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二、 

 そして、きっかり三時限分寝て、放課に入った。部活も雨で休みということで、さっさと家に戻ろうと傘を差しながら市街地を抜けると、ふっと、冷たい空気が頬を掠めた。

 嫌な予感を覚えつつも、勘が導くままに歩を進めた。

 日が短くなったといっても、暗い、道だった。

 ぞわぞわと背筋から鳥肌が立って指を小刻みに震わす。

 ねっとりと甘い臭気に思わず鼻を押さえて周りを見渡すと、いつもは気にならない、キンモクセイの匂いが濃く立ち上っていた。

 そのまま、足を進める。

 雨に濡れたアスファルトがやわらかくなったような、そんな重い足取りでゆっくりと、進んでいく。

 灰色の塀を尻目に、傘に半分ふさがれた視界の中、歩いていく。傘の布地を叩くかすかな雨の音も聞こえないぐらい、その場はなにかの濃い気配に包まれていた。

 言い様のない不安が胸を去来する。

 傘を握る手に力がこもる。

 そして、風を切るオトが聞こえた。

 ざわりと血が騒ぐ。悪寒のようなものを感じてすくんで足が止まってしまった。

 途端、足が動かなくなる。

 体も、なにもかも動かなくなって、かろうじて顔だけを上げると、一人の見慣れた少年が、そこに立っていた。

「なにしにここに来た?」

 低い声音に無表情。その右手には白光りする刃が握られて、左手には黒い鞘が握られている。柄頭にぶら下がっている藍色の紐飾りが雨に濡れて重たげに揺れている。

「ここにこなければ良かったものを」

 そう呟くと、少年は、優は刃を一振り、水を切ってから鞘に戻した。そして、菫に向き直ってまっすぐ、見た。はじめてまっすぐ目を見られた。

「おい、聞いている。なぜここにきた」

 低い声に、なにか、殺気のようなものを感じて後退ろうとしたが、動けない。

「答えられないか?」

 すらりと刃を抜いて菫の鼻先に突きつけた。冷たい刃が鼻の頭に触れる。そのまま刃は紙一枚のすきまを持って頬に抜けて耳の下、首に突きつけられた。

「なぜ、ここに……?」

 語気を緩め、首をかしげる彼に菫は震える唇を引き結んで、目に力を込めた。

「嫌な予感がしたのよ。悪い?」

 したたかなその瞳の光に、優は驚いたようだった。と、同時に、優は舌打ちをして刃を放して、背を向けた。途端に体の自由が戻った。優の深いため息が暗い路地に異様に響く。

「……じゃあ、もうその予感は無視して、まっすぐ家に帰れ。ろくなことにならないだろう」

「なんでわかるの?」

「……ろくな目に遭ってないだろうがよ。…………ほら、さっさと帰れ」

 そうぶっきらぼうにいう彼にあんたに従う筋合いはないと喉元まで言葉が出てきたが、それを押さえ込んで一歩、一歩と後退った。

「危ない目に遭いたくないなら首を突っ込むな。その予感はお前を違う世界にいざなう。できるなら、このことを忘れろ。今、この場所で、俺にあったことも忘れてくれ」

 そう、立ち去る菫に優はいった。静かな口調にどこか自分に言い聞かす響きがあったのは、菫は勿論、優も気づいていなかった。

「だから、さようなら」

 そう、最後に聞こえた。

 胸を取り巻いていた嫌な予感はたちどころに消え去り、あの濃密な気配も霧散し、たゆたっていたキンモクセイの匂いもふっと軽くなった。

 振り返ると、もうそこにはだれもいなくて、あったのは血溜まりだけだった。ちょうど、優が立っていた辺り。辺りを見回すが、優の姿などとっくになかった。その跡も、雨によって流されていく。

 そして、そこには、一人、傘を差す菫だけが呆然と立ち尽くしていた。

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