【6 あたたかい風の中で】
ぼくたちが施設に預けられてから、
時間の流れ方は不思議なくらいゆっくりになった。
朝になると、薄い光がカーテン越しに差し込み、ぼくと羽太の影が床にちいさく映った。
その影の上に羽太がちょこんと座り、
「今日も来ないかな…」と小さくつぶやく。
ぼくはそんな羽太の耳に、そっと鼻を寄せた。
「来るよ。絶対に。」
そう言いながら毛繕いをしてあげた。
本当はぼくだって不安でいっぱいだった。
でも羽太の不安を飲み込むために、ぼくの心はいっそう強くなろうとしていた。
日中は、施設の人たちがたくさん声をかけてくれた。
「羽雲くん、今日もいい子だね」
「羽太くん、また屁こいたの?」
羽太はなぜか先生たちに抱っこされると、決まって“ぷぅ…”としてしまって、みんながくすくす笑った。
その笑い声に、ぼくは少しだけ安心した。
夜になると、部屋が静かになった。
羽太がぼくの横に体をくっつけてきて、「兄貴、ここあったかいね…」と眠たそうに言った。
ぼくも目を閉じながら思う。
――ママ、早く会いたいな。きっとすごく頑張ってくれているよね…
ぼくたちには見えないけれど、ママは毎日走り続けていた。
昼休みの10分、
仕事終わりの薄暗い夕方、
眠い目をこすりながらの深夜の検索。
「すみません、ペット可の…」
「入居時期は……」
「2匹は……」
断られるたびに胸がぎゅっと締めつけられて、ママは帰り道で何度も立ち止まったらしい。
でも、それでも諦めなかった。
ぼくたちを思い出すたびに、また歩き出せたと言っていた。
その話を聞いたのは、ずっとあと。
でもぼくは、なぜかその頃からずっと感じていた。
――ママは今も走ってるんだ!って。
そんなある日。
冬と春の境目みたいな、冷たくてあたたかい風の日。
庭で羽太がタンポポをくんくんしていると、施設の玄関のほうから聞き慣れた足音がした。
トトトッ、トトトッ。
焦ってるような、急ぎたいような、でも優しく地面を踏む、あの足音。
ぼくは顔を上げた。
胸の奥がどくんと鳴った。
次の瞬間、ママが息を切らせて駆け寄ってきた。
「羽雲…!羽太…!」
その声を聞く前に、ぼくはもう走っていた。
羽太も転けそうになりながら、ぼくの後を追いかけた。
ママはぼくたちを抱きしめながら、涙で顔をくしゃくしゃにしながら言った。
「……おうち、見つかったよ。」
その言葉は、
ぼくたちがずっと待っていた“春の合図”だった。
施設の先生たちが
「よかったね、本当によかったね」と笑っていた。
ぼくたちはその手を何度もなめて、
心の底からの“ありがとう”を伝えた。
車に乗って外を見ると、景色があたらしい色をしていた。
青も、緑も、白も、全部が「帰り道」の色になっていた。
そして着いた、新しいおうち。
ドアを開けた瞬間、どこか懐かしいような、でも前より少しだけ優しい匂いがした。
小さな部屋でも、光がきれいに入ってきて、風がカーテンをふわりと揺らした。
ニーニが「おかえり!」と笑ってくれた。
ネーネがぼく達をぎゅーっと抱きしめた。
羽太は泣きそうな声で
「ただいま…」と言って、そのままネーネの腕に顔をうずめた。
ぼくは部屋の真ん中で深く息を吸った。
ここが、ぼくたちの新しい場所。
朝になると光が差して、昼にはお散歩に出て、
夜には羽太がぼくの背に顔をうずめて眠る。
「兄貴…兄貴の言う通り、わい達、帰ってこれたんやな…」
「うん。言っただろ!必ずママは迎えに来るって。」
外では桜が咲き出していた。
風に乗ってふわりと空へ舞い上がる花びらは、
ぼくたちの羽のように見えた。
折れたと思っていた羽は、ちゃんとつながったままだった。
そして今、あたたかい風の中でまた、ゆっくり広がり始めている。
【最終章 ひかりの中の兄弟達】へ続く…




