第一話 説明をしよう
「どうも皆さん。こんにちは」
青年が笑顔で奴隷達に挨拶をしている。
イリーナを落札した後、他の奴隷も次々に『購入』し、結果としてそのときに売られていた奴隷達三十人をすべて買い取ってしまった。
内約すれば、男十八人。女十二人。その中には五人の十歳以下の子供も含まれている。
種族的にはほとんどが人間で、イリーナ獣人族が一人。ダークエルフが五人いる。
「さあ! 皆さん遠慮せずにどんどん食べて下さい。足りないなら追加注文して下さっても良いですよ?」
今、青年と奴隷達は町外れの食堂に来ている。競りが終わった後に青年が全員を連れてきたのだ。
しかも、そのテーブルには所狭しと様々な料理が並んでいる。肉料理、魚料理、キノコに山菜等々……
大勢の奴隷を連れてきた事もあり、はじめは店の人も良い顔はしなかった。奴隷達はお世辞にもきれいとは言えない風貌であるから仕方もない。だが、奴隷達全員分の食事を注文すると、店の人間の表情が一変した。町外れにあるからか、青年達以外の脚はいない。青年達がお金を落としていってくれると思ったのだろう。
「お、おい……これ……本当に食っていいのか?」
「ゴク……そ、そりゃご主人様が食って良いって言ってるんだから……」
奴隷達は青年の顔を見る。すると、言葉は発さず、笑顔を向けたまま「どうぞ?」と手を差し出した。
それが皮切りだった。
奴隷達が一斉に料理に群がる。
ナイフやフォークを使うということもしない。ほとんどが手づかみで食べていた。
中には涙を流し、むせながら口に料理を詰め込んでいる者もいる。
もちろん、イリーナも例外ではない。
なにせ、最後に飯を食べたのは二日前。しかも、小石程度の芋を二、三個食べただけだったからだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
テーブルに並んであった料理があらかた無くなった。
ものの二十分もしないうちにすべて奴隷達が平らげてしまったのだ。
「はい。それでは皆さん、少し聞いていただけますか?」
青年の言葉で、食後でゆるんでいた奴隷達の表情が凍り付く。
青年の言葉は丁寧だし、満腹になるほどの食事をさせてくれた。
それでも青年は奴隷達のご主人様なのだ。
普通、奴隷にこんな待遇はあり得ない。この後にどんな恐ろしい要求をされるか分からないのだ。
「え~っと……まずは自己紹介からですね。僕の名はトール。トール=アリキュアムと申します。どうぞよろしく」
トールは笑顔を向けたまま一礼した。
食堂がざわつき始める。
「な、なんでご主人様が名乗りなんてするんだ?」
「そもそも、奴隷に頭下げるなんて……」
「わ、私たちは夢でも見ているのかしら……」
奴隷達が疑念を覚えるのもムリはない。
なにせ彼らは虐げられるのが当然と言った人生を歩んでいたからだ。
仕事に失敗したから殴られる。
仕事中に過労で倒れたから殴られる。
ご主人様の機嫌が悪いから殴られる。
ご主人様の機嫌が良いから殴られる。
それらが当然。奴隷の運命なのだと彼らは割り切っていた。
だが、トールは違っていた。
食事を与えてくれ、今はこうして対等な人間として扱うように頭を下げている。
そんなものは奴隷達にとっては予想外すぎた。
「それで、ご主人様は私たちに何をさせたいんだ?」
ざわつきが止んだ。
そのきっかけはイリーナの奴隷ではあり得ないような口の利き方だった。
いくら何でもその言葉使いは無いだろう。奴隷達全員が思った。
「あっ、そうですね。では……この中に文字の読み書きができる方はいらっしゃいますか?」
イリーナの言葉使いを気にするそぶりも見せず、トールは奴隷達に聞いた。
だが、その質問に奴隷達は首をかしげる。
「なんでそんな事を聞くんだ?」一様にこう思っている事だろう。
なぜならこの世界において、文字の読み書きができる者など極少数だからだ。
できるのは商人と貴族くらいのもので、平民すら読めれば上等。書ければ最高。と言った具合で、奴隷など読み書きができるはずはなかった。
しかし、そんな奴隷達の中で一人だけ手を挙げる者がいた。
イリーナだ。
「私……できるよ?」
「そうですか。えっと……イリーナさん……でしたよね? では、この書類を皆さんに読んでいただけますか? 僕が読んでも良いのですが、それでは皆さんが納得しないでしょうし……」
イリーナがトールに名前を覚えられていた事に驚きつつ、文章を読み始めた。
契約書
雇用者であるトール=アリキュアムは、労働者の必要最低限の人権を守り、労働に見合った給与を与えることを堅く誓う。
印・トール=アリキュアム
労働者は以下の項目に関し、雇用者である者に要求をすることができる。
1・雇用者は労働者を奴隷として扱わず、一人間、獣人族、エルフ、ダークエルフとして扱う。
2・一月あたりの給与は歩合制とする。だが、最低賃金として百オルカは支払うものとする。
3・雇用者は労働者が自力で生活できるまでの間、その衣食住を保証しなければならない。
4・労働者が、雇用者に奴隷として購入された代金を支払うことにより、労働者を社会復帰させる義務が生じる。
これら以外にも要求がある場合は雇用者に対して直訴することができる。
以上の点を了承するならば、労働者の氏名を明記する。
印・
イリーナが書類を読み終えると、奴隷達が静まりかえっていた。
そのほとんどはイリーナが読み上げた事について理解できていないようだ。
だが、一部の人間は書類の意味が分かったようで、絶句状態になっている。
「こ、これって……奴隷解放……?」
イリーナがつぶやいた。
そのことによって、理解できていなかった者達から声が上がり始める。
「えっ……? 奴隷を解放する?」
「まさか……そんなわけ無いだろ」
「でも聞く限りじゃ……」
「私たち、自由になれるの?」
「ああ。簡単に言えばそうなる。しかも、ご主人様の下で働けば生活も保障してくれるらしいし、給料も出る」
理解できていた一人が補足的に説明を加えた。
すると、奴隷達から歓声が沸き起こった。
中には互いに抱きしめあって喜んでいる者達もいる。
「ちょっと待て!!」
その中で、奴隷達に冷や水を浴びせかけるような声が響いた。
言うまでも無い。イリーナである。
「確かにこの書類におかしな所は無い。ご主人様が奴隷である私に読ませたのも納得がいくことだ。だけどこんな事をしてなんになる? あんたにはまったく得にならないじゃないか」
イリーナの言うとおり、この書類はあまりに奴隷達側にとって好条件過ぎだ。
疑って当然。
後からどんな屁理屈で無理難題をふっかけられるか分からない。
だが、イリーナの疑いの目もトールの表情と言葉を聞いてゆるむことになる。
それはあまりに馬鹿げて、夢物語な言葉……
「僕は……僕の目的は……奴隷が奴隷でなく、奴隷として扱われない国を作ることです」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あれから何日が経っただろうか……
トールとイリーナ、そして他の奴隷達は馬車に揺られていた。
「やれやれ……一体いつまで移動するつもりなんだ?」
「言うなよ。ご主人様はちゃんと毎日飯を食わしてくれるし、移動時だってのに手かせ足かせまで外してくれてるんだぜ?」
「まったく。ご主人様様々だ」
結局、食堂ではイリーナの反対により奴隷達は書類にサインはしなかった。
トールも、もう少し熟考してからの方が良いと快くその反対を受け入れた。
その後、馬車に乗って数日を過ごしたのだが、トールの態度が変わることは無かった。
相変わらず低姿勢であり、誰であれ話すときには敬語で笑顔を向けている。
そんなトールを見る奴隷達は、単純というか……優しくされたことがないためか、トールが神様か何かと思っている者さえいた。
「俺は決めたぞ! 目的地に着いたら必ずあの『けいやくしょ』とやらに署名する!!」
「ああ! 俺もだ! 文字は書けねぇが……何か証明になる紋章でも良いんだよな!?」
「私も! あの人について行けば何か良くなっていく気がするわ!」
奴隷達の心は固まっていった。
トールについて行く。
それが今の奴隷達にある共通の思いだった。
例外として、イリーナは訝しげな表情を浮かべていたが……
さらに数日が経った。
さすがに一同疲れがたまったようで、ほとんどは眠りについていた。
すると、急に馬車が止まる。
寝ていた者達も気付いたのか目を覚まし始める。
「なんだ? 着いたのか?」
奴隷の一人がつぶやく。
だが、馬車の窓から外をのぞくと、一面が森で埋め尽くされており、馬車は小高い丘の上に止まっているようだ。
落胆している奴隷達だったが、馬車の扉が開くと外から差し込む日光に目を細めた。
「皆さん。申し訳ありませんが馬車はここまでです。ここからは徒歩で行きます。もう少しですよ」
扉を開けたのはトールだった。
三台の馬車から奴隷達が次々と降りてくる。
あたりを見回すとそこには何も無い、ただの丘だった。
果てしなく広がる森に関しては絶景と呼べないことも無かったが……
「それで? どこまで行けばご主人様の『国』とやらに着くことができるんだ?」
イリーナが皮肉のこもった口調でトールに尋ねる。
「……え~っと……いえ。国というか、僕の土地にはもうとっくに入っていますよ?」
イリーナが首をかしげる。
イリーナはここに着くまで絶えず窓から外を見ていた。
どこか門を通った事はないし、ずいぶん前から森の中をひたすら走り続けていた。つまり、トールが自分の土地だと行っている場所がどこからなのかまったく分からなかったのだ。
「僕が持っている土地は、この丘から見える限りすべてです」
トールがあたりを手で指し示した。360度、すべて森に覆われているが、それがすべてトールの土地だと言っている。
「はあっ!? すべてって……このあたり全部か!?」
イリーナが驚くこともムリはない。他の奴隷達も一様に絶句している。
見渡す限り、区切りとする山の内側にある土地だけでもとんでもない広さを持っているからだ。
端に着くまで一日二日はかかるであろう広さ。
一同は思った。
「俺たちを買ったご主人様はどれほどの大貴族なんだ?」と