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セレンと灼熱の魔導師(1)

ひさびさの更新ですが、実は別投稿サイトではどんどん話進んでいます。

 災厄―世界を襲う様々な悪しき現象、時に『瘴気』となって生き物を死滅させ、時に乱水脈となって水害をもたらし、時に乱火脈となって大地を焼き尽くす。魔導師はそうした災厄を魔力でもって鎮め、占術や知識でもって国政を補助する役目を担っている。その影響力は大きいため、魔導師となるには、厳格な教導を受け修練を積まなければならない。そして、ミュステリオン(誓い)という聖なる言を唱えて、真義と奉仕の精神でもって学院に属することを誓うのである。魔導師には魔力を持つ者と持たない者がいる。持たない者は占術や知識、道具を使って、魔力を持つ者の補佐を務めている。

 ミュステリオンを詠唱しないものは正確には魔導師とはいえないが、魔導師を装って占術や調薬を行い、金品を得ているものもいた。


 ミュステリオンを詠唱していないから魔導師ではないと言った人買いの弟は、仮面の魔導師ヴィルトが兄の仇であることを確認して、後日の復讐を誓い、拉致したセレンを抱えたまま、南方へと飛び続けていた。飛びながら、腕と背中に刺さった矢を抜き、手当てもしなかった。セレンはみなが無事であることを祈った。この先が見えないことが恐ろしくて震えていた。頬に冷たいものが当たった。雨だろうかと見上げると、涙だった。男が、唇を噛み、くやしそうにつぶやいていた。

「…にいさん…」

 セレンはあわてて下を向いた。見てはいけないものを見たような気持ちになった。あの恐ろしい男にも泣いてくれる親兄弟がいるのか。それはもちろん当然のことなのだが、考えもしていなかった。

 昨日、風の魔導師エアリアがまぶしい炎の棒を掴んで悲鳴を上げたのを見て、セレンは気を失った。気がついたときには、男と御者が覗き込んでいた。長椅子の上のようだった。

「気がついたようですよ」

 御者が男に言った。男が近づいてきた。

「おまえは、すぐに発って、カーティアに向かえ。王都のニザンという男がやっている宿で落ち合おう」

 カーティアは南方で隣接する王国である。御者は頷いて出て行った。セレンはゆっくりと起き上がった。身体の中心と首が痛んできた。また刃物でどこか切られるのだ。師匠は側にいない。今度こそきっと殺される。ぼろぼろと涙がこぼれた。男はしばらくセレンが泣いているのを見ていた。やがて、テーブルの上の杯を手にし、セレンに差し出した。

「飲め、そんなに泣くと身体が乾く」

 受け取れなかった。男はセレンの手を握り、杯を持たせようとした。とっさにセレンが振り払った。

「いやっ!」

 杯は床に落ちた。セレンはそのまま手で顔を覆って長椅子の上に突っ伏した。男は床に落ちた杯を拾ってテーブルに置いた。

「兄貴は、おまえと一緒に仮面の家に向かったきり、待ち合わせのこの宿にやってこないんだ、お前、どうしたのか、知ってるんだろ」

 兄?セレンはおそるおそる顔を上げた。すぐそばに男の顔があった。どう見ても、あの人買いと同じ顔だ。涙が止まらない。ようやく声を絞り出した。

「…師匠の家に案内しろって言われて、そうしたら、師匠が帰ってきて…あのヒトは、ぼくの…」

 そういってセレンは自分の首に手をやった。

「ここを…切って…その後は気が付いたら、師匠が、あのヒトたちは追い払った、二度と来ないって…」

 その時の痛みと恐ろしさを思い出し、気が遠くなりそうだった。「そうか…兄貴は…」

男はあの同じ顔で眼を細め、悲しそうな顔をした。意外さにセレンは男を見つめた。

テーブルに戻り、腰掛けた。

「いずれにしても、直接仮面から聞いたほうがいいな」

 そうしてしばらく黙り込み、夜遅くなってから、宿を出た。セレンを抱えて、空を飛び、神殿跡にやって来たのだ。夜が明けていた。着いてすぐにセレンを置いて神殿の中に消えて行った。縛りもせずに置いていかれたが、どこかまったくわからない場所で、逃げようとすることもできなかった。やがて、男は戻ってきて、神殿の屋根に上がり、ヴィルトを待っていたのである。


 神殿跡から飛び去って、数時間後、夜になってようやく男は地上に降りた。少し歩くと小さな宿場があった。はずれの宿屋に入った。部屋にセレンを置いて出て行き、しばらくして戻ってきた。髪が濡れていた。手には湯を張った桶と手ぬぐい。床に置いた。

「身体、ぬぐえ」

 再び出て行った。セレンは服を脱ぎ、顔と髪を洗い、手ぬぐいを絞って身体を拭いた。カタンと音がして、男が入ってきた。食事を乗せた盆を持っていた。テーブルの上にパンとスープ、香草添えた燻製肉の皿を置いた。座るよううながされた。

男は黙々と口を動かしている。椅子に座ったセレンはずっと下を向いていた。男が尋ねた。

「食べないのか、毒なんか入ってないぞ」

 黙っている。というより、恐ろしくて答えられないのだ。

「人買いの弟の飯は食えないか」

 気を失うかと思った。

「敵や仇の飯だろうと、食べられるときに食べておかないといざという時に動けないぞ」

 セレンにはなにがいざという時かわからなかったが、そろそろと食べ始めた。おなかはすいていたので、すぐに平らげてしまった。食べ終わって立ち上がった男が、セレンの布鞄に気づいた。

「なんだ、それは」

 セレンがあわてて取り替えそうとしたが、遅かった。中身を開けられてしまった。羽ペンと紙の束、手習いの本だった。

「この手習いの本、おまえのか?それにしては幼すぎるようだが」

 セレンが頷いた。

「ぼく、読み書きができなくて、エアリアさんが学校に行くようにってくれたんです」

 男が手習いの本をぱらぱらと眺めた。部屋の隅に行き、小さな壺を持ってきた。インク壺だった。椅子に座り、テーブルの上の皿を盆の上に乗せて、場所を空けた。紙の束から一枚取り出し、羽ペンにインクを含ませた。

「おまえの名は…セレンだったな」

 エアリアやヴィルトが呼んでいたので、わかったのだろう。紙の上にペン先を走らせた。

「セ…レン…」

 書いた文字を指で示した。セレンはまじまじと見つめた。自分の名前を記した文字。初めて見た。

「それと、これが俺の名前だ」

 その隣に男が自分の名を言いながら書いた。

「イージェン」

 イージェンは紙をセレンの前に置いた。

「このふたつが手本を見ないで書けるようになったら、ほかの言葉を教えてやる」

 ペンを渡された。じっと文字を見つめ、手を震わせながら、手本の下に書いてみた。うまくいかず、ペン先が紙に引っかかってしまった。うろたえて、ペンを置こうとした。イージェンはセレンの後に立ってその手をとった。驚いて後を振り向いた。顎で前を見るよううながされた。

「初めからうまくいくか、いいか、こう…書くんだ」

 手を添えてペンを動かした。セレンと書いていく。二回書いた。手を離され、セレンは懸命に同じように書いていった。

「うまいぞ、ちゃんと書けてるじゃないか」

 セレンはほめられて少し頬を赤らめた。イージェンはまた手をとり、今度は自分の名前を書かせた。

 イージェンは食事の盆と桶を下げに出て行った。セレンは何度か自分の名前とイージェンの名前を書いた。イージェンは戻ってくるとちらっと紙を眺め、インク壺の蓋を閉めた。

「明日早い、もう寝るぞ」

 ベッドに腰掛けて長靴を脱ぎ出した。椅子に座ったままのセレンを手招いた。

「来い」 

 イージェンが自分をどうしようというのか、セレンにはわからなかった。ぶっきらぼうだが、食べ物をくれたり、文字を教えてくれたり、優しくしてくれているようにも思える。もちろん、あの人買いの弟だし、師匠を仇と狙っている。恐ろしいヒトであることは間違いない。でも、言うことを聞いていれば、ひどいことをされずに済みそうな気がしてきた。我慢していれば、そのうち師匠が助けに来てくれるのではないか。おずおずと近づいた。セレンをベッドに座らせて、靴を脱がせ、襟元を緩めた。身体を触られるのだろうかと堅くなった。ひょいと抱き上げてベッドの上に上げると、寝かせて、自分も横になった。枕元にあるランプを吹き消す。真っ暗闇になった。横になって身体が少し楽になったが、でも気が休まらなかった。

「…セレン」

 イージェンが呼んだ。か細く返事をすると、話し出した。

「いいか、兄貴がおまえを傷つけたのは、兄貴をだましたからだ。だましたりしなければ、傷つけたりしなかったはずだ。仮面の家でのときは…」

 一度途切って息をついた。

「兄貴は魔導師を憎んでいた。だから…仮面を苦しめたかったんだろう」

 自分にひどいことをした男が死んだことについては会わなくて済むと安心したにはしたが、当然とかよかったとかそのように思うわけではない。幼い頃から兄弟を病気や飢えで亡くしている。兄を亡くして悲しそうなイージェンにかすかな同情を覚えないこともなかった。だが、師匠から引き離した男であるということもあって、かつてない複雑な気持ちになっていた。

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