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第183回   セレンと深海の都《マリティイム》(2)

 拳の光がパァアッと伸びていき、照らし出されたのは、灰色の大きな身体のセティシアンが何十頭も集まっている群だった。

「わぁ…」

 セレンがその壮観さにため息をついた。セティシアンたちはゆったりと漂っていて、大きさもさまざまだった。子どもらしき小さなものも何頭かいた。ちょうど海底の棚のようなところに集まっていて、その群の真ん中に降りていった。

 セティシアンたちは、降り立った小さなふたりを囲むように寄って来て、頭を向けた。大きな口をゆっくりと開けた。周囲の海水がゴオッと動く。歓迎しているような感じだった。

 子どものセティシアンのうちの一頭が近づいてきた。

その子は、ドームに頭をぶつけて、ちょっと戸惑ってから、何度もぶつかってきた。

「アートラン」

 セレンがこわばった顔でアートランの腕を掴んだ。アートランが微笑んだ。

「入れないよ、グリオン」

 グリオンというセティシアンの子どもが、ぶわっと身体を浮かび上がらせてアートランたちの顔を見つめた。小さな目がくりっと動き、セレンを捕らえた。

「かわいい。グリオンっていうの?」

 アートランがうなずいた。先の割れた尻尾の片方が千切れていた。

「あいつのこと、好きになったから、尻尾を少しだけ食った」

 驚いているセレンを抱えてひときわ大きなセティシアンの口に近づいた。どんどん近づき、ついに口の中に入ってしまった。

「どうするの!食べられちゃうよ!」

 セレンがおびえてアートランにしがみつき、回りを見回した。拳の光で見える周囲は、赤黒いぬめぬめとした壁だ。どんどん中に入っていく。

「大丈夫、こいつの腹の中に入って、泳ごう」

 眼をつぶってというので、そのとおりにすると、目の前に暗い海の中が広がった。

…こいつの眼を通して外が見られるんだ。これから海の上に上っていく。

 頭の中でアートランの声がした。グリオンがすぐ目の前を泳いでいた。他のセティシアンたちも周りを泳いでいた。群となって、海上目指して浮かび上がっていく。ドグゥウッという音が絶えずしている。セティシアンの腹の壁が動く音のようだった。

 セティシアンの群は、ゆっくりと時間を掛けて海上に向かって浮上していった。海の中は次第に明るくなってきて、銀色の魚の大群と一緒になった。

 セティシアンの群と銀色の魚群が悠然と海面近くを泳ぎ始めた。海面がきらきらと日の光に輝いて、とてもきれいだった。

…わぁ…

 セレンが眼を細めた。しだいにセティシアンから聞こえてくるドグゥウッドグゥウッという音で心地よくなっていく。セティシアンの中に溶け込んでいくような気持ちになっていった。

…セレン、俺とおまえとふたり、いつかこいつの中で溶け合って、ほんとうにひとつになろう…

…うん…

 セレンはその意味もわからぬままに、ただ、好きになったアートランの言うことにうなずくだけだった。

 

 セティシアンの群は夜になって極南列島の西の外れの島の側で、ようやく留まった。その島もやはりヒトの住んでいない島だ。岩が多く、大きな洞窟があって、そこは、天井の高い岩の穴で、ひやりと寒かった。透き通った石が黒い石からたくさん草のように出ていて、とてもきれいだった。木のように細長い白い石が天井から下がっているところもあり、透き通った石の中には紫がかった色のものもあった。

…ここで見たことも手紙に書かなくちゃ。師匠も見たらきっときれいだなって思うよね。

 イージェンにこのきれいな石を見せたいとセレンは思った。

アートランは、セレンがまだイージェンのことを考えることがあるのが不愉快だった。

俺のことだけ考えるようにならないかな。

術で動かないように縛ったり、眠らせたりしても、それだけではだめだ。

そのうち、あいつのことなんか、忘れるよな。

 昨日も今日も明日もわからなくなるくらい、他のもののことを考えなくなるくらい、頭も身体も溶けてしまうほど、ひとつになればいい。最後にはセティシアンの中で溶け合ってしまえばいい。

 洞窟の水溜りの中に手をいれているセレンを見ながら、アートランはそのときのことを思って喜びに身震いした。

 洞窟の少し平らになっているところに寝転んで、何度も身体を重ねた。その島で二日ばかり過ごした。

 またセティシアンの腹に入って、海を泳いで回り、あの群棚のある海域に戻ってきた。

 セティシアンが深海に潜っていく前に口から出て、小屋のある島に戻った。今日は、ほとんどセティシアンの腹の中にいたので、セレンは、すっかりお腹が空いてしまっていた。言い出せずにもじもじしていた。

「セレン、おなかすいたんだ」

 アートランがあくびしながら尋ねると、セレンが遠慮がちにうなずいた。

「明日、あのえび、獲ってきてやるから、今日はもう寝よう」

「…うん…」

 しかたなくアートランの隣に横になった。アートランは寝ようといいながら、欲しくなってしまって、セレンを抱き、自分だけ満足して眠ってしまった。セレンは余計にお腹が減ってしまって、眠れなかった。

「…はあ…」

 水でも飲もうかと小屋の隅にあった水の筒の中に残っていたので飲んだ。なにか、すっぱい感じがしたが、そのまま飲んでしまった。屋根の下から外に出た。少し曇ってきていて、一の月が隠れてしまい、真っ暗になってしまった。雨でも降りそうだった。

 セレンはなかなか寝付けず、明け方近くになってようやくうとうとしてきた。

「セレン、獲ってきたよ」

 アートランに肩を揺すられた。眠い目を擦ると、アートランが何匹かあの白いえびを持っていた。アートランが生きたままのえびをパリッとかじって、中の身を出した。

「おいしいから、食べてみなよ」

 白い身がプルッと動いた。セレンがおびえた。

「まだ生きてるよ」

 アートランがその身をつるっと食べた。

「うん、生きたまま食べるのがうまいんだ」

 もうひとつ身を剥いた。セレンがおそるおそる口に入れた。

「ひっ!」

 口の中でピクッと動いたので驚いた。吐き出そうとしたのをアートランが手で押さえた。

「大丈夫、飲んじゃえ」

 セレンが涙目で飲み込んだ。お腹が空いていたこともあって、次に食べるときにはなんとか噛み締められた。生臭いが甘味があった。

 もう少し何か食べたいというと、アートランは、貝を採ってきた。

「こいつもそのまま食べると塩味がついててうまい」

 二枚貝を指先でパカッと開けて身を摘み出した。パクッと口に入れた。セレンにもやった。何枚か食べるとようやく落ち着いてきた。

 朝方雨が少し降っていたが、今はやんできて、日が射して来た。日が当たってくると、肌がヒリヒリしてきた。セレンは屋根の下に入って、横になった。

「どうした?」

 アートランがぐったりしているセレンの髪を撫でた。

「少し寝ていい?」

 セレンが眼を閉じながらつぶやいた。

「眠いのか」

アートランは、火山を見に行こうと思っていたので、少しがっかりしたようにちょっと潜ってくると言って海に向かっていった。

 

 夜すっかり遅くなってからアートランは小屋に戻ってきた。果物と香草を採ってきたが、セレンは呼んでも起きてこなかった。

「セレン、どうした」

 近寄ろうとして、鼻を押さえた。ひどい異臭がした。寝たままのセレンに近寄ると、口から反吐を吐き、便を漏らしていた。

 身体が震えていて、触ってみて驚いた。

「熱がある」

 それもかなりの高熱だった。食あたりかと腹の辺りをさすってみると、なにかがうごめくいやな感じが伝わってきた。

まさか、虫か…

 自分も食べたが、いつもの味で、気が付かなかった。生ものを食わせるなというイージェンの言葉が思い出された。

 セレンはずっと身体を折り曲げて吐き下している。

「ぐうぅっ…はあぁう…ア…トラン…い…た…っつ」

 ぎゅっと痛みが来るようで腹を押さえている。

「セレン、いつからだ!いつからこんな!」

 昼前にここを出て、泳ぎに行った。すでに半日近くたっている。もうろうとしているようで、答えられないようだった。心も痛みからか、ぐちゃぐちゃになっていて読み取れなかった。

「ここには、解毒の薬が…」

 この島には解毒の効き目のある薬草もない。隣の島にあったはず。

「セレン、少し待ってろ、すぐに薬草持ってくるから」

 セレンが手を伸ばした。

その手を握る間もなく、海に飛び込んだ。

 隣の島にはすぐに着いたが、なかなかそれらしい草が見つからなかった。しばらく回っていると、ようやく見つかった。

「だめだ、まだ新芽が出たばかりだ」

 あとひとつきはたたないと煎じることができない。

このまま探し回っていると時間ばかりたってしまい、あの熱と毒の強さでは、セレンがもたないかもしれない。アートランは生まれてはじめて、動揺した。

「どうしよう…」

 膝が震えてきた。

「そうだ、セラディムの学院」

 あそこなら解毒や解熱の薬がある。薬草を探し回って煎じるより早い。戻る時間が惜しい。アートランはそのまま三の大陸へ向かおうと、海に飛び込んだ。海中をすさまじい勢いで進んでいく。飛び込んでまもなく、セティシアンではない、なにか大きな影とすれ違った。すれ違うときにその影が大きく揺らいで、岩礁にぶつかったようだった。

…あれは…マリィン?

 セティシアンではないその影はどうやらマシンナートの海中戦艦マリィンのようだった。だが、確認をすることもなく、先を急いだ。


 セレンは、アートランが泳いでくると言ってから、横になって寝ていたが、何時間かして腹が痛くなって眼が覚めた。ひどい痛みだった。外で用を足して戻ったとたん、吐いてしまった。熱が出てきたらしく、動けなくなって、用を足しに立つこともできなくなった。

「…せ…んせい…」

 もうろうとした中で、イージェンを呼んでいた。

…俺だって連れて行ってやれる

 イージェンもあの魚のいるところに連れて行ってくれると言ってくれた。だが。

…ぼく、アートランと行きたいって言ったんだ…師匠せんせいとはさよならしたんだもの…

 苦しいときだけ助けを求めるのは子どもながらによくないことだと思った。

…アートラン、もどってきて、おなか、いたいよ、さけそう…

 とっくに出すものもないはずなのに、反吐がこみ上げてくるし、下してしまう。こんな高い熱を出したのは、はじめてかもしれない。そんな熱を出していたら、おそらくとっくに死んでいただろう。解熱の薬など、手に入る家ではなかった。兄弟たちも何人も風邪や怪我で死んでいた。

 もしかしたら、このまま死ぬかもしれない。

 次第に気が遠くなっていった。

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