一、
早秋の香りがふわりと、体を包む。
冷たい朝の気の香りを楽しむように深呼吸した、一人の少年はため息混じりにその空気を吐き出して、縁のないメガネを中指で押し上げて高い空を見上げた。
「秋か」
そう呟いて、少年は冷たい眼をして学生カバンを担いで、徒歩で学校に向かった。途中、同級生らしき人とすれ違うのだが、だれも、彼に声をかけようとはしない。
彼は、留年したのだった。半年に及ぶ入院生活で、出席日数や単位が極端に少なかったために、留年させられた。
故に、友と呼べる人はいない。――そう。もういないのだ。
喪失の痛みが胸をちくりとさして、かすかに眉を寄せた。ため息をつきそれを隠して、いつものように昇降口で上靴にはき替え教室に向かった。
教室に入っても、彼に声をかける人はない。年上の雰囲気もあってか、少年の表情ゆえか、どちらにせよ、今の同級生は彼によってこない。
彼は常に、無表情だ。影では仮面野郎だのと悪くいう生徒もいるが、それも少年の一瞥で言葉すら失せるのだ。
鋭い表情はいつも崩れる事はなく、毎日、窓際の席に座り、授業中も当てられたときと食事をするとき以外は口を開かない、そんな生活を送っていた。
今日も、そんな毎日の繰り返しだ。
そう心の中で呟いてため息をついて、カバンの中から教科書を取り出して、机の中を確認してから教科書を入れた。
鋭い表情に整った顔立ち。
それを引き立てるように、縁のない眼鏡をかけ、成績は学年一位。そんな彼を嫉まない人はいないだろうか。
低レベルなやつとののしって、机の中に入ったくしゃくしゃに丸められた紙をゴミ箱にほうった。
きれいな放物線を描いて、燃えるごみの箱に入る。
それが日常だ。
「おはよー。キナサ君」
そう声をかけられて、顔を向けると、艶やかな黒髪をボブカットにして、目元が少したれて優しそうでゆるそうな雰囲気を持った女子生徒がこっちを向いてほほえんでいた。それにうなずいて、おはようと声をかけ返して席についた。
少女は先程の紙の軌跡をなぞるようにゴミ箱に視線を向けて苦笑した。パッチリと大きな瞳が細まる。
「またなにか入ってたの?」
「ああ。おそらく、馬鹿な張り紙だろうな。脅迫状みたいなものだ」
無感情にそういう彼に、女子生徒は苦笑して肩をすくめた。
「脅迫状だって、簡単にいうね」
「あるだけ無駄なものだ」
首をかしげて、こともなげにいう彼に女子生徒は笑ってうなずいた。
「まあそうだろうね。でも、そろそろ、先生とかにいったら?」
「鬱陶しくなってきたら、自分でやるさ」
「やるって、なにするつもりなの?」
「なにをするも、あっちが暴力で挑むならこっちも手加減なしでやるまでだ」
周りに聞かせるように吐く彼の周りにいた幾人かが色を失った。それを尻目に確認しつつ少年は肩をすくめた。
「そうね。キナサ君だもんね」
「ああ」
入院の原因は彼自身明らかにしていない。聞いても語らなかったというのが本当だろう。そのために、その入院の理由に関してのデマは幅広い。
たとえば、女に殴られて頭を打って昏睡状態だったとか、不良と喧嘩して、手首と足を粉砕骨折したなど、馬鹿なものから超人的なものまである。