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第258回   イージェンと暁の星《オォゥヴエトワァアル》(上)(1)

一の大陸セクル=テュルフ中原の大国エスヴェルンの王太子ラウドは、晴れて四の大陸のサンダーンルーク王国王女ジャリャリーヤを妃に迎えた。

 だが、喜ばしいはずの婚礼の式や祝宴がジャリャリーヤの『わがまま』で台無しになってしまい、王宮は沈み込んだ空気になっていた。

王太子宮では、ジャリャリーヤが世話を拒むこともあって、いっそう侍女たちが近寄らなくなっていた。困った侍女長が執務宮内にあるリュリク公家の別邸にいるラクリエに相談に行ったが、ラクリエは疲れがひどく、寝込んでしまっていた。

 リュリク公の次男でバドロフ公ナーヴァントの妻ロジヌが看病をしていた。

「お義母様も気にはされていますが、今はとてもお世話できるようなお身体ではありません」

 侍女長もお大事にと帰るしかなかった。

 ジャリャリーヤは相変わらず寝室に引きこもって誰とも会わず話もせずにただぼおっと天井を見て過ごしていた。実のところ、もってきた乾パンがなくなってしまい、お腹が空いて動けなくなってきていたのだ。

 目を閉じると、サンダーンルークの王宮の食卓が浮かんでくる。羊のひき肉の辛炒め、何種類もの豆がそのままごろごろ入っている羊の脛肉のスープ、それに青辛子の実と豆と、小麦を練って小さくちぎって茹で上げたカムゥを炒めたもの。欠かせないのは水出しのお茶。甘くておいしい。

…アー食べたいな…王女なのにお腹が空いて死んじゃうんだわ…

 きっと、わたしくらいだわ、そんな死に方する王女なんて。こんなところに嫁がせたことを後悔すればいいのよ、父上も母上も…

 日も暮れてきて居間でヒトの出入りがあった。どうせ食べられないこの大陸の食事を並べているのだろう。

…お腹が空いても絶対食べないんだから。このまま飢え死にしてやるんだから。

 はあとため息をついて水を飲もうとしたが、水差しの水がなくなっていた。そおっと扉に近寄って耳を押し当てた。パタンと音がして出て行ったようだった。水差しだけ取り替えようと扉を静かに開けた。そのとたん、ふわっと料理の匂いがしてきた。

「……?」

 知っている匂いだった。床を這って食卓に近寄り、卓上を覗き込んだ。

「…うそ、これ…」

 皿に乗っていたのは、青辛子の実と豆、カムゥを炒めたものだった。それと香草と腸詰め、青辛子の実と肉のスープもある。

 ゆっくりと立ち上がり、まじまじと覗き込んだ。茶がいつもの陶器の茶器ではなく、硝子の筒に入っていた。

「水出しだわ…」

 杯も硝子。注いで飲んだ。

「…同じお茶じゃないけど…」

 甘くておいしい。喉が渇いていたこともあって、ごくごく飲んでしまった。匂いにも刺激されて、お腹がキュウキュウ鳴っている。きっと同じ味ではないだろうし、おいしいはずはない。

「でも、ちょっと味見してみようかしら」

 一口だけとスプゥンでカムゥをすくって口に入れた。

 まるっきり同じではないが、四の大陸の料理とずいぶんと似た味で、すっかり平らげてしまった。ベッドに横になりながら、リュリク公夫人が気をきかせてくれたのだとうれしかった。

 明日も出してくれるといいけど。

 このところ、お腹が空きすぎてほとんど眠れなかったが、今夜はお腹が膨れてゆっくりと眠ることができた。

 翌朝はこの大陸の献立だったが、茶だけは水出しだった。茶だけ飲んだ。

 夜もこの大陸の食事だったら、絶食しようと思っていたが、またカムゥを使った四の大陸の献立だった。タマネギ、ラクォウ(赤い実の野菜)、青辛子の実を刻んだ野菜の酢の物、カムゥには大好物の肉だんごが添えられていた。しかも根菜が刻んではいっている。そのシャキシャキした食感は故郷の味だ。

 もううれしくて侍女が入ってきても気にせずに食べていた。若い侍女で、水出し茶を持って来て、食卓に置いた。

「注いで」

 ジャリャリーヤが硝子の杯を指した。侍女が驚いたが、丁寧に手ぬぐいで硝子の筒を包み、傾けた。侍女が同じくらいの年頃なので、少し気を緩めて話しかけた。

「この食事、リュリク公夫人が用意してくれたのね」

 そういえば、ここ二日ほど姿を見せないなと気づいた。侍女が戸惑いながら答えた。

「…いえ、これは、王太子殿下が、四の大陸のことをいろいろ調べて献立表を書き、調理長に作るようにとお命じになったのです」

 機嫌よく食べていたジャリャリーヤの手が止まった。

「妃殿下?」

 ジャリャリーヤがぷいと立ち上がった。

「下げて、食べたくない」

 急にどうしたのかと侍女がおろおろとした。

「いかがなさいましたか」

 バンッと椅子を倒して寝室の扉に向かった。

「王太子が作らせたものなど、食べたくないわ」

 侍女が驚いて駆け寄った。

「殿下は妃殿下のことを心配されて、『しきたり』に反してもこのお食事を出すようお命じになったのですよ、殿下の優しいお気持ち、わかってください」

 ジャリャリーヤが扉を開けて、ベッドに飛び込んだ。

「わかりたくもないわ、あんな、わたしよりチビでわたしの大っ嫌いな赤毛の王太子、嫌なの、嫌っ…」

 侍女がバタンと大きな音を立てて扉を閉めた。食卓の皿を片付けようとしたが、ぶるぶると震えてしまい、料理を零しそうになってしまった。

「…ひどい、殿下のこと、あんな風に…」

 片付けできず、居間から出て行った。

 ジャリャリーヤは後悔していたが、突っぱねた以上食べるわけにもいかず、水も持ってこなかったので、すっかり元気がなくなっていた。

…調べたって、もしかしたら学院の書物で?

 他の大陸のことを書いた書物など、学院でもなければないだろう。

 そんなことまでして気を引きたいのかしら。

 ここに来てからも、菓子や果物を差し入れたりしてきたが、王太子の寄越すものなど食べたくなかった。どうせ、誰かに言われて寄越しているに違いない。

 もうカムゥが食べられないのだと思うと悲しくなって涙が溢れてきた。

 執務宮の書庫で資料集めをしてきたラウドは、王太子宮に戻りバドロフ公と約束した税制の勉強会の資料を作り始めた。

ふと机の端においてある書物が目に入った。魔導師学院から借りてきた四の大陸の仕様書だった。エアリアと同じく幼馴染の魔導師シドルシドゥに頼み込んで、こっそり貸してもらったのだ。センティエンス語で書かれているため、本来魔導師以外のものが読むことは禁じられている。ラウドは辞書を引きながらなんとか献立のところを書き直した。

 ジャリャリーヤ妃がほとんど食事を摂っていないというので、とても心配だった。食べ物というものは、各大陸の風土、気候などによって違うのだということを『空の船』の旅で実感した。

二の大陸はほとんど同じだったが、三の大陸の食事はかなり味や食感が違っていた。四の大陸は気温も高く、乾燥していて、取れる食物も違うだろうから、口に合わないのかもしれないと考えて、仕様書を読んでみた。やはり、一の大陸では、羊毛産地以外はほとんど食べない羊の肉を中心に、青辛子をたくさん使った辛味の強い献立が多かった。茶も湯ではなく、三の大陸のように水で出し、甘味をつけたりする。シドルシドゥに学院に青辛子に近いものはないか聞いてみたところ、少しなら調薬の勉強用にあるのでと分けてくれた。

 厨房にある食材で代用できそうなもので献立を作り、調理長に作らせるよう侍女のレオノラに渡した。レオノラは、王族の食事は『しきたり』によって決まっているので作ってもらえないだろうというので、自分で調理長のところに行って、頼んだ。

調理長は驚いて断ったが、作ってやってくれと熱心に頼むと、宮廷や学院に叱られますよと困りながらも調理してくれた。自分も一度味見した。辛いものは苦手だ。冬に食べると温まっていいかもしれないなとは思いながら、かなり苦労して食べた。

「この先もずっと作ってやるわけにはいかないからな、どうするかな」

 今は少しでも気持ちが落ち着けばいいかと資料作りに戻った。

 翌日、王太子妃の食事の世話に行っていた侍女のレオノラが従者控えの部屋で護衛隊隊長のイリィ・レンを捕まえていた。

「イリィ殿、聞いてください、妃殿下、ほんとうにひどいんです!」

 イリィがしぃーっと指を立てた。このところ、リュリク公夫人の具合が悪く、人手が足りないということもあって、レオノラが王太子妃の世話を手伝いに行っていた。婚礼の式からずっと王太子妃の態度が見苦しいので、宮廷はもちろん王太子宮の中でも非難の声が上がっていた。

 レオノラははじめ怒っていたが、急に前掛けで顔を覆って泣き出した。

「レ、レオノラ殿、落ち着いて」

 まるで自分が泣かせたようでイリィは困ってしまった。

「だって、妃殿下、殿下が作らせた食事なんて食べたくないっておっしゃられて…」

 イリィが固まった。せっかくの王太子の心遣いを何故わかってくれないのか。こんなことなら、エアリアを妃にしたほうがよかったと胸が詰まった。

 レオノラがもう止められなくて、首を振りながら声を高めた。

「その上、殿下が、ご自分より『チビ』でご自分が大っ嫌いな赤毛だから、嫌だって!ひどすぎます!」

 バンッと扉が開いた。はっとイリィとレオノラが振り向いた。

「で、殿下っ…」

 ラウドが険しい眼で肩を怒らせていた。くるっと部屋に戻り、赤い外套をまとって、足早に居間を出て行った。

「殿下、お待ち下さい!」

 イリィが止めようとする手を叩き払った。無言のまま、ズンズンと廊下を歩いていく。途中ですれ違う従者や侍女たちがその様子に青ざめて両脇に退きお辞儀した。ラウドは、中庭の回廊を回り、王太子妃の部屋のある棟にやってきた。

 扉がいきなり開き、控えの間にいた侍女長があわてて椅子から立ち上がった。

「殿下!?」

 王太子が妃の居間を訪ねることは『しきたり』に反している。ふたりが会うのは寝所と呼ばれる棟でしか許されていない。

 侍女長が青くなって止めた。

「殿下、こちらのお部屋には入れません!」

ラウドがかまわず居間への扉を開けた。

「妃!」

 居間にはいない。奥の寝室に走り寄った。バァンと扉を両側に勢いよく開けた。ベッドに横になっていたジャリャリーヤが悲鳴を上げた。

「キャァァァッ!」

 掛布を被って震えているジャリャリーヤから掛布を引き剥がし、腕を握ってベッドから引き摺り下ろした。

「イヤァッ!」

 裸足のままだったが、そのままぐいぐいと引っ張って寝室から出た。

「なんなのっ!離して、離してっ!」

「こんなところに引きこもっているからいけないんだ!少しは外に出て日に当たれ!」

 もがくジャリャリーヤにもかまわずひっぱっていく。

「殿下、おやめ下さい!」

 イリィや侍女長があわてて追いかけてくる。ラウドが前を睨んだままイリィを呼んだ。

「イリィ、馬引け!」

 イリィがラウドを追い越した。中庭に下りて、馬繋ぎ場からラウドの馬を引き出させ、玄関先に回した。表玄関が開き、ラウドがジャリャリーヤをひっぱって出てきた。

「乗れ!」

 嫌がるのを押し上げてその後ろに乗り、ハァッと声を掛けて長靴で腹を叩くと、馬が小さくいななき、走り出した。イリィと護衛隊数名が後に続いた。イリィが速度を上げて先回りし、南の正門の横にある小門を開かせた。小門といっても馬車が出入りする広さはある。駈足のままラウドが門を走り抜けた。

「イヤッ、降ろして!」

 たてがみにしがみつきながらジャリャリーヤが叫んだ。ラウドはギリギリと奥歯を噛み締めながら馬を走らせていた。ジャリャリーヤはしばらくわめいていたが、やがて黙ってしまった。

 途中で駈足を速足に変え、王宮外周の林の中を走っていたが、並足にしてゆっくりと停まった。馬がブルッルッと啼いて、首を振った。ラウドが馬から降りた。

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