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セレンと動乱の王国(5)

 学院広間にあった遺体は学院長らの遺体とともに西の館に運ばれていった。死人の運び出しが恐ろしくてカーテンの裏に隠れていたセレンがおそるおそる顔を出した。広間は血で汚れていた。イージェンが桶と雑巾を持ってきた。雑巾を絞り、広間を拭き始めた。セレンがそろそろと近づき、桶の中の雑巾を絞って、拭こうとした。だが、血が怖くてできないでいた。イージェンが壁の椅子を指した。

「やらなくていい、あっちで座ってろ」

 しばらくぼうっと立って見ていた。イージェンは黙々と床を拭き続けた。やがて疲れてきて、セレンは椅子に座った。イージェンは桶の水が赤く染まりすぎると、水を替えにいき、何時間もかけて床をきれいにした。空が白々と明けて来た。セレンは椅子の上で寝ていた。

「俺も少し寝るか」

 椅子の上のセレンを抱き上げ、膝の上に置いて、背もたれに寄りかかった。ちょうど胸の脇に当たった手のひらにトクトクと小さな鼓動が伝わってくる。ここちよい。

 起こさないように気遣いながら、抱きしめた。


 昨日学院に移動する間に状況を説明してくれた軍人は第二王子ジェデルの側近フィーリといった。昼少し過ぎに、フィーリは暖かい茶と焼き菓子を持ってきた。学院長室で話した。

「イージェン殿にお願いがあります」

 ジェデルに戴冠してほしいというのだ。

「まさか、民の前でやれってのか」

 フィーリがひざまずいてお辞儀をした。

「殿下に味方する貴族、執政官、軍兵の前でよいのです。たとえこの先マシンナートの力を借りて執政することになるとしても、やはり魔導師による戴冠が必要です!」

 イージェンが黙ったまま茶に焼き菓子をつけた。セレンの前には何も置いていなかった。

「イージェン殿、どうか」

 茶でふやけた菓子を食べながら言った。

「してやってもいい、儀式の次第は儀礼書に書かれているから滞りなくできるだろう。ただ、そいつら、俺を信用するか?」

 フィーリが喜んだ。

「もちろんです、お受けいただきありがとうございます!」

 南方大島、ルタニア辺境の両派遣軍掌握ができてから、執務宮の儀式殿で執り行うとのことだった。イージェンは、あとで儀式に必要なものを書いて渡すので用意するよう言いつけた。フィーリは何度もお辞儀をして出て行った。

 イージェンが菓子の皿をセレンの前に置き、茶を入れてやった。

「食べてもいいぞ」

 セレンが焼き菓子をかじった。初めて食べた。茶もいい香りで、とてもおいしかった。

 ほどなくして、学院の警備に当たっていた兵士が入ってきた。隣国学院長の来訪を告げてきた。

「入れろ」

 イージェンはセレンにカーテンの裏に隠れているように言いつけた。

「いいか、出てくるなよ」

 セレンが顔を青くしてうなずいた。扉が叩かれ開いた。

「失礼します」

 入ってきたものは、全身を覆う魔導師の装束ではなく軍服のような身体にぴたりとした服装でマントも両肩で止めていた。黄金の髪をきっちり束ねた細面の青年だった。机の前でお辞儀をしたが、その途中で、動きが止まった。

「ようこそ、エスヴェルンの学院長サリュース殿、カーティアの学院長イージェンだ、以後おみしりおきを」

 サリュースが震えながらゆっくりと顔を上げた。

「お、おまえは…アルテル殿は…」

 イージェンが椅子を示した。

「座れ」

 サリュースは険しい目で首を振った。

「アルテル殿はどうした!答えろ!」

 イージェンが椅子から立ち上がった。目が合ったサリュースが身構えようとしたが、動けなかった。

「なんだ?」

 イージェンが机を回ってサリュースの前にやってきた。肩を押し、椅子に座らせた。

「少しおとなしくしていてもらう」

 動きたくても動けなかった。目が合ったときに就縛の術をかけられてしまったのだ。エアリアを痛めつけたからには自分よりはるかに魔力が強いことはわかっていた。しかし、それほど油断もしていなかったはずなのに、こうもたやすく文字通り術中にはまるとは思ってもみなかった。

「アルテルは王位争いに巻き込まれ、命を落とした。前国王をはじめ、新国王になる第二王子と妹の第三王女以外の王族、魔導師、それらの一派はみな殺された」

 サリュースのふところを探り、結納の目録を見つけて勝手に開いた。

「おまえが殺したんだろう、イェルヴィール王国でも王族や学院長たちを殺害している。おまえは災厄だ。現し世にいてはならない存在だ!」

 目録を戻したイージェンが不愉快な顔をして机の向こうに戻った。

「なんとでも言え」

 なんとか動こうともがくサリュースが気づいた。

「セレンは、セレンはどうした!」

 セレンがカーテンの陰から出てきた。

「学院長様…イージェンさんは…」

 イージェンが首を振った。セレンは口を閉じた。無事を確認できたが、いずれにしてもセレンを人質にしてヴィルトに仕掛けようということは明らかだった。

「ヴィルトに復讐するつもりのようだが、セレンを人質にしても無駄だぞ、いざとなれば…」

 イージェンが机を激しく叩いた。重厚な机に亀裂が走った。サリュースの全身にも衝撃が走り、がたがたと震えた。イージェンがセレンに言った。

「食事をもらってきてくれ。学院長殿の分もだ。途中で摘むなよ」

 セレンが出て行った。険しい目でイージェンが再度机の前にやってきて、机の上に座った。

「おまえたちがいざとなったら、身内だろうが王族だろうが平気で犠牲にすることはわかってる。だが、あの子にそんなことを聞かせるな。仮面が助けに来てくれると信じて待ってるんだぞ」

 サリュースはこの男の真意がつかめず混乱していた。

「あの子が帰りたがっているのがわかっているなら、人質の意味もないのだからヴィルトに返せ、」

 イージェンは冷ややかな目でサリュースを見下ろした。

「返さない」

 イージェンは失くして久しかったものをふたたび見つけたように思っていた。返したくなかった。

 サリュースはなんとかヴィルトに知らせたかったが、どんなに気を集中しても、魔力を使おうとしても、身体はびくともしなかった。イージェンは椅子に腰掛けながら書物を読み始めた。背表紙を見てサリュースが驚いた。

「かなり難解な本だぞ、読めるのか」

 イージェンが背表紙を見た。

「読むことと理解することは別だがな」

 サリュースは少し落ち着きを取り戻してきた。少しでもイージェンから情報を得なければと話しかけた。

「同盟締結はどうするんだ、新国王のもとで続行すんだろうな」

 同盟締結というより、王太子婚儀がどうなるかが主眼だった。第三王女は生き残っているようなので、王権が交代しても続行を希望すれば可能ではないのかと考えた。

「同盟締結は白紙撤回だ」

 サリュースがあわてた。あれほどエスヴェルン国王が望んでいたことだ。国を挙げて王太子婚儀の準備が進められている。今さら撤回ではすまない。

「南方大島との戦争はどうするんだ、回避できないだろう、エスヴェルンの軍事協力がないと」

 新国王は、南方大島との戦争にはマシンナートを使おうとしているとフィーリから聞いた。イージェンもマシンナートがどう戦うのか、どのようなアウムズを使うのか、見てみたかった。

「軍部と財務部からの調査書を読んだ。もともとこの国だけでも南方大島との戦争はできた。それを前国王が、自分のところの懐をあまり痛めずにしたかっただけだ」

 サリュースが肩を落とした。しかし、王位簒奪が強引であるからには、逆に新国王も周辺諸国との関係にはそれほど強気に出られる状況ではないはずだ。

「新しい国王陛下に謁見させてくれ、軍事同盟という形ではなくてもいいから、是非姻戚関係を結び、国内安定に寄与したい」

 イージェンが呆れた。

「新国王がどんな人物か知ってるのか、王位のために、同母妹以外の王族や魔導師たちを殺したんだぞ。学院の賛同が取り付けられなかった国王と手を結ぶのか、エスヴェルンは」

 サリュースが言葉に詰まった。

 しばらくして、セレンが従者とワゴンを運んできた。従者が下がってから机の上に並んだ料理をイージェンがひと皿ごとに一口づつ食べ、パンもいくつかちぎって食べた。全ての皿を点検した。

「よし、大丈夫だ」

 セレンに椅子を持ってきてやり、座らせた。毒見をするということは、イージェンの立場は微妙なのか。サリュースの前にも皿が並んでいた。どうせ食べられないのにと思っていると、ふっと身体の緊張が抜けた。就縛の術が解かれたのだ。好機とばかりに立ち上がった。イージェンが先を制した。

「この部屋から出ようと思うな、骨まで溶ける仕掛けがしてある」

グルキシャルの神殿跡のことを思い出した。はったりではないだろう。

「食べていいぞ」

 セレンが頷き、食べ始めた。腰を下ろしたサリュースも水を飲み、香草をかじった。セレンはさきほどから落ち着かなかった。師匠はどうしているのか、聞きたかった。

「仮面はどこにいる、もうカーティアに入ってるんだろ」

 いきなりイージェンが尋ねてきた。予測していなかったので、サリュースはスプーンを落としそうになった。

「カーティアにはいない。エスヴェルンの王都にいる」

 うそをついた。イージェンが鼻先で笑った。

 扉が叩かれ、護衛兵が伝書を持ってきた。イージェンが席を立った。

「ちょっと出てくる」

 イージェンが出て行ってすぐにセレンが尋ねた。

「師匠や殿下やエアリアさん、どうしてますか」

「みんな、無事だ。それより、おまえに頼みたいことがあるんだ」

 急いで紙とペンを探した。インクに漬けず、ペン先を光らせた。書いた紙を丸めて筒に入れた。

「これをヴィルトに届けてくれ」

 セレンが驚いた。

「ぼく…とても…行かれません」

 エスヴェルンに戻ることなどとてもできない。日にちを掛けても戻る自信はなかった。

「ヴィルトはこの王都にいるんだ。今地図を書くから」

 別の紙にざっと地図を書き、ふところから巾着を出して、筒と地図と一緒に渡した。

「なんとかここに着けるよう、だれかに頼むんだ」

 セレンが首を振った。

「セレン!おまえはヴィルトの弟子だろう、学院のために働くんだ!」

 サリュースが動かないセレンの頬を叩いた。その勢いでセレンは床に倒れた。

「あっ!」

「早く行け!」

 セレンは震えながら立ち、学院長室を出た。廊下には誰もいなかった。師匠の元に帰りたいが、逃げたらイージェンが怒るだろう。王宮を出ることすら難しいことに思える。だが、部屋に戻ればサリュースに叩かれる。それも怖くて、なんとか出口に向かった。

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