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セレンと動乱の王国(2)

 ヴィルトはまだ学院長室で報告書を見ていた。サリュースは各方面への指示書を書いていて、まだ報告書を読んでいなかった。ヴィルトが話しかけた。

「あの男だが、八年前、トゥル=ナチヤのイェルヴィール王国のシェラディア王女、学院長、特級魔導師他多数殺害した犯人らしい。当時イェルヴィールからそのような報告はなかったが」

 サリュースがペンを止め、かたわらの杯を取った。

「トゥル=ナチヤはイメイン様が亡くなられたことも五年以上たってから言ってきたくらいだ、どうも不祥事を隠したがる」

 サリュースは水で喉を潤した。ヴィルトが言った。

「特級のものを派遣して、一度徹底的に調査する必要があるかもしれない」

 ヴィルトは報告書をすべて畳み、続けた。

「もし派遣するとなると他の大陸とも相談しなければならないが、キロン=グンドからの報告で、どうやらあの男らしき魔導師が何人かと争ったとのことだ。しかし、他の大陸の学院による破壊行為という可能性も否定できずと、ひどく懐疑的な回答をよこしている。派遣に賛成するかどうか微妙だ」

 サリュースが額に手をやった。

「やはり大魔導師がいないと真義と秩序は保たれないのか」

 他の大陸のことはサリュースにとっては二次的なことだ。この大陸の真義と秩序が保たれればよいのだし、それぞれの領域を守ることも必要である。しかし、実際に火の粉が降りかかっている今、このままにしておけないことも確かだった。

 扉が叩かれ、エアリアが入ってきた。

「戻りました」

 サリュースが驚いた顔で見つめた。ヴィルトが立ち上がった。

「明日は早い、もう寝なさい」

 エアリアがふたりにそれぞれお辞儀をして出て行った。サリュースが肩で息をした。

「一晩過ごしてくると思ったが、ふたりともまだ子どもなのだな」

 ヴィルトが挨拶もせずに出て行った。サリュースがふたたび肩で息をし、羽ペンを取った。


 カーティアの王都ニザンの宿には、朝の暖かな日差しが差し込んでいた。セレンが目覚めたとき、隣はからっぽだった。顔を洗いに井戸に行くと、宿の女が水を汲んでいた。

「おにいさんは夕方まで戻らないって。朝ごはん、あとで運んでいくからね」

 セレンに桶を寄こした。顔を洗って部屋に戻った。紙を出して手習いをしていた。女が朝飯を運んできた。

「おや、えらいね、手習いかい」

 セレンがふと思いついて尋ねた。

「おねえさん、字書けますか、教えて欲しいんですけど」

 知りたい文字があった。女は困ったように首をふった。

「まさか、あたしなんか…そうだ、宿に学生さんが泊まっているから聞くといいよ」

 食べ終わって配膳の盆を下げにいきながら、学生を紹介してもらった。隔年で行われる政経学院の入学試験を受験に地方から出てきた学生だった。政経学院は幼年部から上っていく内部入学者と地方から受験する外部受験者がいて、内部入学者はほぼ貴族の子弟だった。外部受験者は試験も難しいため、合格すれば当然優秀である。セレンは紙に書いてもらい、部屋に戻って、練習していた。

 夕方になり、イージェンが人買いの御者と戻ってきた。御者はセレンが一緒なので驚いていた。イージェンが脇に抱えていた大き目の木箱をテーブルの上に置いた。開いた木箱の中にはぎっしり金貨が詰まっていた。

「あの男に身内は?」

 鞭の男のことだ。御者が首を振った。

「身内はいません、サフォアの港に馴染みの女がいたくらいで」

 イージェンが木箱を閉じて、御者の方に押しやるしぐさをした。

「半分はお前にやる、残りの半分はその女に届けろ、馬車も馬ごとやるから、その後はどこへなりと行っていい」

 御者がびっくりした。

「そんな…弟さんが頭になってください、手下もすぐに集まりますよ」

 イージェンが腕を組み、そっぽを向いた。

「人買いなんてまっぴらだ、二度としたくない」

 今後一切のかかわりを絶つと言って、御者を追い出した。御者は名残惜しそうな顔で頭を下げて出て行った。セレンはなんとなく居心地が悪く下を向いていた。イージェンが紙に気づいて手に取ろうとした。セレンがあわてて隠そうとしたが、間に合わなかった。

「ちゃんと練習してたの…か…」

 機嫌よく紙を見たイージェンの顔がみるみる険しくなった。

「誰に教えてもらったんだ」

 セレンが震えた。

「…宿のお客さんに…」

「俺が教えてやるって言っただろう!しかも、よりによりってこんな!」

イージェンが紙を破り、丸めて床に叩き付けた。セレンが泣き出した。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」

 イージェンがやりきれない顔で出て行った。つらく当たるつもりなどないのに、ついかっとなってしまった。嫉妬したのだ。書かれていた名前に。

 ヴィルト。

 仮面の名前であることは知っている。この大陸の魔導師の頂点に立つ大魔導師。

いずれにしてもこちらが仇と狙う以上に、あちらは自分を始末したいだろう。忌まわしい存在として。

 今の時点でヴィルトに勝つことはできないが、なにか効力の強い魔術や道具を使って策を講じれば、勝機はあるかもしれない。さしあたりは、この国の魔導師学院の書庫に忍び込み、書物を盗ってみるかと王宮の方を見た。

 すぐに部屋に戻るのも気まずく、夕飯をひとり分運ぶよう頼んで、外に出た。酒はほとんど飲まないが、今日は飲みたい気分だった。まだ人の行き来があり、馬車の行き交いもあった。適当な酒場を見つけて入る。さすがに王都の中心街の店だけあり、構えも大きく、中もきれいだった。カウンターに座り、あまり強くない酒を頼んだ。ひとりと見て、店のすみでたむろしている女たちのひとりが横に座った。

「ねえ、ひとり?座っていい?」

 返事しないでいると勝手に座った。

「なにか飲ませてくれない?」

「飲ませてやるから、あっちに行ってくれ」

 好きなものをとカウンターの向こうにいる男に銀貨を投げた。女が驚いた顔でひとつ席を空けて座りなおした。かなり遠い席にいた男たちの会話が気になっていた。耳を澄ますと微かに聞こえてくる。

「…これは千載一遇の好機だぞ」

「確かに…しかし…」

「我々にとっての…」

 男にこそりと尋ねた。

「あの奥のテーブルの男たちは軍人か」

 男はさきほど飲み代としては多すぎるほどの金をもらっていたので、口が軽くなっていた。

「ええ、王立軍の下士官ですね、あまり見かけない顔ですが」

 席を開けて座っていた女がまた横に来ていた。

「あれは、ルタニア兵だよ、王都に出てきてもたいした出世もできないんだよ」

 ルタニアはカーティアの東側に広がる砂漠地帯のことだ。辺境出身ゆえに不遇ということも理不尽ながらありうることだった。

「よく知ってるな」

 濃い紅など派手な化粧をしていたが、改めてみるとまだ十代も半ばくらいだった。

「いろいろとね、つきあうと教えてくれるヒトもいるからさ」

 腕にからみついてこようとした。さっと席を離れた。銀貨を一枚置き、店を出た。すっと地面を離れ、屋根に飛び上がった。店からさきほどの女が出てきた。きょろきょろとしている。イージェンが鼻先で笑って、屋根の上を伝った。別の店で飲み直しとも思ったが、セレンが気になって戻った。

 セレンはテーブルに突っ伏して寝入っていた。スープもほとんど飲んでいないようで、パンや肉には手を付けていなかった。セレンをベッドの上に寝かせた。頬に涙の跡があった。袖口で拭った。食べ残したスープを飲み、残りものを食べた。盆を下げようと立ったとき、足に何かが当たった。さきほど叩きつけた紙の玉だった。拾い上げた。


 朝方、セレンが目を覚ました。隣にイージェンが寝ていた。身体を起こした。テーブルの上の紙に気づいた。寄っていき、紙を見た。イージェンが破った手習いの紙だった。きれいに裏で貼り合わせてあった。

「…ごめんなさい…」

小さくつぶやいた。夕べあやまったのは怖かったからだった。でも、今は心から悪かったと思った。

「セレン」

 セレンが振り向いた。あわてて紙を畳んで他の紙の束に紛れ込ませた。イージェンは気が付かなかったふりをして起き上がった。

「今日からは一緒に出かけよう」

 午前中は読み書きの練習をした。イージェンが書いた言葉を読んで、書く練習をした。

 午後になって宿を出た。馬に乗って王都のはずれの湖に行った。湖の周りにはたくさんの天幕が張られていた。地方から出てきた商人や行き場をなくした流浪の民だった。王都近くであれば、なにがしかで働く場もあり、戦争も近いとなれば、兵士の募集もある。その湖の対岸に尖塔が見えた。

「あのあたり一帯が王宮だ、今夜はあそこに行く」

 セレンは驚いてイージェンを仰ぎ見た。湖の対岸は切り立った崖のようだった。

木陰からうかがっている小さな影がいくつかあるのに気づいた。ぼろをまとって痩せこけている。流民の子どものようだった。少し前までの自分の姿だ。今は捕われの身とはいえ、食べ物にも着る物にも困らない。読み書きすら教えてもらっている。セレンにとっては、今の自分のほうがましに思えた。布鞄の中から王都を出るときに買った堅パンを出しかけた。イージェンが止めた。

「よせ、きりがない」

イージェンが馬を走らせ、商人たちや流浪民の天幕から遠ざかった。やがて日が落ち、すっかり暗くなった。イージェンは速度を落とさずに闇の森の中を易々と駆け抜けていく。湖を半分くらい回ったところで、馬を止めた。馬の上で堅パンを出させて自分もかじった。ふたりでかわるがわる皮袋の水を飲んだ。残りと皮袋を布鞄に入れた。セレンを抱きかかえたイージェンが馬の背で空中に浮き上がった。そのまま空高く飛びあがった。

王都の都邑には明かりがちらほらとしている。湖の上を弧を描くようにして飛び越えていった。

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