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セレンと水の都《オゥリィウーヴ》(5)

控えの間にいたイリィはまだ食事中だった。

「殿下、もうよろしいのですか」

 急いで口の中のものを水で流し込んで、ラウドの後に従った。部屋に戻ってからふたりで果物を剥いて食べた。南国の香り強い果物で、おいしかった。イリィが従者に聞いた話だがと教えてくれた。

「浮島の手入れをするのに小船で行くのだそうですが、ときどき昼寝などしにこっそりいくものもいるそうです」

 仕事をさぼりにいくのだろう。ラウドが苦笑してから何かを思いついたように目を空に向けた。

「イリィ、もう下がって休んでいい」

 イリィがお辞儀して従者が控える小部屋に行った。小部屋とはいえ、居間と寝室がある。居間の長椅子に横になった。しばらくうとうとしていたのだが、護衛兵に起こされた。第一妃と第四王女がラウドを訪ねて来たというのだ。驚いて居住まいを正し、ラウドに打診に行った。

 寝室まで見に行き、青ざめて続きの間に戻ってきた。菓子や果物を乗せた盛籠やら茶器やらを持って待っているふたりに申し訳ない顔を向け、深く頭を下げた。

「妃殿下、王女殿下、大変恐縮に存しますが、王太子殿下はすでにお休みになられておりまして…」

 ふたりが悲しそうな顔を伏せて盛籠を置き、帰っていった。護衛兵に就寝の邪魔をしないようにと言いつけ、寝室の前に椅子を持って座り込んだ。眠気はいっぺんに覚めていた。

「殿下…また鞭打ちされますよォ」

 まったく懲りずに抜け出してしまっている。行き先は想像がつくが、がっくりと肩を落として深いため息をついた。少ししたら迎えにいこうと窓の外を見た。


 ラウドは、イリィを下がらせてからしばらく寝室と部屋を行ったりきたりしていたが、そおっと窓から外を見た。

 ここは二階なのだが、寝室のすぐ横が階段から張り出しているバルコニーだった。窓枠に上がり、外套に包んだ剣をバルコニーに投げ入れて、軽々と隣のバルコニーの手すりに飛び移った。外套を羽織り、剣を腰に下げて、階段に入った。すぐに一階に降り、ヒト気のないところを選んで厨房に向かった。王宮の造りはたいていどこも一緒だが、ここは少し違うようだった。中庭や裏手に当たるところはみな池のようだった。裏手から別の宮に行く時は船で行くのだろう。

池側の回廊を進んでいくと、小さな船着場があり、小船が何艘か繋がっていた。音を立てずに小船に乗って櫂で動かした。アナブラの離宮に避暑に行っていたとき、湖で小船を漕ぐ練習をした。物覚えのよいラウドはすぐにコツを覚えて動かせるようになった。暗い池だったが、回廊から漏れる光でなんとか進める。各宮の間を巡って、円形ドーム屋根の魔導師学院に近づいていった。執務宮や途中の宮殿は白い石柱と回廊に囲まれた、見通しのよい造りで、窓は木でできたよろい戸だった。

 学院は、エスヴェルンと同じような灰色のずっしりとした石造で、窓も硝子だった。窓に近づき、中をちらっと覗きながら行く。教室のようでみなヒトはいなく暗かった。池が水路のように細くなり、なんとか通ると急に広くなった。浮島もいくつかあり、窓には灯りが点っている。身体を低くして、船着場を探した。いきなり、窓がキィっと開いた。驚いて船底に伏せた。

「殿下…なんてことを…」

 顔を上げるとエアリアが眉を寄せて見下ろしていた。

「エアリア」

 気配でわかったのだろう。櫂を水底に突き刺すようにして船を止めた。

「エアリア…」

 手を差し伸ばした。エアリアは困って後ろを見た。セレンはリュールと一緒にすやすやと寝ている。うれしそうに笑っているラウドに思わず床を蹴っていた。ふわっと浮き上がり、ラウドの腕の中に飛び込んでいた。船が揺れたが、ラウドがうまく身体を使って立て直し、エアリアを座らせて漕ぎ出した。浮島に向かっていた。

 浮島は実際に浮いているわけではなく、どうやら石の台の上に土を盛って作ってあるようだった。近寄ったのは、かなり大きな浮島のようで、暗い中にも緑の間に花々が咲いているのが見えた。小船を縁に着け、ひょいとラウドが島に飛び移った。戸惑っているエアリアに手招きする。しかたなく、続いた。手を握って、腰までの高さの草を掻き分けて奥に進んでいく。草の間に少し平らなところを見つけ、外套を敷いた。

「座ろう」

 並んで腰を降ろした。ラウドが、言葉を交わす時間すらも惜しいようですぐに抱きしめ、口付けしようと顔を近づけた。

「…だめです…」

 エアリアが口では拒んだが、そのまま口付けを受けてしまった。ラウドが側に来た気配を感じ取って窓の外にその姿を見たら、どきどきしてもう気持ちを落ち着けることができなかった。

「殿下…」

吐息が漏れた。ラウドがエアリアの耳に口付けながら胸に触れて咎めた。

「こうするときは、名前で呼ぶって約束しただろう?」

 こうするとき…。それを思うと名前で呼ぶのは恥ずかしい。

でも。

「…ラウドさま…」

 なんとか絞り出した。外套のしとねに押し倒された。


 リィイヴとダルウェルという酒豪のふたりがいては、酒瓶二、三本で足りるはずもなく、追加で、酒蔵からごっそりと持ち出してきた。たちまち四本、五本と開けていく。

「おまえ、やるなぁ、イージェン以外に俺と付き合えるやつがいるとは」

 すっかり出来上がっているダルウェルが、リィイヴの肩を抱きながら、ご機嫌で杯を空けた。リィイヴが少し迷惑そうにしながらも、注がれるままに飲んでいた。

 魔導師は毒や薬を解毒するよう修練するので、酒を飲もうと思えば、底なしである。酔いたければ解毒しなければいいのだが、大魔導師になる前のイージェンは身体に悪いものはすぐに解毒する体質になっていたので、酔った気になる程度で酔うということはなくなっていた。

 ヴァンはもちろんもうベッドに沈んでいた。イージェンがふと窓の外を見た。胸騒ぎがした。一瞬息苦しい感覚がよぎった。強烈な圧迫感。

「飲んでてくれ」

 席を立ち、廊下に出た。学院長たちは学院の宿舎ではなく、後宮の離邸に泊まっているということだったので、宿舎はイージェンたちだけで、かえって静かだった。サリュースはそちらに行ったようでやってこなかった。

エアリアとセレンの部屋の扉を叩いた。返事がない。ゆっくりと扉を開けた。中に入ると、寝室の扉の向こうに気配がした。セレンやエアリアではない。鋭く、刃物のような。冷たく、氷のような。一瞬にして扉に寄り、開けた。ベッドの上でセレンが横になっていた。

「…セレン…」

 窓からベッドにかけて、水溜りが繋がっていた。まさか、池に落ちたのかとベッドに寄った。セレンの夜着の前がはだけていて、身体も寝具も濡れていた。

「セレン!」

 抱き起こすと、眼を薄く開けた。

「…魚…さんは…」

「ここにあの魚は入ってこられないぞ」

 セレンはゆっくりと首を振り、自分で起き上がろうとした。

「魚さん、ぼくが来ないから、会いに来たって言ってました。ここに座って…」

 と、ベッドを示した。

「ぼくの…」

セレンが自分の手で頬から唇に触れ、胸から腹へと動かした。そのように触ったと言いたいのだろう。あのセティシアンは魔導師に操作されていた。そのものがセレンに触れたのだ。

「身体を洗って、寝られる茶を入れてやるから」

 部屋にエアリアはいない。リュールは部屋の隅で寝ていた。セレンを抱き上げて、みなのいる部屋に戻った。

「どうしたの!?」

 びしょぬれのセレンに、リィイヴが驚いて椅子を後ろに倒してしまった。ダルウェルが寝室から敷物を持ってきて床に敷き、たらいに湯を入れてくると出て行った。リィイヴに厨房で茶を入れる湯をもらってくるよう言いつけた。部屋を出て、リィイヴがダルウェルを呼び止めた。

「厨房ってどこですか?茶を入れる湯をもらってこいって」

 途中まで一緒に行き、厨房を示すと、さらに奥に向かった。厨房には従者がいて、小鍋に湯をくれた。戻る途中でダルウェルが追いついた。

 イージェンがたらいにセレンを入れようと夜着を脱がし出し、ふたりに鎮静効果のある茶を入れるよう小部屋を指し示した。

「ふたりともいけ」

 ダルウェルが自分だけでやれると言ったが、いいからときつく言うのでふたりで顔を見合わせて肩をすくめた。

「セレン…気持ち悪くないか」

 イージェンが静かに尋ねた。セレンが首を振った。

「気持ち悪くないです」

 身体を洗ってやり、手ぬぐいで拭ってやって、大人の夜着で包んだ。抱いたまま長椅子に座って、ふうふうと冷ましながらリィイヴが持ってきた茶の杯を口元に持っていった。少し口を付けて飲んだがすぐに顔を上げた。

「師匠せんせい、魚さん、また来ますよね」

 イージェンがしばらく返事をせずにセレンを見下ろした。

「また会いたいのか」

 ようやくイージェンが尋ねると、セレンがぼんやりとした眼を空に向けてうなずいた。

「会いに来てくれて…うれしかったです、とても…会いたかった」

イージェンが茶を全部飲むよう言った。セレンが全部飲み干した。リィイヴに連れて行かせて、ヴァンの隣に寝かせた。リィイヴが寝室の扉を閉めたとき、部屋の扉が叩かれた。イージェンがつかつかと近寄り、開けた。

「入れ」

 エアリアが青ざめて入ってきた。

「あの…セレンは…」

 イージェンがくるっと背を向け、怒りをこもらせた声で言った。

「どこでなにをしていたかなどと野暮なことを聞く気はないが、弟弟子の面倒も見られないとは、あきれたものだな」

 エアリアが今にも泣きそうな顔で震えた。

「セレン、池に落ちたんですね…申し訳…ありません…わ、わたし…」

 イージェンが振り返って、エアリアの衿元を握り締めた。眼を赤くしたエアリアが身体を堅くした。

「おまえが男なら一発殴ってやるところだ。あいにく女なんで殴りはしないが、次こんな始末になったらもう許さん。顔の形が変わるのを覚悟しておけ」

 ダルウェルがイージェンの腕を掴んだ。

「おい、確かにエアリア殿が眼を離したのは悪かったろうが、そこまで言うのは…」

 イージェンがダルウェルの手を振り払い、エアリアを離し、寝室に入ってしまった。エアリアが両手で顔を覆い、小部屋に駆け込んだ。ダルウェルが肩で息をした。

「相変わらずきついヤツだ」

 リィイヴがそっと小部屋に入った。エアリアが椅子に座って泣いていた。

「エアリア…大丈夫?」

 声を掛けた。エアリアが顔を覆ったままうなずいた。

「セレン、魚が会いに来たってヘンなこと、言ってた」

 エアリアが濡れた顔を上げた。目の前にひざまずいたリィイヴの顔があった。

リィイヴがエアリアの両手を握った。驚いて手をひっこめたが、リィイヴは離さなかった。

「次がんばればいいよ。失敗は誰にもあるんだし」

跳ね除けなければ。でも何故かできなかった。優しい言葉。優しい眼。優しい手。

「イージェンから、君にテクノロジイのことを聞かせてやってくれって言われた。これからいろいろと知る必要があるからだって」

 エアリアが眼を見張ってから眉を寄せた。

「師匠がそんなことを…」

「たぶん、『敵』を知るってことだと思うよ。マシンナートはシリィ…君たちのこと、けっこう知ってる」

 エアリアが首を傾げて考えを巡らせた。テクノロジイについては異端であるということ以外詳しく知る必要はないという決まりがある。

「テクノロジイについては知る必要のないものと教えられてきましたけど…」

「イージェンもそのくらいはわかってるんじゃないかな。君だけに話してくれって言ってたから」

 エアリアがリィイヴを見つめた。急に顔を泣き崩した。

「師匠は…きっとわたしのこと、あきれてしまって、もうなにも教導してくれないです」

 リィイヴが片方の手を離して頬の涙を指で拭ってやり、微笑んだ。

「確かに呆れてるだろうけど、使えるものはなんでも使うヒトだから、君のように強い魔導師を簡単に放り出したりしないよ」

 もう片方の手も離して立ち上がった。リィイヴは手を振って小部屋を出て行った。

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