表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
263/404

第260回   イージェンと暁の星《オォゥヴエトワァアル》(上)(3)

 翌日、ラウドが宮廷の会議の後にバドロフ公と勉強会の打ち合わせをしていると、リュリク公がやってきた。ラウドが呼んだのだ。

「殿下、妃殿下のことでお話があるとか」

 バドロフ公が下がろうとしたので、すぐに済むからと留めた。

「妃の振る舞いのことで学院に苦情を言ったそうだが、それはもう俺がなんとかするから、学院の責任は問わないでくれ」

 サリュースが王太子妃を訪ねて、そこでラウドともめたことはすでに耳に入っている。ラウドが四の大陸の食事を用意させたり、ジャリャリーヤの部屋を訪ねることは確かに『しきたり』に反しているが、頑ななジャリャリーヤの気持ちをほぐしていこうとしているラウドの熱意なのだから許してもいいのではと思っていた。

「苦情があったと、学院長が言ったのですか」

 ラウドがうなずいた。リュリク公は内心不愉快でたまらなかった。苦情ではない、当然の責務を遂行するよううながしただけだ。

「わかりました、宮廷は学院の責任を問いません」

 了解して下がった。

 執務宮の玄関広間でヴァブロ公が待っていた。

「殿下のお話とは」

 気になって帰らないでいたのだ。学院長が先だっての話を苦情と言っていることが腹立たしいと話した。

「学院長も熱心なのだが、どうも思いやりに欠けるというか」

 鷹揚さがないとヴァブロ公がため息をついた。

「妃殿下のことは、殿下にお任せしよう。一緒に夕餉を取るところまで行ったそうだから」

 ヴァブロ公が国王に報告に行くことにした。国王はまだ体調がすぐれず会議の後すぐに後宮に向かっていた。

 リュリク公が執務宮内にある大公家の別邸に帰った。自宅は王宮の外に大きな屋敷があるが、今は執務が忙しく、また夫人のラクリエも後宮の仕切り役になっているので、ほとんどこちらで暮らしていた。そのラクリエも心労で倒れ、少し良くなったら療養させるために屋敷に戻そうと思っていたが、なかなか動かすまでには回復していなかった。

「おかえりなさいませ、お義父様」

 次男ナーヴァントの妻ロジヌが出迎えた。ナーヴァントが祖母方の大公家を継ぐときに嫁いできた。年は二十歳だが、すでにふたりの息子の母親だった。義母ラクリエの看病のため、呼んでいたのだ。

「どうだ、ラクリエの様子は」

 日中はベッドの上で身体を起こして、書物などを読んでいるということだった。

「だいぶよくなったのだな」

 ロジヌがうなずき、茶を用意させた。

「孫たちが寂しがっているだろう、屋敷に帰るといい」

 乳母たちがいるが、それでもまだ母親が側にいないと寂しがる。茶碗を差し出しながら、ロジヌが少し頬を赤くして首を振った。

「ナーヴァント様のお世話もありますし」

 明日から勉強会があり、しばらく泊り込むということだった。その後、隣国に交渉に向かってしまうので、当分会えなくなるのだ。親同士で決めた結婚だったが、ふたりの夫婦仲はとてもよかった。ロジヌは、義父母にもよく仕えてくれていて、華奢な身体でもうふたりも息子を産んでいた。よく出来た嫁とリュリク公夫妻もかわいがっていた。

「あれの世話など従者にさせておけばいい。子どもたちのほうが大切だ」

 リュリク公はふたりの孫息子を目に入れても痛くないほどかわいがっていた。妃以外に側室などを持つことを許していないエスヴェルン王室では国王夫妻に世継ぎが出来なかった場合には、血筋的に一番近い大公家の中から王太子を出すことになっていた。ふたりの孫息子は、ナーヴァントが継いだバドロフ公家の跡取りであるばかりでなく、もしラウド王太子夫妻に継嗣が出来なかったときには、このうちのひとりが王太子になる。ナーヴァントの妻ロジヌはやはり王族の血筋である内務大臣ルスタヴ公の息女なので、その子どもたちはもっともふさわしいのだ。

 ラクリエを訪ねると、横になっていた。ラウドが熱心にジャリャリーヤの気持ちを解きほぐそうとしていると聞き、ラクリエが目頭を押さえた。

「なんてお優しい…」

 ラクリエの顔に少し生気が戻ったようだった。

「きっとよい方向に行くだろう、そなたも早く元気になってくれ」

 リュリク公が励ました。

 夕餉の時間になって、ナーヴァントが戻ってきて、長子のルトリスもやってきた。

「屋敷に戻ったのではないのか」

 リュリク公がルトリスが食卓に座ろうとしたのを不機嫌そうに咎めた。

「母上のお見舞いに来たのですよ、ついでにご相伴に預ろうと思って」

 ルトリスは母親のラクリエによく似ていて優美な顔立ちと優しい性格の貴公子だった。楽器や歌が得意で、文才もあるので、貴族のサロンでは人気者だったが、王立軍大将軍であるリュリク公としては、武人として育ってほしかったというのが本音だった。ルトリスの方も暢気なもので、弟の子どもを養子にして跡継ぎにすればいいと言って、今だに妻も持たずに気ままに過ごしていた。

 上機嫌で食前酒を飲み始めているルトリスをほおっておいて、リュリク公は、ナーヴァントに話しかけた。

「勉強会のほうの準備はどうなんだ」

「資料は殿下がすっかりご用意されていて、人数分書写させて日程を組んだだけです。明日はわたしの都合が悪いので、明後日午後から夜にかけて五日間続けてすることになりました」

 教育大臣のラシンヴァル公たち諸侯を始め政経学院の教導師たちが参観に来るということだった。

「殿下は嫌がっておいででしたが」

 ナーヴァントがロジヌが取り分けた骨付きの鳥肉を食べた。

「わたしも見に行くつもりだ」

 ナーヴァントが驚いてから困ったようなため息をついた。

「そういえば、殿下が妃殿下を外に連れ出して騒ぎになったとか」

 ルトリスがさっそく噂になっていると告げた。

「どこでそういう噂になっているのだ」

 リュリク公が不機嫌に詰問した。ルトリスが弟と顔を見合わせて肩をすくめた。

「ヴァブロ公夫人のサロンですよ、夫人方は呆れ顔でしたが、姫君たちはうらやましそうでした」

 自分たちも馬に乗せてくれとせがまれて断るのに大変だったと軽口を叩くのでもういいとリュリク公が手を振った。

「そなたも女たちのサロンなどに出入りせず、どこかの役所で仕事したらどうだ」

 以前も財務省や刑部省などに席を用意したのだが、二日と立たずに止めてしまった。

貴族の子息は大勢いるのだから、もっと適任なものにやらせればいいんですよ、わたしはいいんですと笑っているばかりなのだ。

「では音楽院の教導師になります。それなら適材適所ですから」

 リュリク公がばかなことをとため息をついた。

 夕餉を終えてから、兄弟で酒を飲みながら、ラ・クィス・ランジ(盤戯)を始めた。

「兄上、そろそろ落ち着いたほうがいいぞ、父上もかなり頭に来てる」

 あまり怒らせないほうがいいと言うと、ルトリスがくすっと笑った。

「ぼくは大公家を継ぐ気はないよ、甥っ子たちのどちらかを養子にして嗣子にすればいい」

 学院には、宮廷で儀式や宴のときに演奏する楽曲の楽譜はあるが、市井の民楽のものはなかった。民楽にこそ、ヒトの心を打つ音楽があるというのがルトリスの持論だった。そのため、五大陸を渡り歩き、各大陸に散らばる民楽の楽譜を編纂したいと言うのだ。それは子どもの頃から聞かされていたことだが、本当にできるわけはないと弟の方が大人ぶって聞き流していた。だが、兄のほうは、大人になったのに、今だにそんなたわごとを言っているのだ。

「全部俺に押し付けていくわけか、まったく兄上は」

 気楽なことだと呆れた。

ロジヌがラクリエが寝入ったと戻ってきた。

「少し麦粥をお口にされました」

 それはよかったとルトリスもナーヴァントもほっとした。ルトリスがすっと腰を上げた。

「兄上、逃げるのか」

 まだ勝負はついていない。ルトリスが、王妃の駒を王の駒の横に置いた。

「おやすみ」

 ふふっと意味ありげに笑って出て行った。

「なんだ、兄上」

 むっとして膨れていたナーヴァントがロジヌが頬を染めて立っているのに気が付いた。

「あなた…明日、わたくし、屋敷に戻ります」

 子どもたちの面倒を見なさいとお義父様に言われましたと目を伏せた。

「そうか」

 側に来るよう手招きした。華奢な身を膝の上に座らせた。

「兄上も気を効かせすぎだ」

 ふうとため息をついた。甘えるように寄りかかってきたロジナをしばらく会えなくなるなと抱き締めた。


 王太子妃ジャリャリーヤは、王太子が帰った後、寝室に戻り、そこに花束を見つけた。

「きれい、たくさん…」

香りもよく、彩りも鮮やかだった。

「王太子が置いて行ったんだわ」

 花束に頬ずりした。

 『チビ』で赤毛なのは嫌だけど…。

 むりやり馬に乗せるなんて乱暴なことをするのに、花を採ってきてくれたりと優しいところもあって…それにあの学院長こわかったのに、かばってくれた。

 いきなり首を振った。

「ううん、やっぱり『チビ』で赤毛は嫌、一緒に食事するのは学院長が来るとこわいからよ」

 そんなにすぐに気持ちを許したりするもんですかとつぶやいた。

 翌朝、花束をふたつに分けて、食卓とベッドの側卓に飾らせた。侍女のレオノラが花束はラウドが置いて行ったとすぐにわかった。

「これは…」

 言いかけて止めた。王太子の名を出すとまたすねてしまうのではないかと思ったのだ。黙ってふたつの花瓶に分けて飾った。枕元に白いリアリの花が一輪ぽつんと置いてあった。しおれかけているので、始末しようとした。

「触らないで」

 ジャリャリーヤがさっと花を取り戻し、はさむから紙をもってきてと命じた。大きめの紙を持ってきてリアリを挟み込んだ。

「押し花にされるのでしたら、重石したほうが」

 レオノラが別の紙を重ねていき、板で上下から挟みこみ、書物を何冊か持って来て乗せた。

「そうやって重石を載せるのね、知らなかったわ」

 母妃の部屋に飾られていた花の絵は本物の花を紙に押し付けたものだった。同じようにして額に入れようと思ったのだ。

「これでときどき紙を替えて十五日くらいしたら出来上がりますよ」

 けっこう時間がかかるのねぇと感心していた。

 押し花の書物があるというので、借りてきてもらい、ふたりで見た。

「この花は、花束にあったものだわ」

「はい、これは今が旬ですから、花園に行けば咲いていると思いますよ」

 見に行きますかと尋ねたが首を振った。押し花の書物が気に入ったようで、何冊も持ってこさせて、ずっと見入っていた。水出し茶に添えられた焼き菓子も少し食べていた。

 夕方、ジャリャリーヤは、テラスに出て庭を見ていた。そわそわしているようにも見えた。

「妃殿下、夕餉のお支度、できましたが…」

 レオノラが声を掛けたとき、庭の奥からラウドが顔を出した。

 「妃」

 ジャリャリーヤがぷいと横を向いて部屋に入っていった。苦笑したラウドがテラスから部屋の中に入り、椅子に掛けると、レオノラが茶を硝子の杯に注いで下がった。

「食べよう」

 ラウドが杯を乾杯するように掲げた。ジャリャリーヤは掲げなかったが、杯は持って飲み干した。

「今日は何かしていたか」

 今日はベッドに寝ていないで起きて書物を読んでいたということはここに来る前にレオノラから聞いていた。

「押し花の本を読んだわ…」

 小さな声で返事した。そうかとラウドはにこにこして山鳥の肉を玉菜を塩漬けにしたものの上に乗せて蒸したものを取り皿に取り分けて差し出した。

「俺の好物だ、少しでいいから食べてみてくれ」

 ジャリャリーヤがそっとフォオクで刺し、口に入れた。何も言わないが、そのまま食べていた。

「先だって大魔導師と一緒に三の大陸に行ったんだ」

 そこで三の大陸の食事をして、赤辛子や慣れない香草であまり食が進まなかったと話した。

「妃もいきなり別の大陸に来たのだから、食べにくいとは思うが、少しずつでいいから、慣れてくれないか」

 ジャリャリーヤが空になった皿を寄こした。

「もう少し食べてみるわ」

 受け取りまた取り分けてやった。しばらくお互いに黙々と食べていたが、ラウドがふと思いついて尋ねた。

「俺には兄弟がいないが、妃には弟がいるんだよな」

 ジャリャリーヤは下をむいてうなずいた。

「俺に義弟(おとうと)ができたんだな、いつか会えるといいな」

 かわいいだろうなとラウドが言うと、ジャリャリーヤがカチャとスプゥンを置いた。

「かわいくなんか…ないわ、弟のくせに威張ってて、父上も母上も世継ぎだからってダレイオスばかり大切にして…」

 目が赤くなっていく。

 ラウドは、なんとなくジャリャリーヤがすねている訳がわかってきた。

「これからは俺がそなたを大切にするから」

 ラウドが優しい眼で見つめた。ジャリャリーヤがまたぷいと横を向いて、か細い声でつぶやいた。

「…口ではなんとでもいえるわ…」

 口だけじゃないと言ったが返事をせずにまた食べ始めた。しばらくしてぽつっと言った。

「ほんとね…」

 ああとうなずくと眼を伏せたが、うれしそうな感じだった。

 食事が終わって、自分の部屋に帰ってきてから、明日から勉強会で訪れることが出来ないと言ってくるのを忘れていたことに気が付いた。後で伝言するしかないかとベッドに横になった。

…寂しかったんだな。

 弟のほうが大切にされていてと泣きそうだった。どうしても世継ぎの男の子のほうが大切にされるだろう。かわいがってくれないとすねればすねるほど疎まれるのに意地を張っていたのだ。

 口だけじゃないと言ったが、実際にはどうすればいいのか、じっくりと考えないといけないなと思いながら寝入った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ