三、
眠ってしまった菫を見て優はそっと目を伏せ、身につけていた龍玉を模した白珠のついたネックレスを菫にかけて立ち上がった。
「……じゃあな」
そういって部屋を出て鍵をかける。扉の前には一人の男性。菫のおじである、峰也がそこにいた。
「峰也さん」
「……行くんだね」
「はい」
静かな問いかけにうなずいて、優はふっと笑って空を見上げた。
「あいつも、見ています」
降り出した雨と雲間から顔を覗かせる月を見て峰也に目を移す。
「……ああ、そうだな」
うなずいた峰也は優と同じように月を見上げて笑った。
「いいんだね?」
なにかに念を押すようにいわれた言葉に優は静かにうなずく。
「はい。あれは、俺がやらないと俺の気が治まらない。……それに、この戦いを拒否しても、いずれ菫のところに向かう。巻き込んでくれるなと塁はいったが、危険な目にあわせるぐらいなら巻き込んだほうが良い。だから……」
「だから?」
峰也に続けられた言葉に、優はなぞめいた微笑を浮かべて、そして腕時計に目をむけた。時刻は午前二時をすぎた所。
「……時間です」
「もうそんな時間かい?」
「はい」
うなずき、アパートの屋根から、外へ走り出す。降り始めていた雨はすぐに強まり、優の黒髪を一瞬にして濡らす。
「とめても無駄だ。俺はいく」
後ろでついてくる峰也を気遣いながら優は雨に向かってそういうと学校のほうへ急いだ。
「鬼無里」
「鬼は?」
「まだ」
顔見知りの同業者に目を向けると、首を振って肩をすくめた。
それを見た優はそっとため息をついて腕を一振りして刀を出した。
「それは……」
「御山の刀だ。わけあって俺が使うことになっている」
「血統で受け継がれるものじゃ……」
「だから、俺に負担が来てるんだ」
疲れた声でそういった優に、口をつぐんだ一人は、さっと校庭の奥を見て自分の得物を手に取った。
「霊だ。……お前は下がってろ」
「ああ。そうする」
身構えた同業者にうなずいて見せて優はそっと目を伏せたが、すぐに上げた。そして、後ろにいた峰也を突き飛ばしていた。
「下がれっ!」
優の鋭い叫びに何人かが振り返る。その瞬間、紅い光が彼らを切り裂いた。
「っく」
とっさに優は刀を抜いてその赤い光を受け流して飛び退った。
「なにが」
呆然とした御ねやの声を聞きながら、優はさっと目を走らせていた。
紅い光に貫かれ、切り裂かれた人間は、そのまま、血を撒き散らしながらぬかるんだ校庭へずり落ちる。
「死にたくなければ、下がれ。白妙の鬼だ」
優の静かな声に赤い光を受けなかった人間が怯えたように後退った。
「……」
闇の中から、雨に打たれ、月明かりに照らされて、幽玄な美に溢れた白い男が出てくる。
「また、貴様か」
乱れた白髪。紙のように白い肌に、切れ長の目に浮き立つように黒い瞳。すらりとした長身を白い狩衣に包み、腰には刀が差してある。
「また、見えることになるとはな。今度こそ、この手で糧にしてやろう」
「できるならな」
優の中で、殺意と剣気がひたひたと波打つ。深く息をついて腰を落とし構えを取る。
研ぎ澄まされていく意識と、冴える頭。
「……」
周りにいた人物はそんな優の雰囲気に気圧され、一歩も動けずにいた。
腹の底から湧き上がる目の前の敵を排除したいという強烈な殺意と、平常心を失ってはならないという理性が胸に上がり、また腹の底に返っていく。
「……」
丹田に感情、呼吸、雑念全てを集めて瞬きをせずに鬼を見る。鬼も間合いを計るようにじりじりと近づいてきている。
風が、吹きぬける。雨は落ち、校庭の砂をぬらし、ぬかるませていく。
風が止まった刹那。先に動いたのはどちらだろうか。
紅い光と蒼さを帯びた銀色の光がかち合う。
激しい衝突音。飛び散る火花。
「腕を上げたの」
「仕事が増えたからな」
鬼の楽しげな声と優の低い声。気がつけば二人は刀を交えつばぜり合いをしていた。
「それでこそ糧にしがいがある」
「……糧になる気はない」
一度、突き放して両者は飛び退る。雨足はさらに激しくなり、ししどに濡らす。
「狂戦士となったな?」
「……知らん。覚えていない」
かたかたと震える左手を押さえつけながら優は目を細めた。刀があの鬼の精気を欲しがっている。
「落ち着け。急がなくとも、食える」
刀にささやいて優はあでやかな笑みを浮かべる鬼を見据えて、刀を正眼に構えた。




