一、
「あたしは、足手まとい?」
その言葉に肯定しなければならない。
決して足手まといというわけではないのだ。少なくとも、彼女がいるから仕事が合っても帰ってこなければならないと思えるのだ。
だが、巻き込んでしまえば、その存在を失うことになる。
「……」
なにもいえずに黙り込んでしまった。
うなずかなければならない。
突き放さなければならない。
だが、喉に、体が、何もかもが凍り付いて、肯定を体が否定する。
「鬼無里君」
ゆっくりと顔を上げて目を瞑った。
直視できない。
直接菫を見てしまえば、今まで押さえ込んでいたなにかが、こみ上げる。
「傍に置いて?」
「……」
逆にここまでいってしまったのだ。白妙の鬼が滅殺されるまで、一緒にいるほうが、菫は安全だ。
だが、その後は――。
「鬼無里君は、寂しくないの?」
その言葉に思わず目を開いて菫を見た。はじめてだった。そんなことをいわれたのは。
胸の奥にある、きりりと痛む感情。それは、淋しさだった。
「いつもね、そんな目をしてるの」
どんな目と尋ねた声が声にならなかった。
驚きが強すぎた。
優しく頬を包まれて身動きが取れなくなる。
「たまに、あたしも同じ目をしてたりするの。あたしは、いつもそういう時は寂しいとか思ってるの。鬼無里君も同じなんじゃないの?」
「…………だから、どうしたんだ?」
それだけ出した声は、かすれていた。かすれて、聞き取り辛かった。その声を聞いてか、菫は、ふっと深い目をして優の目を覗き込んだ。
「どうしたってわけじゃないよ。でも、寂しいのは、やじゃない?」
「でも、お前になにがわかる? 寂しくても、喪失の痛みに比べれば、寂しさなんて」
「……うん。そうだね」
あっさりと肯定されて、言葉を失った。寂しそうな菫の瞳。決まって、家族のことを話す時にそんな瞳をしていた塁。そして、塁との思い出をふっと思い出す自分。全てが重なった。
「でもさ、いつまでも、兄さんに囚われてちゃ駄目だって、あたし思うんだ」
塁に囚われている――。
息を呑んだ。大人びた瞳の色をして菫は幼子を納得させるように首をかしげた。
握った拳が小刻みに震える。
その冷たい拳に暖かくて小さな手が重なり、とかしていく――。
心の重石が、とかれた。
「……優」
深い声音にいつの間にか伏せていた顔を上げると寂しそうにほほえんで、菫は片手で優の拳に手を当てている。そして、頬に当てていた手が髪にすべり、直毛の真っ黒な髪をそっと撫でる。
「痛かったんだね。ずっと、一年間、兄さんが死んだことは、自分の責任だと思って。自分が死ねばいいって、思ったりしたでしょう」
だれにも明かしたことのない、本音。見事に暴かれて、仮面が崩れ落ちた。
「菫……」
「辛かったね」
ぐっと抱きしめられて額を、頭を、その暖かい胸に預けた。鼻の奥がつんと痛くなってその小さな胸に縋った。
嗚咽は漏らさずに、ただ、静かに泣いていた。思えば、あの日から、一度も涙を流さなかった。
涙を忘れていた。
人の温もりを忘れていた。
人の強さを忘れていた。
あの日から忘れたものがたくさんあった。
由里のあの一言が、心を引き裂いた。責任を転嫁するわけではない。だが、あの言葉からだった。それを知らないはずの菫が、全てを暴いた。
「……ここにいるよ」
そうポツリと呟いた菫に何度もうなずいて、その、胸に縋った。まるで、悪夢から覚めた幼子のように。
雨は降り続いている。
音は限りなく優しく、冷たい雨が地面を濡らしている。
その音と、菫の温もりを感じつつ、優は、突き放さなければならないのに、なにを縋っているのだろうかと苦笑した。
全ては自分の甘さが招いた現実。
ならば、自分の甘さに責任を持ち、菫を守り、白妙の鬼を滅殺するのが今の自分の最優先するべきことだ。
そう心に誓ってつかの間の休息に身をゆだねた。