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セレンと極南列島《クァ・ル・ジシス》(4)

セレンたちが市場を訪れた時。セレンは南国の市場の賑やかさに目が回りそうだった。エスヴェルンの王都でエアリアに連れて行かれたときよりも店も人もずっと多い。ラウドに買ってもらった『魚さん』のおもちゃを布鞄の中に入れ、ヴァンと店の前に立っていると、耳の奥に聞こえてきた。

…セレン、おいで…

 周りを見回した。店の間から河が見えた。きらっと光ったようだった。行こうとしたが、ヴァンがしっかり手をつないでいた。

「俺たちも店の中に入ろうか」

 ヴァンがつないでいた手をちょっと離して、店の扉に触れた。その隙にセレンは店の間の隙間に走り込んだ。後から誰かが声を掛けたような気がしたが、どんどん走っていった。河にはたくさんの船が行き来していた。木の板で出来ている桟橋から覗き込んだ。河の水は濁っていて魚の姿は見えなかった。少し川沿いに歩いていくと、川面に光るものが見えた。そこから指先が出てきた。

「アートラン…?」

 指先が手招いた。引き込まれるようにセレンの身体が河に飛び込んだ。近くにいた男が叫んだ。

「おい!誰か落ちたぞ!」

 セレンは水に落ちてすぐに手をつかまれた。抱きしめられて目の前に暖かく澄み切った海の中が広がった。

…行こう、南の海に、あいつらがたくさんいるところに…

…うん…見に行きたい…

 ずっと暖かい海の中を泳いでいった。アートランと一緒だと少しも苦しくない。むしろ気持ちいい。やがて、光の海の中に吸い込まれていった。

 目が覚めたとき、青々とした草が敷き詰められたところに寝ていた。隣にアートランが寝ていて、セレンが起きたことに気づいたのか、眼を開けた。

「まだ夜明け前だ、もう少し寝ようよ」

 手を伸ばしてセレンの髪を撫でた。起き上がって回りを見回した。少し明けてきたからか、ぼんやりと薄明るい。大きな草で葺かれているらしい屋根だけで壁や扉はなかった。喉が渇いていた。水の甕などは見当たらない。朝まで我慢しようと思ったが、できそうになかった。

「水飲みたい」

 アートランが眼を見張った。

「悪い、気がつかなかった」

 シュッと音がして姿が消えた。立ち上がった。下穿きだけで上着やズボンはつけていなかった。

屋根の外に出た。服は外に干してあった。まだ星が瞬いている。波の音がして、足元は砂だった。急に不安になった。

「…師匠せんせい…」

 心配しているのでは。でも、まだ『ソウカイ』とかで忙しいかも。

後ろでザリッと音がした。アートランが立っていた。

「水、もってきたよ」

 水の筒を差し出してきた。受け取って飲み、ほっと息をした。

「ありがと、アートランは?」

 返そうとしたが首を振り、全部飲むよう言われた。全部飲んで、屋根の下に入った。草のしとねの上にふたりで座った。

「セレン、あいつらがたくさんいるところに潜ろう。深いところは冷たくて暗いけど、俺と一緒なら怖くないよな?」

 アートランがうなずくセレンを横にしながら身体を撫でた。セレンが少し不安そうな顔をした。

「怖くないけど…ぼく、師匠せんせいに黙って来ちゃった…きっと怒ってるよ」

「姉さんに伝言頼んだから、大丈夫だ」

 姉さんって…エアリアさんのことだよね…

 カーティアのきれいなヒトもそう言っていた。だったら、大丈夫かな…。

「目つぶって」

 アートランの言うままに目をつぶった。アートランがセレンの下穿きを降ろし、身体を重ねてきた。ひやっと冷たい。

「…冷たいよ…」

「すぐに熱くなる…」

 しだいに波の音が静かになっていく。夢中になってセレンの名を呼ぶアートランの声しか聞こえなくなっていった。


 極南列島クァ・ル・ジシスは極南島ウェルイルと三の大陸ティケアの間にまたがる大小五百近い島からなる。国はなく、自治州もない。中には海賊の隠れ家だったり、ヒトが移り住んでいる島もあるが、ほとんどは無人の島だった。

夜明け寸前、東から登ってくる太陽の輝きが水平線に現れ始めたころ、『空の船』は、南海の列島付近に到着した。イージェンは、一晩中甲板に出ていた。ダルウェルが茶を飲みながらやってきた。

「どうだ、見つかりそうか」

 返事をしないイージェンにダルウェルが呆れた。

「中身は変わってないと思ったんだが、違うみたいだな」

 イージェンの頭巾が海風にはためいていた。

「俺は今も昔も変わってない」

「少なくとも、女に手を上げるようなことはしなかったぞ」

 エアリアとリィイヴが話しているのを耳にしたのだ。

「ふつうの素子ならば、俺だってそんなに目くじらたてたりはしない」

「素子の実クルゥプか…エアリア殿は」

 イージェンがちらっと後ろを振り返ってからまた前を向いた。

「このままでは…。魔力は強いのに、気持ちが追いついていない。普段は気が強いのに、すぐに動揺する」

 ダルウェルも船室のほうを見た。

難しいなこればかりは」

 船はゆっくりと海面に降下していく。

 総会の学院長たちを見ていると自分ひとりあせっているのがこっけいに思えてくる。でも、不安でしかたなかった。このまま自分ひとりでなんとかなるのだろうかと。

船は、ズズーンという音とバシャーンという激しい水音を立てて、海に降りた。船体が少し揺れ、ゆるやかに停まった。甲板を蹴り、空中に浮き上がった。

「ここで待っていろ」

 はるか先の島影に向かっていった。

 いくつかある島の上を通り、小さな島の海岸にその気配を感じて波打ち際に降りた。海岸に小さな草葺の屋根があり、その下に横たわるふたりがいた。影がひとつ、すっと立ち上がり、瞬時にイージェンの側に現われた。アートランだ。眼を細く尖らせていた。

「セレンは返さないよ」

 ドオンと音がして、背後の海水がかぶさって来た。魔力のドームが水を撥ね退け、アートランの首を掴んだ。

「ぐっ!」

 息が詰まってきた。首を掴んでいる手を引っかくが、もとより外れるはずがない。だが、もがくアートランの口元がにやっと笑った。

「笑うのか」

 イージェンがアートランを頭から砂に突っ込んだ。ぐいぐいと押し込む。手足をばたばたさせていたが、急におとなしくなった。

「俺にその手は効かないぞ」

 そのままぐいっと首を押した。急に背後に大きな気配が現われた。大きな泡が幾つも浮き上がってきた。

「セティシアン…」

 何頭もの巨大なセティシアンがその灰色の頭をもたげて大きな口を開けていた。海面に不気味な静けさが訪れた。生臭い息を喉の奥から噴き出している。

 イージェンがアートランを吊り上げた。ぐったりしているアートランを上下に振った。

「ひきょうだな、俺がこいつらを攻撃しないと踏んで、盾にしてるな」

 セティシアンの中の一頭が砂浜に押し寄せてきた。

「ガアァァァァァァァァァッ!」

 ふたりを飲み込もうとしている。イージェンがアートランの首を握ったまま、飛び上がり、砂地に向けて叩きつけた。しかし、砂地に達する前に、アートランが鮮やかに身体を翻し、空中に浮かび上がった。

「ヴィルトと同じかと思ったけど、違ったな、ずいぶんと荒っぽい」

 アートランが背筋を伸ばして見下ろした。

「でも、嫌いじゃないぜ、こういうの」

 イージェンが右手を水平に上げた。

「セレンを返してもらう」

 イージェンの右腕が赤く輝いた。

アートランが眼を剥いた。

「まさか、本気なのか」

「もちろん、本気だ!」

 イージェンの右腕から溶岩がボトボトと海に落ちていき、ジュウッと音を立てて沸き上がった。

「引け!」

 アートランが叫ぶと、セティシアンたちが一斉に沖を目指して泳ぎ始めた。溶岩が落ちるたびに海がごぼこぼと音を立て、湯気が出ていた。

「俺を殺したら、セレンが悲しむよ」

 アートランの眼がすぼまった。イージェンが腕を振り上げた。

「おまえを失った悲しみなど!いっときのことだ!」

 溶岩がしぶきを撒き散らしながら、アートランに向かっていく。

だが、飲み込む前に姿が消えた。溶岩は砂浜を抉るように草の茂みに向かっていき、炙って行く。アートランの姿が現われたり消えたりしている。その現われる先を読んで、何度も繰り出すが、寸でのところでかわされていく。茂みの草が燃え始めた。アートランが茂みの前に現われていた。

「あーあ、火事になるよ、まったく」

 呆れたため息をついて、両方の手のひらから水を噴き出して、火を消した。

 どうする、こいつを…。

 セレンを殺していたら、殺すつもりだった。だが、ひとりでも多くの特級が必要なときだ。なんとか働かせるようにしなければならないか…。そのように考えなければならないことが不愉快でしかたなかった。

「アートラン!?」

 物音にセレンが起きてきた。イージェンが振り向いた。

「…師匠せんせい…アートランを怒らないで」

 セレンが悲しそうな顔で見上げていた。

「ふたりとも服を着ろ」

 素っ裸のふたりにイージェンがいらだたしげに言った。

 アートランは下帯しかないようで、締めてから、波打ち際に立っているイージェンの側に寄っていった。後ろから服を着たセレンが付いてきた。

 イージェンが下を向いているセレンの頭に手を置いた。

「戻ろう」

しばらくしてセレンが顔を上げた。

「師匠せんせい…ぼく…アートランに…魚さんがいっぱいいるところに連れて行ってもらいたいんです」

 イージェンが膝を付いてセレンの肩を掴んだ。

「俺だって連れて行ってやれる」

 アートランがビクッと身体を震わせた。セレンがアートランに手を伸ばした。

「アートランと行きたい」

 その手をアートランが握った。

イージェンが肩から手を離した。

俺よりもそいつを選ぶか…。

せつなくなった。仮面でなければ、すぐに背を向けていただろう。

なぜ…。

聞きかけて、やめた。理由など聞いてもよけいつらくなるだけだろう。

 イージェンが立ち上がった。

「殿下たちも心配している、おまえも俺が黙っていなくなったとき、悲しかっただろう。そいつと行くならきちんと挨拶していけ」

沖に向かって飛んで行った。

アートランはセレンを抱きしめて、抱え上げ、ぐるぐると回った。

「セレン!あいつらが待ってる!俺と一緒に行こう!」

 セレンが声を上げて笑った。

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