三、
そして真夜中、雨が上がって晴れた空を見ながら一人出歩く優は左手になにも持たない状態を作って目を細めた。
「満月か」
煌々と光っている月の顔にため息をついて薄明るい濡れたアスファルトの道を走りはじめた。
後ろに、人の気配ではない気配がある。
そう感じて、だれもいない高校のグランドへと飛び込んだ。
「ほう、私の気配が感じられたのか」
「ああ。残念だったな」
左手を一振りした。かすかな風と共にその左手に握られたのは一振りの刀。
黒塗りの鞘に黒い柄。刀身は黒く、刃だけが異様に白い。月光を受け、切っ先から鍔にかけて光の筋が滑らかに通る。
どこから見ても妖しい業物だとわかる、美しくどこか血なまぐさい刀だった。
「狩る者、か」
「ご明察」
鞘をベルトのところに差して柄に左手を添えた。目を細め、半身の構えになった。腰をわずかに落としてすうと意識を細めた。鋭い殺気が辺りに振りまかれる。
鬼が目を細めて笑う。それを冷たく見据えながら優は薄いレンズ越しにその黒い鬼を見つめた。
「面白いな」
そういって、鬼が動いた。一瞬で優の前にたどり着きその鋭い爪で優を切り裂こうとする。
袈裟切りに振りぬかれた爪は、まともに当たれば首筋の動脈をやって苦しむ間もなく死ねるだろう。
半歩下がり振りぬかれた鬼の隙を見つけ手首を返して鬼の肩から切りつける。
だが、鬼もおとなしくはやられない。爪を後ろに振り上げ優の左腕、肘の辺りから鋭く斜めに切り裂く。
そんな傷の痛みにも彼の太刀筋は揺るがない。痛いものは他にあるというように。
そして刃に触れた鬼の付属物、着物はすぐに霧散しその白い肌を晒した。その肌に向かってまっすぐ刃をつきたてる。そうすれば事足りる。
「鬼無里くん?」
後ろから、声をかけられた。鬼の幻惑だと心を閉ざしてまっすぐ刀を落とす。切っ先が鬼の肌を食い破りその体内へと侵入していく。
そのまま胴体に向かってまっすぐ縦に切ると骨をやすやすと断つ感触と肉を切る感触と、鬼の命を絶つ感触が刀越しに伝わってきた。
にやあと笑みが浮かんでくる。刀を差したまま、優は絶命した鬼から一歩はなれて剣印で十字に切って手の平でかき消した。
見る間もなく、鬼の体が銀色の光となって消えていく。指先、足先からすうっと消えていくその光景は幻想的でもあった。
それを優と、部活帰り、たまたま学校の前を通った菫は見つめていた。
「鬼無里くん、今のは?」
しばらくして、菫が話しかけた。その言葉に鬼を倒した充足感に浸っていた優ははっと我を取り戻した。
振り返るとそこに菫がいることを確認して舌打ちをしてそっぽを向いた。鞘に手をかけて、からりと音を立てて落ちた刀を拾って仕舞った。
澄んだ金属音に辺りの空気が洗われていくようだった。ベルトに差した鞘を左手で持って引き抜いて空中へと放って左手を差し出した。
刀も、鬼と同じように銀色の光になって消えた。鬼と違うところは、光が消えた先は空中ではなく、優の手の中だったことだろうか。そこからして、鬼と同類の力を持つだろうことは伺えた。
「鬼無里くん?」
答えない優にいぶかしげに菫が詰め寄る。その肩を強くつかんで後ろに突き倒した。数歩よろめいて転ばずに菫は突き飛ばした優をにらみつけた。
「なにするのよ」
「嫌な予感がしてもくるなといっただろう」
そう抑揚もなく感情もこもっていない声に、そう、いうならば、パソコンなどの機械音に言葉をつけたような声に菫は身震いをしていた。
涼しい秋の夜気がぐっと冷えたようだった。
殺気すらこもっていないその気配と、月の薄明かりで見える優の無表情の顔に、能面のような顔に菫は身震いをしていた。
「鬼無里くん、怪我が」
「俺のは別にいい。なぜここにきた。俺が、ここにいなければお前は死んでいたんだぞ」
菫の言葉を静かに吐き捨てて、最後の言葉に語尾を強めていった。優の無表情からは面白いほどの感情が読み取れる。
「死んでたって……?」
全く理解をしていなかったらしい。刀が見えていたことすら怪しい。
なにをしていたかが見えていたかと尋ねようとした、そのときだった。