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第217回   イージェンと王太子の婚礼式(3)

 ラウドの相手は若いものたちに任せてと、リュリク公とルスタヴ公らはかなり離れたところの別の卓を囲んでいた。声を潜めてだが、ルスタヴ公の弟がため息をついた。

「学院長には申し訳ないが、あの…妃殿下はちょっと」

 ルスタヴ公がちらっとリュリク公を見て、そっぽを向いているのに気づいて弟に手を振った。弟はばつの悪い顔でしきりに頭を下げた。

「そうは言ってももう婚儀も済んでしまっているし」

 ルスタヴ公の横にいた大公のひとりがつぶやいた。今更どうにもならないと首を振った。リュリク公が厳しい顔を向けた。

「エスヴェルン王室の一員となったからには、きちんとしていただく。今後はラクリエにも厳しくしつけさせる」

 国王への挨拶もきちんとできないなどとんでもなかった。

「学院にも対応してもらう。連れてきたから後はよろしくでは済まされん」

 サリュースがそういうだろうことは大方想像がついている。

 ラウドたちの卓に目を向けた。しらけきってしまった祝宴を盛り上げようとして、若いものたちと談笑しているラウドが気の毒でならなかった。

…妃はエアリアでなければ嫌です!他の姫では嫌です!

 そこまでいとしい娘をあきらめて娶った妃があれでは。 

ヴァブロ公が近寄ってきて耳元で、後でちょっとと囁いた。

「うむ。そうしよう」

 早く『お開き』してよいと国王に言われたのでラウドに申し出ると、せっかく用意した料理や酒なので飲み食いしてからでいいのではと言われたと、ルスタヴ公に告げた。

 広間も主役の王太子妃が不在だが、ラウドたちの若やいだ笑い声が響き、リュリク公長子のルトリスが貴族の姫たちを集めてリュートの弾き比べをはじめ、それなりの場を作っていた。

 ひととき半ほどののち、ラウドが席を立ち、ルスタヴ公が『お開き』にするよう侍従長に指示した。

 迎賓殿の裏口で数名の護衛兵を従えて、イリィが控えていた。ラウドが馬に乗って歩かせ出した。

「どうした、顔色がよくないようだが」

 ラウドがイリィが沈み込んでいる様子に尋ねたが、イリィは酒が合わなくてと言葉を濁した。

王太子宮に戻る間、無言だったが、ラウドは夜空を見上げていた。『空の船』のことでも考えているのだろう。

イリィは楽しみにしていた婚礼がこんなひどいことになって、悲しくてたまらなかった。

 王太子宮の玄関口では、従者、侍女たちとともにラクリエも出迎えていた。

「おかえりなさいませ、殿下」

 居間に戻って、普段着に着替えると、ラクリエがやってきた。レオノラが茶を入れて、出て行った。

「伯母上、お世話していただき、ありがとう」

 ラウドが自ら茶碗を差し出した。ラクリエが恐縮して受け取り、ゆっくりと飲んだ。丁寧に茶碗を置いて頭を下げた。

「殿下、その…妃殿下は先に休まれましたので…今宵は…」

 ラクリエが困り果てた眼を伏せた。きちんと言わなければならなかったが、言葉に詰まってしまった。ラウドが茶碗に眼を落とした。

「そうか」

 ぐいっと飲み干した。

「伯母上もお疲れだろうから、後はこちらに任せて休んでくれ」

 自分も疲れたので横になると言い、今にも泣き出しそうなラクリエを扉まで送った。

 寝間着に着替えてからもしばらく魔導師学院から借りてきた書物を読んで、書き物をしていたが、横になると従者に告げて、寝室に入った。

 サンダルを脱いで横になったが、ここ数日と同じようにすぐに眠れそうにない。その上、今夜は身体が高ぶっていた。

…異大陸に嫁がされて、愉快でないのはわかるが…。

 あの振る舞いでは、宮廷はみんなしてジャリャリーヤを非難するだろう。今日までは他国の姫君なので、『お客様』扱いしていたが、明日からは王室の一員だ。宮廷も学院も厳しい態度で接するに違いない。

もう戻れないのだから、ここで自分となんとか過ごしていくことを考えてほしい。自分もそうしていこうと思うのだし。

「なにか、好きなこととかしたいこととか…あるんだろうか」

 とにかく、話す機会を作らないと。

 リーヤ。ゆるやかに波打っていた、赤みがかった金髪がきれいだった。あの夜明けの海の波のような髪を撫でてみたい。

 妃となったのだから抱いていいのだと思うと、身体が熱くなっていく。

少しして、ようやく高ぶりが収まり、眠りについた。

 祝宴を中座したジャリャリーヤは、今まで使っていた迎賓殿の宿舎にさっさと向かった。ラクリエが追いついてきて、留めた。

「妃殿下、お戻りは王太子宮です」

 戸惑った眼で首を振った。

「もう宿舎はお使いになれません」

 荷物は…というので、すでに運んであると告げた。

「そう」

 小さくつぶやいてようやくラクリエの後についてきた。

 馬車に乗り、王太子宮に到着した。

 王太子宮の従者侍女たちが全員で出迎えていた。馬車を降りたジャリャリーヤに向かって一斉に頭を下げた。

「おかえりなさいませ、妃殿下」

 ジャリャリーヤが下を向いて駆け込むように玄関広間に入った。妃のために用意された部屋では、色とりどりの花が飾られていた。ジャリャリーヤがじっと見つめていたが、ラクリエたちが入ってくると背中を向けた。

「こちらが、王太子宮の侍女長、妃殿下付きの侍女たちです」

 ジャリャリーヤは振り返らず、横になりたいと小さくつぶやいた。

「妃殿下…湯浴みをされて、寝間着に着替えませんと」

 いくらなんでも、今夜の意味を知らないわけはないだろう。

「このままでいいの、横になりたいの…」

 止める間もなく、自分で寝室の扉を開けて入り、サンダルを脱いで、ベッドに横になってしまった。

 侍女長はじめ侍女たちも呆気にとられてしまった。ラクリエが枕元近くにまで近づき、厳しくたしなめた。

「妃殿下、今夜はおふたりの『初めて』の夜です。まさか、『床入り』のこと、ご存知ないわけではないですよね?」

 ジャリャリーヤは毛布を被ってしまった。

「…疲れたの、休みたいの、ひとりにして…」

 ラクリエが肩の当たりに手を掛けようとして留まった。

「…わかりました、おやすみなさいませ」

 寝室の扉付近に固まっていた侍女長たちに手を振って、外に出た。

「リュリク公夫人、どういたしましょう」

 侍女長が困り果てた顔をした。ラクリエが足元をふらつかせた。

「ラクリエ様!?」

 侍女長や侍女たちがあわてて支えた。早く休んだほうがといったが、ラウドには自分が言わないとと気丈に歩き出した。

 扉の外が静かになってから、ジャリャリーヤはそっとベッドから降りた。さっき居間で見たきれいな花をもう一度見たかったが、寝室にはなかった。

 裸足のまま扉に寄って行き、耳を押し付けた。最初の二日くらいは一晩中居間にラクリエや侍女が控えていたが、今日はもういないだろう。案の定気配はない。

 細く扉を開けた。やはり誰もいない。身体を低くしてそおっと出た。テーブルの上に、料理が置かれていた。床に置かれた大きな壺に白や赤の大輪の花々が入れられていた。近寄って花びらに指先を伸ばした。ひやっとした。

「冷たいのね…」

 顔を近付けて、顔覆いを持ち上げ、鼻を近づけた。

「いい匂い…」

…母上が使っていた香り水のよう…

 侍女の控室でガタッと音がして、あわてて花を一本取り、寝室に戻った。ベッドに上がって、毛布をかぶった。誰も来ないので、毛布から顔を出し、側のテーブルの灯りの下で花を見た。赤い花びらで、すべすべとしていた。

「きれい…」

 花びらを頬に押し付けた。少しおなかが空いたので、足元の荷物を探った。茶色の包みから堅パンを出した。その欠片を口に入れて、ゆっくりと口の中で溶かした。テーブルの上の水を飲んで横になった。

 この大陸の食事など見たこともないようなもので、まずそうで食べられそうになかった。茶も熱くて飲めないし、冷めると渋くておいしくなかった。

 王宮も呆れるほど広くて、きっと迷子になるだろう。それになんであんなずるずると裾の長いドレスを着て硬くて足が痛くなる靴を履くのか。動きにくいしすぐに裾を踏んでしまうから、着たくなかった。

「はあ…」

 大きなため息をついた。

…まるで母上みたい、あのリュリク公夫人って…

 ジャリャリーヤは生まれつき身体の弱かった。物ごころついたころから、母妃は王族として恥ずかしくないようにと厳しくしつけてきた。少しくらいなら具合が悪くても教導師に勉強させたり、しきたりを教え込ませたりした。もっと具合が悪くなったら、勉強しなくて済むかしらと、薬を飲まないでいたら、起き上がれなくなるほどひどくなった。

 それ以降、母妃はジャリャリーヤに厳しくしなくなったが、今度はまったく構わなくなった。その頃にちょうど弟のダレイオスが生まれて、そちらに気持ちが移ったこともあったのだ。父王も世継ぎとなる男の子の方を大切にしていたし、ジャリャリーヤに優しくしてくれるのは、時折訪ねてくれるタービィティンのネルガル学院長だけだった。最近は高齢になったために薬は送ってくれるが、来訪してきてくれなかった。

「じいやに会ってきたかったのに」

 送ってきてくれたタービィティンの魔導師アディアは、学院長代理で、二年くらい前から薬を届けに来たりしていたが、じいやの様子を聞いてもそっけなく冷たかった。

 嫁ぎたくなどなかった。大公家に降嫁するのも嫌だったが、ほかの大陸に来るなんて、もっと嫌だった。

「…それに、なによ、あの王太子…」

 わたしより『チビ』で、わたしが大ッ嫌いな赤毛じゃないの。

 いやよ、あんな赤毛のチビ。

 目から大粒の涙がこぼれた。目を閉じると頭の中にどこまでも続く故郷の砂漠が広がっていく。

「…嵐よ来て、砂漠の嵐…ヴァンディサァブル…」

言い伝えの中の『砂漠の嵐ヴァンディサァブル』、都を砂で覆い尽くしてしまうほどの嵐。外に出たら、息をすることもできず、砂粒で身体が削られてしまうほどのすさまじい威力。その嵐のとき、王宮は砂に埋もれ、王族もほとんど亡くなったのだ。もう千数百年も前の話だった。

「父上も母上もダレイオスも…みんな砂に埋まってしまえばいいのよ…」

 わたしをこんなところに追いやって、父上や母上はダレイオスと楽しく過ごすんだわ、きっと。

 ジャリャリーヤは寂しくて溢れてくる涙を枕に吸わせて寝入った。


 祝宴をお開きにする少し前、リュリク公とヴァブロ公は、祝宴を退座し、魔導師学院に学院長を訪ねた。あらかじめ訪問を伝えてあったが、サリュースは多忙なのですがと不愉快さを隠さずに応接の間で出迎えた。

「忙しいのは『お互いさま』だ、学院長」

 リュリク公も不機嫌な態度で返した。ヴァブロ公がふたりの間でおろおろとしていた。ため息をついたサリュースが、椅子を薦め、教導師に茶を持ってこさせようとしたがリュリク公が遮った。

「茶などいらないから、とにかく座ってくれ」

 サリュースが向かい側に座って、目線を下げていた。

「祝宴に出席してあのひどい振る舞いを見て欲しかった。婚礼の式からして想定されたことだったが」

 代理に出席させた副学院長から詳細が報告されていたので、サリュースもわかっている。

「陛下も殿下が不憫だとお嘆きで…、まさか『晴れ』の席であのあんなことになるとは…」

 ヴァブロ公も遠回しだが、非難した。サリュースがため息をついた。

「私もあれほどおかしいとは思いませんでした。ごくふつうには王室のものとしてのしつけはされているものと思っていましたから。サンダーンルークの学院には謝罪に来訪するよう伝書を送りました」

 リュリク公が険しい眼でサリュースを睨んだ。

「あちらに謝罪を求めるよりも先にやることがあっただろう」

 サリュースがはっと眼を上げてすぐに伏せた。

「いくら男と口を利かないとはいえ、ひとことも注意せずに済ませていたのは学院長の怠慢だろう」

 サリュースが膝頭をぎゅっと握った。

「サリュース」

リュリク公が名前で呼びかけた。サリュースが怒りを滲ませた顔を逸らした。

「そなたが、面倒なことを避けたがるのは昔からだが、これほどとは。失望したぞ」

 リュリク公は容赦なかった。サリュースがぎっと唇を噛んだ。

 扉が叩かれ、教導師がラクリエを中に入れた。

「ラクリエ」

 リュリク公夫人ラクリエが疲れ切った様子で入ってきた。リュリク公の隣に座っていたヴァブロ公が席を空け、ラクリエがサリュースに小さく頭を下げて座った。何も言えずに震えているラクリエにリュリク公が尋ねた。

「どうしたのだ」

 ラクリエが大きく息をした。

「その…妃殿下が『床入り』を…拒まれました…」

 ヴァブロ公がなんとと息を飲み込んだ。リュリク公が正面のサリュースを睨んだまま聞いた。

「殿下はなんと」

 サリュースがびくっと肩を震わせていた。

「わたくしに疲れたろうからあとは任せて休むようにとおっしゃられて、自分も疲れているので横になると」

 ラクリエが飾り手巾で目頭を拭った。

「学院長、妃殿下に妃としての『義務』を果たすよう説得してくれ。このままでは殿下に申し訳ないだろう」

 エアリアを諦めさせて娶わせたのだから、その責任はあるはずと言い、ラクリエを抱きかかえるようにして出て行った。ヴァブロ公も小さくお辞儀して続いた。

 サリュースが顔を赤くして震えていた。

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