六、
しばらくすると、小さな小奇麗なアパートについた。ここが優の住処らしい。
「部屋、少し散らかってるかもしれないから」
そういわれて、二階の部屋、少ししゃれた玄関の扉をくぐると懐かしい匂いが鼻についた。
「ここは、昔、お前の兄、塁が住んでいたところだ。塁が死んで、部屋も引き払うだろ。俺がもらった。……俺は、住処なしの、ホームレスだったからな」
「どういうこと?」
「家出、したんだ。そこら辺も塁のことを話すには必要なのかもな。適当なところに座っていてくれ」
白いソファーを指して、台所に立った優は、扉つきの棚の中から、紅茶のカップと、茶葉、ティーサーバーを出して、湯を沸騰させた。
その手際もかなりいい。
「紅茶派じゃないんじゃなかったっけ?」
その手際を見てそういうと、優は自嘲気味に笑って肩をすくめた。
「まあな。でも、嫌いってわけでもないから」
じゃあなんでと、いいかけたが優の顔を見てやめた。
痛みをこらえる時とよく似た表情をしていた。あまり触れて欲しくないのだろうか。
湯が沸いて、ティーサーバーを温めて、人数分の茶葉を入れて、湯を淹れて、蒸らして、温めておいたティーカップに注いで菫の前の白い机に持ってきた。
白い机に、繊細な花の模様の、優の部屋においてあるとは思えないほど繊細できれいな花の模様のティーカップと、その中においてある紅茶の色がとても鮮烈だった。
ふわりと立った香りに覚えがあるのに優の顔を見ると、淋しそうに笑っていた。
「塁が好んで飲んでいたものだ。一年ぶりだよ、俺も飲むのは」
砂糖もミルクもつけないが、すまないといいつつ、口をつけた優の眉がくっと寄った。
熱いのだろうか。
そう思いつつ、ソファーの上に座ってティーカップに口をつけて、口の中から広がった香気にふっとため息をついて顔がほころんだ。
「さあ、話そうか。お前がどこまで把握しているか、聞きたいが」
「把握って、どういう?」
「どういうって、な。……あれだ。じゃあ、尋ね方を変えよう。俺と、塁が友人であったことは、言葉の端々から勘付いているだろう」
そういった優の表情を見て、紅茶の色を見て、ため息をついた菫は、目を伏せて携帯を取り出した。
「これ、今日の朝にきたの」
そういって見せたのは、叔父からのメール。叔父は、二人が同学年で同級生だということは知らないはずだ。優が、それを確認して、一つうなずいた。
「これを見て、俺と塁の関係を知ったのか」
「うん」
うなずいて、眉を寄せて深いため息をついた優をじっと見つめた。真っ青が真っ白だ。
倒れはしないだろうかと思っていると、辛そうに目を伏せて、近くにあった棚を引っ掻き回して白い紙袋、薬の袋を出して、錠剤を二、三粒手にとって口の中に放り込んだ。
「大丈夫?」
「ああ。抗不安薬だ。塁が死んでから、精神状態が不安定でね。死のうとしないが、うつに限りなく近い状態が継続してる」
辛そうに息をついて目を閉じた口をへの字に曲げてそっと拳を握った優をじっと見ていた。
なにもできることはないと思い、出された紅茶に口をつけて、優が口を開くのを待った。しばらく無言の重たい静寂が続いて、優のため息に吹き払われた。
「すまん」
そう口にした優の顔色は先程に比べれば、良くなった。一度紅茶に口をつけて窓の外を、いつの間にか降り始めていた雨を眺めやり、菫を見た優の瞳に吸い込まれるように視線を持ってかれた菫は、そのまっすぐな瞳を受け止めて見ていた。
「じゃあ、話そうか。一年前の、あの雨の日のことを――」
そう口にした優はどこか遠くに視線をやって、昔語りをする老人のように目を細めた。




