六、
あんなに強い口調の優を見たことがなかった。
通話後の単調な音を繰り返す携帯を握り締めたまま呆然としていた。次の停留所まで数分。切符を準備して、手荷物をまとめた。数分だが、本当に優はここにくるのだろうか。
そう思いつつ止まったバスを降りて、停留所の下、高速道路の下に向かうと、蒼白い顔をして制服を着た少年に支えてもらっている革ジャンの男がいた。よくよく見ればそれは優だ。
「鬼無里くん」
「菫」
ふらふらとしながら肩をつかんで顔をまじまじと見つめる優に首をかしげて見せると優は深いため息をついて、肩をつかんだ手に力を込めてきた。
「鬼無里くん?」
あまりにも倒れそうな顔色に手を伸ばすと、引き寄せられた。
気づいた時には優の腕の中、すっぽりとはまっていた。早い鼓動が頬に伝わってくる。背中に回されたしなやかな腕がかすかに震えている。
「どうしたの?」
こんなに不安そうな優を見たことがなかった。
視線をめぐらせて、優を支えていた冷たい印象を受けさせる、どこかのヴィジュアル系バンドのボーカルリストではないだろうかという鋭く整った顔の男に助けを求めるように視線を向けると、男は苦笑して大げさにため息をついた。
「こんなところで、そんなことしてていいのか? 人がいないにせよ、お前達、完全バカップルだぞ」
そう突っ込んだ声に、優がはっと体を離して突き飛ばした。よろめいた菫が体勢を整えて、もう一度優を見ると、ばつが悪そうにそっぽを向いていた。
「すまん」
少しうつむいて目を伏せて憔悴したようにため息をつく姿に、首をかしげた。
「……で、どこ行くんだ?」
「とりあえず、俺の、塁の部屋だ」
「ああ、あそこ。で、バカップルはそれに揺られていくか?」
「さすがに、な。また、あっちに行く時に呼ぶから」
「そうかい、んじゃ、俺はあっちで塁の話し相手でもしてるよ」
「ああ」
そう男と別れた優はそっとため息をついて、バイクのメットケースから一つのメットを取り出して、菫に渡した。
それを受け取った菫はふと、メットの感触に、どこか覚えがあるのに気づいた。この感触は。
「兄さんの?」
「……ああ。塁のものだ。このバイクも本来なら塁のものなんだがな。処分されるだけだから俺がもらった。塁のことに関しては、俺の部屋についてからでいいか? お前も、いろいろ頭が混乱してるだろう。俺の知っていることと真実を教える」
そういう優はバイクにささったままのキーを回してエンジンをかけて乗り込んだ。後ろにはご丁寧にシートがついている。
それに跨って、優の引き締まった背中に体を寄せると、意外に広く、暖かかった。
「少し、飛ばすからな」
ぶっきらぼうな声はいつのまま。
だが、少し声が震えているところは聞き逃さなかった。そして、ふと、今までの行動が、優を心配させていたことに気づいた。
「あのさ」
風の音とエンジンの爆音にかき消されることのないように優に囁いた。
優が声は出さなかったが反応を示したことを確認して、メットの頭をこつんと背中に当てた。
「あたし、あなたに心配させてたの?」
先程の怒りと、体の震え。それしか、考えようがなかった。
不安そうにしながら、安心したようにため息をついた、優の行動――。
「……もしかしてなくてもな。…………すまなかった、さっきは怒鳴ったりして」
こんなとき、優は大人だ。低い声音に首を横に振ってぎゅっとしがみついた。伝わる温もりがなぜか優しい。
「だが、覚えていて欲しい。お前を守るためにいる人が何人かいることを。塁が、その典型だ。ただ、あいつは、お前のほかに、俺というお荷物を背負った。だから、死んじまった」
そう、独白するようにいわれた言葉に耳を傾けながら、菫はそっと目を伏せた。孤独な響きを感じ取った。
今、優の顔は見えないが、おそらく、あの淋しげな瞳をしているのだろう。
そのまま、ずっと黙って、三十分ほど、揺られていた。本当に、高速バスにのったのは本の何分か前だったのだ。