第二話 契約をしよう
トールの所有地に到着した一同。
しばらく森を進むと、多少開けた場所に出た。
そこには何もなかったが、ひとつだけボロボロの小屋が真ん中に建っていた。
「トール様ーーーーー!!!!」
到着した瞬間、女の子がトールに飛びついてきた。
その衝撃でトールの体が吹き飛んでいく。
「わあーー!? もうアニエスさん!! 急に飛びつかないで下さいとあれほど……」
「すみませんですトール様! けどアニエスは嬉しくって……ようやくおかえりになられたんです?」
多少敬語がおかしなことになっている女の子を呆然と見ている奴隷たち。しかも、アニエスの外見は少し小柄ながら十四、五の外見には似つかわしくない幼い言葉遣いだ。それにメイド服姿というのだからあまり似合っていない。
奴隷たちはあまりに急なことだったため、頭が追いつかない様子だ。
「こーら! アニエス、トール様が困っているでしょう? 離れなさい」
「むー、はいですお姉ちゃん」
さらに出てきた女性の言葉にしぶしぶトールから離れるアニエス。
出てきた女性はアニエスの姉らしく、幼い言葉使いのアニエスと違い気品ある淑女といった具合だ。もちろんメイド服もよく似合っている。年は二十歳前後といったところだ。
「おかえりなさいませトール様」
「はい。ただいま帰りました。アニエスさん、エイリスさん。準備は整っていますか?」
「もちろんでございます。さあ、皆様方。こちらについて来て下さい」
エイリスが奴隷たちを案内する。一方、トールは一同から離れ、小屋の中に入っていった。
「ご主人様は一緒に来ないの?」
イリーナがエイリスに問いかける。
「はい。トール様は契約書と奴隷解放の準備をなさいます。皆様にはまず、身なりを正していただき、その後、食事と契約の儀を執り行います」
「身なり?」
イリーナが首をかしげる。
奴隷たちも同様だ。
身なり? それなら今着ているものがあるじゃないか。それもボロボロで正すなんてことは出来るわけがない。
「トール様より服の支給がなされます。男性はこちらで、女性は小屋の陰で着替えていただきます」
そう言って服を差し出すエイリスとアニエス。
豪華ではないものの、今奴隷たちが着ているものよりははるかに上等の服を差し出され、困惑する奴隷たち。服なんてものは身体を隠せればいいと思っていた者たちが多かったからだ。
結局、女性にはエイリスが、男性にはアニエスが体の寸法を図ることになった。
エイリスはテキパキとこなし、短い時間に女性の方を済ませたが、アニエスの方はあまりうまくいっていなかった。
「あれ~? 少し腕回りが太いです? 入らないですね~」「わわっ! 背が大きいです! 合う服があるですかね~?」
あまりに時間をかけてしまったため、エイリスが応援に駆け付けた。
あっという間に寸法を合わせていくエイリス。丈の足りない人には布地を足すなどして合わせて行った。
「こんなきれいな服をもらってもいいのか? まだ契約書も書いていないじゃないか」
イリーナがアニエスに問いかけた。
「大丈夫です! トール様はお優しいです!」
「そ、そう……」
若干質問の説明になっていないアニエスの答えに、苦笑いを浮かべるイリーナ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
新しくなった服に若干の違和感を感じつつ、エイリスとアニエスに出された食事を平らげた奴隷たち。
すると、小屋からようやくトールが姿を現した。その手には火のついた炭と鉄棒が入った瓶が抱えられていた。
「ああ、みなさん。新しい服がよくお似合いですよ? よっと……」
奴隷たちをさりげなく褒めてから持っていた瓶を地面に置くトール。
「ご主人様……それは一体何だ?」
「これは……奴隷解放のための焼印です」
『焼印』という言葉に奴隷たちの顔が青ざめた。
この場にいる奴隷たち……いや、世界中にいる奴隷すべてが体のどこかに『奴隷印』が施されている。
それは奴隷の証であり、たとえ持ち主から逃亡を図ったとしても他の場で通常の人間と同じ生活ができないようにするための楔である。
「あんたは!! 私たちに新しい『奴隷印を』つけるつもりなのか!? 結局あんたも……!」
「いえ違います! これは『奴隷印』の上につけて印を上書きするための物ですので、決して『奴隷印』とは……」
「その言葉をどうやって信じればいい!! その焼印が新しい『奴隷印』じゃ無いなんて証明しようがないだろう!!」
イリーナが激高する。
当然だ。
トールがしようとする焼印がトール独自の『奴隷印』で無いという証拠が無い。
そうすれば契約書を書いたとしても、奴隷の持ち主であるトールが書類を破り捨てれば契約なんてものも意味をなさなくなる。奴隷は持ち主に絶対服従というバカげた法律もあるくらいだ。
「…………確かに、僕はこの焼印が『奴隷印』でないと証明はできません。世界の奴隷を取り仕切っている『教会』の焼印は、許可さえあれば新しく作ることもできます」
「はっ! やっぱりあんたも他の貴族たちと同じ……」
「だから! 僕はあなた方に見せることしかできません」
トールが瓶に入った鉄棒を手に取ると…………
「…………っふ!…………ぐっ……!」
自らの腕へと押しつけた。
痛みに耐えるトール。腕からは皮膚が焼け煙が出ている。
その姿にイリーナを含めた奴隷たちが驚愕している。目の前の主人が自分たちに証明するために自らの体を傷つけているのだ。
「あ、あんた……!」
「これで……どうですか?」
トールは自分の腕を奴隷たちに見せつけた。
その腕には確かに焼印が……何かの花の印がはっきりとついていた。
これで決定だ。
トールが作った焼印は『奴隷印』のそれとは違う。
もしこの花の印が『奴隷印』ならば、トール自身が奴隷に身を落としたことになる。
そこまでして奴隷たちに何かを証明する必要は全くない。
だから決定だ。
奴隷たちの心は動いた。確信した。
トールの目的がなんにせよ、自分たちのためにやってくれていることだ。
「お、俺もその焼印を押してくれ!!」
奴隷の一人がそう叫んだ。
すると、次々に奴隷たちが「俺にも!」「私にも!」と押し寄せる。
「皆様お待ちください! 印を押す前にまず契約書に署名をお願いします」
「そうじゃないとただの焼印になっちゃうです!!」
押し寄せる奴隷たちをなんとか押し返そうとするエイリスとアニエス。
確かに、契約書の第四項、
4・労働者が、雇用者に奴隷として購入された代金を支払うことにより、労働者を社会復帰させる義務が生じる。
が施行させなければ、奴隷たちは『奴隷印』を消しただけの奴隷のままだ。
エイリスたちの言葉の意図が伝わったのか、奴隷たちは渡されていた書類に署名をし始める。
その全員が文字を書くことができないため、オリジナルの紋章で代用していた。
「ありがとうございますっ……! みなさん!」
目に涙を浮かべながら礼を述べるトール。
普通ならば礼を言うのは奴隷たちの方だ。この礼は若干あべこべである。
全員が契約書に署名し、体の『奴隷印』を消すように焼印を押してゆく。
大人は皮膚が焼ける痛みも我慢できたのだが、子供はそうはいかない。年端もいかない子供は泣きじゃくりながらもなんとか印を押すことが出来た。
しかしながらまだ一人だけ焼印も契約書もしていない人物がいた。
イリーナである。
「あとはイリーナさんだけです。……やはり、信じてはもらえませんか?」
「信じるかどうかは私が決めることだ。あんたが何かを言って信じることなんてないよ」
イリーナの言葉に口を紡ぐトール。
確かにイリーナの言うとおりだ。
この契約はあくまで任意なのである。だとすれば、トールがいかに説得しようとも最後に決めるのはイリーナ自身なのだ。
しばらく辺りに沈黙が漂う。
「はあっ…」とため息をつくかと思うと、イリーナは自身の親指をかみちぎり、自身の血で契約書に署名し始めた。
つまりは血判。
その契約に背かない時に使うものだが、イリーナが書いたものは違う意味合いがあった。
「私はあんたを信じる! 信用する! だからあんたもこの署名に誓ってくれ! 私たちを……この奴隷と言う地獄から救い出してくれると……」
よく考えてみれば何の論理性も無い、何の効力も持っていないこの血判。
しかし、それは誓いであった。
トールと、イリーナの間に出来た形の無い誓い。
そのことを感じ取ったトールは大きくうなずく。
「誓います。必ず……必ずあなた方が安心して暮らせる場所を作ります!!」
トールのこの言葉に、満足げな……それでいて涙を瞳にためた表情でイリーナもうなずいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それじゃああとは焼印を押すだけだね。ほら、自分でやるから貸してくれ」
「えっ? 僕がやってあげますよ?」
契約書を書きあげた後、イリーナは焼印を自分に渡すようにトールに言った。
しかし、トールは「自分が押す」と焼印を渡さなかった。
「いやいや、それくらい自分で出来るって!」
「いえ、自分で自分のを押すのは少し難しいので、やはり僕が……」
トール自身は全くの善意で言ったことだったのだが、イリーナには少し事情があった。
そしてその事情を顔を赤くしながらこう叫んだ……
「わ、私の『奴隷印』は内ももにあるんだよ! 察せ馬鹿!!」