序、追憶
少年は、力を失ったその肢体をそっと地面に寝かせて拳を握り締めた。
「そんなに痛いか。ならば、お前も逝くがいい」
鬼は、白髪の若い男は、そういうと、佩いていた紅い刀をすらりと抜いて少年に飛び掛かった。
「うるさい」
しゃがんでいた少年はポツリと呟いて、きっと顔を上げて鬼をにらんだ。
ほろりと、涙が時雨れて、雨粒と混じり、砕け散る。
そして、左手をふり、光の中、なにかを掴み取り右手ですらりと抜き横一文字に薙いだ。
雨の中、火花が散り、俊敏な影が少年の右側に移動する。
立て膝をついた状態の少年は、先程の少年とはどこか違う。気配が、薄いものではなく、濃密な、なにかに満たされている。
「ほう、狂戦士とな。面白いな」
白い鬼は紅い刃を携えたまま呟いて笑うと目をすいと細めた。どこか妖艶な雰囲気が立ち上る。
少年は刀を構えたまま、無表情に鬼を見つめて立ち上がり構えを取る。
ここでやるべきは一つ。あの鬼を殺すこと。
張り詰めた空気の中、先に動いたのは鬼だった。白髪を振り乱して、笑いながら少年に襲い掛かる。
少年は、それをただ見切って最小限の体の動きでかわしその背中に刃を薙ぐ。鬼は刃を逆手に持ち背中に襲い掛かる刃を押さえる。
そのまま鍔迫り合いを続け、同時に飛びのくと真っ向から飛び掛かって行った。
一合、二合と斬り合い飛びのいては、またあわせる。
そんなことを降りしきる雨の中、繰り返していた。
ただ、胸にあるのは、無常観。
喪失の痛みなど消えうせ、ただ、少年の胸に巣食ったのはそんな感情だった。
頬から流れる朱が鋭い顎の線を通り滴る。幾回もの斬り合いで着ていた服ももはや体にまとった布切れと化している。
そして、流れ出る紅は幾筋となって雨粒と混じり、溶け合い、肌を濡らしていた。
もはや、痛みすらない。
ただ、あるのは、鬼への静かな殺意。滅せよと本能が命令する。
「やるな。お前」
にやりと唇を歪ませた白い鬼は、紅い鬼と成り果てていた。振り乱した髪は自身の血液で汚れ、その装束も、紅に染まっていた。
「だが、これで終いだ」
澄んだ刃の音にかすかに反応して、少年は刃を鞘に仕舞い、居合いの構えを取った。
本来、少年の持っている型は居合いのものであり、剣技としては、稚拙極まりないものだった。
それでも、ここまでやりあえるのは、突然覚醒した静かな殺意のせいだった。
「……」
動き出した鬼を見て、少年の口の端がかすかに上がる。薄れ行く自我の中、確かに、この瞬間に喜びを感じたのだ。
それは、この鬼と同種の狂気。
人としての本能の正気。
そして、何よりも、この戦いを楽しんでいる自分への、喜び。
「死ね」
低い呟きが静かに漏れた。殺気を放ちながらも凄みを含まない、静かな雰囲気の中、その声はよく通った。そして、引き抜かれた刃。
あと一足で届く間合いの中、鬼は少年へとたどり着くこともできずに、崩れ落ちていった。