【4 光が戻る日】
あの日、空気が少しだけ変わった。
ぼくと羽太の耳が同時にぴくりと動いた。
玄関の開く音。
あの大好きな足音。
忘れるはずなんてなかった。
羽太が勢いよく走り出し、ぼくも慌てて追いかけた。
階段の下に差し込む光の中に、ママが立っていた。
少し痩せて、疲れた表情。
でも、ぼくたちの名前を呼ぶ声はあの日のまま。
「羽雲……羽太……」
それは、あの日からずっと心の奥で探してた音。
薄暗く汚れた部屋の中で、何度も何度も求めた声。
「ママだ!ママが帰ってきた!」
心も身体も衰弱していたぼく達だったけど、その声を聞いた瞬間に残ったちからを振り絞って走り…ママに飛びついていた。
羽太なんて勢い余って転がりながら「ママぁぁぁ!!」って鳴いてた。
ママもぼく達を見て泣いてた。
ぼく達を抱きしめる手が震えてた。
でも、その震えは寒さじゃなかった。
ずっと我慢してた優しさが、やっとあふれたんだ。
ママはぼく達を抱きしめたまま、ゆっくりと部屋を見渡した。
ぼくは知ってた。
ママが何を見たのか。
カーテンも開けず電気もつけてない薄暗い部屋の中でもわかるほどに汚れた床やゴミの山…
こんな所で生活させられていたなんて…
それらを感じ取ったママの肩は大きく震えていた。
本当は、ママだって、ぼくたちを手放したかったわけじゃなかった。
母子家庭で始める新生活。
ネーネの小学校区にペット可物件がまったく見つからなかったこと。
「パパの家にいれば大丈夫」
そう信じてしまったこと。
ママは涙をこぼしながら、小さく呟いた。
「ごめんね……こんなはずじゃなかったのに……」
その声には、悔しさ、悲しさ、自分への怒りが全部混ざっていた。
ぼくはママの胸に顔をうずめた。
羽太もくっついて震えながら鼻を鳴らした。
そして、安心したのか小さく“ぷぅ”と屁をした。
ママの泣き声が、その瞬間だけふっと笑い声に変わった。
その笑いが、冷えた空気を少しだけあたためていった。
ママはぼく達を抱きしめて力強く言った。
「……もう、ここには置いておけない。
絶対にいっしょに暮らせる様にするから。」
その言葉は震えていたけど、決して弱くなかった。
けれど現実はすぐに変えられない。
ネーネの小学校卒業まではまだ2ヶ月ある。
その間は小学校区から引っ越せない。
でもママは、もう心を決めていた。
――ふたりを連れて帰る。
その強く温かいママの想いが部屋の中の冷たさを少しずつ溶かしていく様に感じた。
ぼくは気づいた。
長く止まっていた時間が、ママの声でゆっくり動き出したんだ。
その瞬間、ぼくの中に小さな光が戻った。
“生きていてよかった”って思えた。
光はまだ小さかったけれど、確かに差していた。
そして――
ママの涙が、ぼくの頭に落ちた。
それは、悲しみを溶かすあたたかい雨みたいだった。
【5 ただいまの場所へ】へ続く…




