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第200回   イージェンと海獣王《バレンヌデロイ》(3)

 セレンを助け出した後、マリティイムを消滅させる。そのとき、アンダァボォウトに乗せて脱出させないと巻き込まれてしまうのだ。

「アンダァボォウトを操れるのは、リィイヴだけだからな、アートランはセレンを探して助け出すだけで手一杯だろうから、おまえがリィイヴを船のところまで連れて行くんだ」

 もちろん、潜るとき、どこまで潜れるかの修練も兼ねてだと言った。エアリアが青ざめた。水は苦手な上、リィイヴを連れて深く潜るなどできるかどうか。

「アートランと同じ深度までとは言わないが、すくなくとも三〇〇〇セルくらいはやってみろ」

 エアリアが下を向き、手を膝の上でぎゅっと握った。その手にリィイヴが手のひらを置いた。エアリアが、頭を上げた。

「リィイヴさん…」

「きっと出来る、君を信じてるよ」

 エアリアは胸がドキドキして顔が赤くなった。

「おまえたちも少し休んでおけ」

 イージェンが出て行くよう手を振った。

 エアリアは、盆と茶碗を厨房に下げにいくのでと船長室の扉の前でお辞儀した。

「おやすみなさい」

 リィイヴもおやすみと言い、自分の部屋に戻ろうとして、振り向いた。せめて後姿を見ようと。

 すると、エアリアも振り返っていた。リィイヴが驚いた。

エアリアもぼくと同じ想いなのか、もしそうだとしたら…。

「エアリア…」

 声を掛けると、エアリアがあわてて駆けて行った。

 

 アートランはベッドに横になりながら深呼吸をした。さきほどのイージェンの精錬した茶の成分が身体の隅々にまで広がっていて、その成分がパアッと弾けて広がり、身体の力が満ちてきた。

「茶もばかにできないな」

 ここまで見事に精錬された茶は初めてだ。さすがは大魔導師ってことかと天井を見上げ、少し眠った。

はっと目が覚めた。側に立っているものを見て、アートランが戸惑った。

「…仮面…」

ベッドの縁に座って、身体を起こしたアートランの首筋に触れた。

「少しは腫れが引いたか」

アートランがびくっとしたが、ピリピリした痛みが引いていくのを感じて眼を閉じた。

…きもちいいな…

 こんな風に触れられたのは初めてだった。

紙を渡された。深海の都の配置図だという。すぐに記憶して、返した。

「細かい通路まではわからないし、セレンがどこにいるかもわからない。心を手繰っていくしかないだろう」

 アートランがうなずいた。

「この都の中に入れば、はっきりわかる、どこにいるか」

 今もわずかながら感じることはできる。細く心もとないが。

 イージェンがまた首筋のただれに触れた。

 アートランはセレンに自分のことだけ考えていてほしいと思っている。自分と同じように。セレンが、ヴィルトという名を書いたとき、ラウドの命乞いをしたとき、イージェンも嫉妬した。そうして嫉妬しては、自分の心の狭さにやりきれなかった。今もそれほど変わってはいない。

 考えてみれば、アートランはまだ十三なのだ。勝手気ままにさせていたのはセラディム学院の落ち度だ。アリュカも自分では手に負えないと思ったのだろうが、もっと気遣うべきだった。

 今からでも遅くはないか。

「アートラン、みんなの前では言いにくいだろうが、今なら言えるな」

 イージェンが首筋から手を離した。アートランがしばらく考えるように眼を落としていたが、少し戸惑ったような色の顔を上げた。重いながらも口を開いた。

「セレンを助けるのに…手を貸して…下さい…」

 ベッドの上で膝を揃えて頭を下げた。

「お願いします…大魔導師様」

 おそらくは生まれて初めてヒトに頼むために頭を下げたのだろう。イージェンがアートランの頭をポンと叩いた。

「セレンがどっちを選んでも、お互い文句はなしだぞ」

 額をベッドに押し付けたまま、うなずいた。

 翌朝、『空の船』は、クァ・ル・ジシス海溝のすぐ上の位置までやってきていた。位置的にはかなり南で、極南島の海域に近い。甲板に出てきたヴァンが少し風が寒い、上着が欲しいなと肩を抱いた。

「水も冷たそうだ」

 イージェンがヴァシルの肩を掴んだ。

「船を頼む」

 緊張して青ざめてはいたが、ヴァシルがしっかりと了解した。

「みなさん、気をつけて」

 支度した四人がうなずいた。ヴァンがエアリアに近寄った。

「リィイヴのこと、頼む、必ず連れて帰ってきてくれ」

エアリアが顎を引いた。

 イージェンが手を振った。

「いくぞ」

 甲板を軽く蹴ってそのまま海中に飛び込んだ。アートランがアヴィオスに頭を下げて続き、エアリアがリィイヴを抱き寄せた。

「行きます」

 リィイヴがぎゅっとしがみ付いた。まるで羽が浮くようにふたりの身体が空中に舞い上がり、甲板から消えた。

 残ったものたちが手すりから下を見ると、三つの淡い光がゆっくりと海を潜っていった。

 イージェンは、深度二〇〇〇セルまでは、アートランと並んで潜行した。この海域にいたセティシアンたちは、もっと北に移動していて、群棚の近くにもいなかった。アートランが移動させたのだ。

 最初から遅かったエアリアは、次第に間を開けられていく。

…姉さん、水中は苦手だからな。

 アートランが振り返った。イージェンが手を振ってうながした。

…気にしなくていい。おまえは自分の限界を伸ばせ。

 アートランが親指を立てて了解し、速度を上げて、先行した。イージェンは少し速度を落として、エアリアたちとあまり間を空けないように、しかし、距離を置いて潜っていった。

 エアリアは魔力のドームを張ることに気持ちが向いて、なかなか速度が上らなかった。

 もしドームが破れてしまったら。

 不安で押しつぶされそうだった。

 暗くてほとんど何も見えなかったが、その小さな身体が震えているのがリィイヴには伝わってきた。自分だって、恐ろしい。もしエアリアの気持ちが切れたら。限界が急にやってきたら。ここはすでにかなり深いところだ。近くにイージェンがいるのだろうと思うが、深海で投げ出されたら、呼吸もできないし、水圧であっという間に死ぬだろう。

 エアリアの震えが大きくなっていく。リィイヴが手を握った。

「エアリア」

 エアリアがすぐ横のリィイヴの顔を見た。

「落ち着いて」

 リィイヴが微笑んだ。

「ぼくはこうしてこんな深い海の中を、潜水服も着ないで、マリィンやアンダァボォウトにも乗らないで君と潜っているって、テクノロジイではできないことを体験できて、うれしいよ」

 こわばっていたエアリアも微笑み返した。

「はい、わたしもこんなところまで潜れるとは思いませんでした。リィイヴさんを守らなきゃって思ってるから…」

 きっとがんばれているのだ。

…自分の気持ちに素直になろう、リィイヴさんのことを好きだって…

 すっと気持ちが楽になった。もっとがんばれるような気がした。

「アートラン、どこまで行ったのかな」

 エアリアが眼を凝らした。

「正確ではないですけど…もう三五〇〇セルは越えていますね」

 自分たちの位置はほぼ二五、六〇〇セル。なんとか、イージェンが課した三〇〇〇セルは達成できそうだった。

 だが、三〇〇〇セルに近づいたあたりで、エアリアは、急にぎゅっと胸が締め付けられるような圧迫感を感じた。ゆっくりと停まった。

「エアリア…?」

 身体のどこかが切れそうな感じがする。

 リィイヴも何か回りからぎゅっと押しつぶされる感じがした。

「うっ!」

 身体中の骨がギシギシと音がしそうだった。

「せ、師匠せんせい!」

 エアリアがイージェンを呼んだ。

…あと五〇セルで三〇〇〇セルだぞ。

 イージェンの声が頭に響いてきた。

「無理です!リィイヴさんが!」

 足元に光の球が見えた。そこにイージェンがいるのだ。

「あそこまで行けって?」

 リィイヴが顔をゆがめながら尋ねた。エアリアは、またどこかが切れそうな感じがした。これ以上は無理だと首を振ると、リィイヴが優しく励ました。

「あと少しだよ、がんばろう」

 リィイヴがぎゅっと抱き締めた。

「ぼくに魔力はないけど、君に力をあげたい」

 夕べ互いの気持ちが重なっていた。惹かれ合っている。きっと…。

 だから、こうして力をあげよう。

顔を近付け、唇を重ねた。

「…!」

エアリアが眼を見張った。そしてゆっくりと瞼を閉じた。ふたりはしっかりと抱き合い、口付けを交わした。

 リィイヴがそっと唇を離した。

「どう?少しでも力、あげられたかな」

 エアリアが泣きそうな笑顔でうなずいた。

「はい」

 魔力のドームが強くなったようで、さきほどまでの圧迫感がなくなっていた。再び潜り出した。どんどん光の球に近づいていく。

…よし、それならもう少しいけそうだな。

 イージェンの声が響いた。

「はい、あと少し」

 エアリアがきっと眼を吊り上げた。光の球も潜り出した。その光に引っ張られるように更に深いところへと潜っていく。

 三〇〇〇セルを越えた。それまでほとんど流れがなかったが、少し海底流が出てきた。わずかだが、西に流され出した。また圧迫感がやってきた。

 ふっと胸の締め付けがなくなった。

「海流の勢いが強い。このままだと流される」

 すぐ側にイージェンがいた。ふたりを両脇から抱えて、先を行くアートランを追った。

「アートランはどこまで潜っているの」

 リィイヴが真っ暗闇の周囲を見回した。

「五〇〇〇セル越えた。六〇〇〇セルに近づきつつある。もう少し行けそうだ。前に潜ったときはあせっていたんだろう」

 すでに海溝に入った。

 六〇〇〇セルを過ぎたところでアートランに追いついた。

「アートラン、苦しそうですけど」

 エアリアは闇の中でも眼が見える。アートランが歪みに耐えていた。速度はほとんど出ていない。

…切れるっ…

 アートランの声が響いた。イージェンが手を伸ばして、アートランを自分のドームの中に引き入れた。

「六三〇〇か、まあまあだな」

 アートランが不服そうに唇を尖らせた。

「けっこうがんばったぜ」

 汗を拭いながら、姉さんも…とにやっと笑った。エアリアはひとりで赤くなってしまった。

「足元に熱を感じ出した」

 動力源があるのだとイージェンが言った。

「深海マランリゥムが作る動力源だね」

 リィイヴがまだ見えない深海研究所マリティイムに近付いていることを感じて意識が高ぶっていった。

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