男女平等社会を考える
男女平等って何でしょうか?ふとした疑問からエッセイを綴ります。例えば、トイレやスポーツ種目は完全に男女分かれています。スポーツに関しては、男性と女性を混合にしたら全てとは言いませんが、ほとんどの種目で男性がメダルを独占するでしょうから、分けるのは仕方ないと言えます。トイレや浴場に関しても、経済的合理性だけの観点かつ男女平等社会なら一つにするのが効果的ですが、ジェンダー別にするのが妥当と認識されています。ある意味、野温泉(野湯)では男女混浴の一つしかないのが普通であり、わざわざ分けたり時間帯で区切ることはありません。これが、本来の自然な形であるはずです。原始時代はトイレ等もなかったでしょうからね。
日傘は女性の専売特許、学校制服ズボンは男性専売特許でしたが、現在は緩和されています。一方、女性の専売特許であるスカートや男性の専売特許である水着上半身裸は継続中です。海外ではトップレスも認められており、男女平等社会なら女性トップレスも容認される時代にする必要があります。あくまで容認される許容ある社会(法律)というだけであって選択するのは各自の自由です。また、夏場は暑いから男性のスカート等も校則で許可してよいと思うのです。夏はスカート、冬はズボンが、男女問わず合理的ですからね。勿論、一番最初に実行する者は好気の目という偏見を味わうでしょう。
メディアや政治経済は、就労(女性就業率や管理者割合)や賃金等の指標だけを見て熱く男女平等社会を語りますが、色々な部分に目を向けて考えるべきです。ちなみに、絶対的に女性でないと出来ない事に妊娠出産や母乳を与えるという行為があります。絶対的に男性でないと出来ない事って考えてみればないんですよね。強いて言うなら、立ションが出来るという事ぐらいでしょうか。つまり、精子さえあれば女性は何でも自分で出来ると言えるでしょう。さて、今まで女性のみという概念だった出来事が男性にも増加中です。いや認められるようになったというのが正しいでしょうか。これは、真の意味での男女平等社会になりつつあると感じます。思い起こせば、保母や看護婦っていう時代もありました。これもジェンダー差別や男性排除であり、現在は保育士、看護師に変更されています。
・男性の性被害
男性から男性ではなく、女性から男性へです。多い被害例は男性から男性ですが、強要とまでは言いにくい断り切れずに性関係を持ったが嫌だったというケースです。これも不同意性交時代だから、女性側がセックスしようと言って関係を持った後、実は嫌で同意していないという事で逮捕出来てしまいます。同意がないと犯罪、明らかに拒否したり断れない状況下でのみ犯罪では凄い違いがあります。
・DV相談
男性のパートナーからの被害相談が、最近滅茶苦茶増えているそうです。2023年は、なんと2万4684件(パートナー間だと27.9%に該当)も報告されています。「お前はATMだ」とか性行為強要とか相談内容は多岐に渡るそうです。勿論、殴る蹴るの暴力を受けているケースもあります。(再審請求の)豊川市殺人事件で服役を終えた田辺雅樹さんなんかもまさにDV被害者でした。
・女性用風俗や女性用AV、童貞(筆おろし)信仰の社会的地位確立
ホストは昔から社会的認識や知名度ありましたが、女性が風俗になんて行くものではないという社会通念がありました。そういう社会では、(彼氏等がいない場合や彼氏・旦那がいても他の男性としたい場合)テレクラや立ちんぼ、風俗店で働くしか性的要求を満たす事が出来ません。自身が客となり、心も体も満たされたいという女性は男性ほど多くはないですが存在します。女性用AVに関しては、男性同様企画物ですが内容やプレイも全然違います。男性もののAVは激しかったり、征服していくストーリーが多いですが、女性ものはセックス自体はノーマルだけど、前戯が長かったり、その前の会話やシチュエーションが長いのが特徴です。まあ、最近の男性ものでもデートしてそれからホテルの部屋で軽いインタビューやいちゃいちゃして、やっとキスから始まるというのもありますけどね。昔ほどではないにしても処女信仰(特別感)って未だにあると思います。結婚とか関係なく、処女ゲットみたいな。最近の若者は性体験率や経験人数が少ないと言われますが両極化しており、多い人は多い、少ない人は少ないといった感じでみんなが好きなHという感じでは完全になくなっており、現代の自動車(免許取得や保持)のようにコスパが悪いという認識になっているのかなと正直思います。やりチンが遊びまくる、処女を弄ぶ同様、ヤリまんが男性を喰いまくる、筆おろしで楽しむ、教えたりぎこちなさを楽しむという時代になっているのではないでしょうか。やりマンで有名だった内田梨湖は、「早く入れろや」と男性に言っていたそうですし、そういう時代は本当の意味で男女平等社会と言えるでしょう。「早くやらせろや」があれば、「早く入れろや」があって当然に思います。
社会ってこういうもんだと思います。時代と共に変化していくし、女性の社会進出や経済的自立が進めば、男性に同化していくものです。30代、40代のキャリアウーマンが加齢臭するという話題も出てくる時代、女性だから、男性だからというのはオールドな世代感覚であって、若ければ若いほどそういう概念が消えている社会に確実になっている事は喜ばしいと言えるでしょう。それに煙たい顔をする人達は、老害以外の何者でもなく、若者達からは早くあの世に行ってくれやと思われて当然です。それ同様、こそく=卑怯とか性癖=性の癖、雨模様=雨が降っている、割愛=不要と考えて省略、さわり=話の導入部、御の字=一応合格点、失笑=呆れて笑う、激とばす=熱く指示、確信犯=全て計算済みの犯人、敷居が高い=ハードルがある、気が置けない=信頼していない等は本来と違う意味だそうですが、これで世の中通じており、英語の単語に複数の意味がある同様、テストでは間違いかもしれませんが世の中では正解(通用するの)だから、通じる意味が主流になっていくべきに思います。これも社会として当たり前であり、言語学者ならともかく一般人は変化する方、自然に身に着けた方が正しいと考えています。言葉は、コミュニケーションのツールに過ぎません。同様に憲法や法律、規則等も人々が円滑に幸せな生活や社会を構築するためにあるものです。これはこうなんだという石頭では駄目なんです。