同意した。港に何箇所が設置されている拡声器で呼びかけた。
『こちら、ピラト、カトル助手、違反の事情を聞きたい。詰所に出頭されたし』
続いてバイアスも呼びかけた。
『カトル助手、バイアスです、わたしも事情を聞きたいです。出て来てください』
しばらくして、港の西側の密林を掻き分けて、ひとり港にやってきたものがいた。詰所の外にいた部下が駆け寄っていくのが窓から見えた。
「カトル助手だ!」
バイアスが詰所から飛び出していった。詰所に何人か集まってきて、カトルが入ってくると、シンと静まり返った。
「カトル助手、いったい何があったんですか、検体の窃盗とか上司への傷害行為とかって…」
ピラトが心配そうな顔で尋ねた。バイアスが椅子を勧めると手を振って断った。
「ミッションで魔導師を捕獲したんだが、その女、魔導師じゃなくて、普通のシリィの女だったんだ。それで返してやろうと思って」
断られたので、上司を気絶させて、強引に連れ出して来たのだと話した。ピラトとバイアスが戸惑った顔を見合わせた。
「間違えたんだ…もっとよく見て撃てばよかったんだが…」
カトルがはあと大きなため息をついた。
「とにかく、女を船に返してくる。戻ってきてから出頭するから抵抗されて逃げられたって言ってくれないか」
今逮捕したいだろうが、戻してきたいから、勘弁してくれと頭を下げた。
「必ず戻ってくるから」
ピラトが悩ましげにみんなを見た。五、六人いた部下たちはどうしてよいか分からない様子だった。ピラトが顔を逸らした。
「ほんとうなら逮捕しなければいけませんが」
抵抗されたとするからとその後は何も言わなかった。カトルがもう一度頭を下げて、外に出た。ピラトが三号艇の係員に退避するよう連絡した。
「カトル助手、もどってくるって言ってたけど…」
バイアスが心配そうに窓から見える後ろ姿を目で追った。ピラトが首を振った。
「戻ってくるって言ったらそうするさ。そういうヒトだよ、あのヒトは」
詰所を出たカトルは、一度藪の中に戻った。
「話をつけた。アンダァボォウトに乗ろう」
話をつけたと聞いて、藪の中に潜んでいたレヴァードが驚いたが、カトルが寄こすオゥトマチクを受け取った。カトルがティセアを背負い、藪から出た。遠巻きに部下たちが見ている中、桟橋に向かった。桟橋にいた係員が小さく敬礼した。
レヴァードが先に入り、ティセアを受け取った。カトルが操縦席に座り、起動させて、離岸した。
隣席に座ったレヴァードが音波探査装置のモニタァを見ながら、尋ねた。
「船の位置のデェイタ、あるか」
前回使ったアンダァボォウトなので、デェイタはあるはずだと言われ、検索し、指標を設定した。
「みんな、よほどおまえを信頼してるんだな」
レヴァードが感心していた。黙って見送っていた連中は大丈夫だろうかと言うと、カトルがうなずいた。
「俺が抵抗したってことにしたし、戻ってからエヴァンス指令に話をするから」
レヴァードが目を見張った。
「戻らないほうがいい」
エヴァンスに死刑にしてやると罵られたことがあるレヴァードにしてみれば、カトルがどれだけつらい目に会うか、察せられるのだ。
「戻らないでどうしろっていうんだ。俺はテクノロジイを捨てる気は毛頭ない」
たとえ大魔導師とやらに始末されるとしても、シリィにはならないと計器盤を睨んでいた。
「頑固だな」
だからこそ、信念を貫いて上司にも逆らうのだろう。
「…う…うん…?」
後部船室に寝かせていたティセアが起き掛けたようだった。レヴァードがあわてて、後部船室に向かった。
少し薄目を開いているが、まだ意識ははっきりしていない。
「カトル、いつ着くんだ」
噴霧式の注射器で麻酔を打った。カトルが自動操縦にしてやってきた。
「今日の夜中だな」
そんなに掛かるのかと眉をひそめた。
「麻酔が足りないのか」
「いや、持つには持つが」
カトルが隅の戸棚からスゥウプとパンがセットになった携行食のパックを出し、温め、トレイに乗せて持ってきた。レヴァードに渡してから自分の分も持ってきて、側に腰を降ろした。
ふたりでもそもそと食べていたが、カトルがふと眠っているティセアを見つめた。
「ティセア、おまえの恋人なんだろ、どうするんだ、素子の子ども、妊娠してるんじゃないのか」
レヴァードがスゥウプを噴出しそうになって、ぐっとこらえた。
「げほっ、ち、違うって…」
首を振った。
「第二大陸のどこかの国だかのお姫様なんだ」
みんなで大切にしてるからと濁した。カトルがもしエヴァンスの元に戻るのなら、イージェンに関しては言わないほうがいいだろう。
カトルがそうかとトレイを片付けてからカファを入れた。
「おまえ、本当にシリィになるのか」
うなずきながら受け取って、カファの湯気を見つめた。
「素子たちがテクノロジイを嫌うのは、地上を汚染するからってことらしいが、それはヒトも含めてみたいだ。なんていうか…」
限りなく自然物だけで生きようとしているのだ。
「それは無理だろう。だから、ひどい暮らしになるんじゃないか」
飢えと病気で苦しんでいるのに見殺しだと吐き捨てた。レヴァードが険しい目をカトルに向けた。
「マシンナートは確かに飢えることはないし病気で苦しむことも少ないが、それは厳しい人口制限と健康管理をしているからだ。限られた人数しか生きられないのは似たようなものだ」
最初から減った分だけの人数を出産するような調整をしているからだ。インクワイァはもちろんだが、ワァカァも予定出産数を上回ると出産数制限法が適応される。
「それだって、生まれたらきちんと生きられる。シリィはたくさん生まれてもろくに育たない。だったら、最初から生きられる人数だけ生んだほうがいい」
レヴァードがカファをすすった。
「ヒトだけの問題じゃないってこと、わかってるか?この惑星全体の問題なんだ、それでは済まされないってことなんだ」
カトルがはっとレヴァードの横顔を見た。
「この惑星全体の…問題…」
素子から借りた書物には、繰り返し書かれている文句があると話した。
「空と地と海とそこに住まう生きとし生けるもの、『理』に従い、生きること」
自然の力による生産性が限られているから、生き延びられる命の数には限りがある。だから、自然淘汰が行われるのだ。ヒトに限っては制限ができたとしても、惑星全体の淘汰を人工的に調整することはできない。テクノロジイを地上で展開すれば、その淘汰の調整を人工的に行おうとして、結局生態系を乱してしまうとレヴァードがため息をついた。だが、カトルは頭を抱えながら苦しげな声を絞った。
「飢えと病気に怯えながら生きろっていうのか…俺にはできない」
レヴァードが天井を見上げた。
「俺たちは知ってしまっているからな…空腹もなく清潔で便利な生活ってやつを…」
それを捨てるのは恐ろしいし難しいだろうと険しい目をした。はっとカトルが顔を上げた。
「エヴァンス指令、大魔導師と交渉するって言ってた。それで説得できれば、地上でテクノロジイを使えるようになるのでは」
レヴァードがまさかと手を振った。
「大魔導師がそんなこと許すはずない」
イージェンはテクノロジイの利益性は充分わかっているはずだ。それでいて否定するのだから、エヴァンスに説得されるとは思えない。
カトルは、気持ちの向けどころを失って、レヴァードから目を逸らした。