アミノ酸は大事らしい
焚き火の暖かさに包まれながら、ヒビノはふと空を見上げた。夜空に浮かぶ二つの月は相変わらず幻想的だが、空腹のせいでそれを楽しむ余裕はなかった。
「……これじゃあ、体がもたないな」
この数日、ヒビノの主食は赤い実やキノコといった植物だけだった。水はなんとか確保できているが、タンパク質を全く摂取していないことに気づく。
「タンパク質が不足すると、体力が落ちるし、集中力も続かない。最悪、免疫力まで下がる……」
生物学に詳しい眼鏡の女性教師の話を思い出しながら、ヒビノは深くため息をついた。彼は決して肉好きではなく、むしろ嫌いな方だ。それでも、生き延びるためには避けて通れない課題だと自覚していた。
「……仕方ない。何か動物を捕まえるか」
意を決したヒビノは、森を慎重に歩き回り、手頃な獲物を探し始めた。そして、木々の間に小さな影が動くのを目撃する。
「……うさぎ?」
それは白っぽい毛並みをしたうさぎのような生物だった。地球のうさぎより少し大きいが、動きは似ている。ヒビノは自分がその動物を捕まえようとしていることに罪悪感を覚えながらも、心を鬼にする。
「……うーん、でも生きるためなんだよなぁ……」
まず、ヒビノは近くにあったツルを集めて即席の罠を作った。罠の仕組みは地球でも一般的な「足が引っかかる輪」を利用したものだ。動物が輪を踏むと、ツルが引っ張られて足が拘束される仕掛けだ。
次に、罠の近くに赤い実を置いておびき寄せる。これまでに観察した結果、この実はうさぎのような動物が好む餌だと分かっている。
「……うまくいくか?」
ヒビノは木陰に隠れ、じっと待った。そして、数分後――白いうさぎが罠に興味を持ち、近づいてきた。
「……来た!」
慎重に息を潜めて観察していると、ついに罠が作動し、うさぎの足が引っかかった。うさぎは驚き、暴れるが逃げられない。
「すまん……」
ヒビノは罪悪感を振り切り、うさぎを仕留めた。その後、焚き火の元に戻り、うさぎの毛皮を剥いで肉を調理する。彼が持つ現代知識を活かし、できる限り衛生的に処理しようと努めた。
「火は十分に通さないとな……」
焚き火でじっくりと焼き上げたうさぎの肉。食べる気が進まないヒビノだったが、一口食べると意外にもおいしいことに気づいた。
「……これは、想像よりずっと食べられるな。ありがとう、うさぎさん」
彼は感謝を込めて肉を食べ進めた。だが、しばらくすると、どこからか気配を感じた。
「……ん?」
何かが近づいてくる音がする。カサカサと草を踏む音、低い唸り声。ヒビノは身構えた。
すると、木々の間から現れたのは――緑色の肌をした人型の生物。身長は120センチほどで、鋭い牙と大きな鼻を持っている。
「……ゴブリン?」
その単語が頭をよぎる。異世界ものの小説やゲームでよく見るモンスターだ。目の前の緑色の生物は、焼かれた肉の匂いに誘われてやってきたらしい。
「まずい、完全に狙われてる……!」
ヒビノは焚き火を蹴り倒し、火のついた枝を手に取る。しかし、ゴブリンは怯むどころか、牙をむき出しにして襲いかかってきた。
「うわっ!」
ヒビノは慌てて逃げ出した。だが、足元の根に引っかかり、派手に転んでしまう。
「いっ、痛った……くそ、立てない……!」
ゴブリンが嬉しそうにニヤリと笑いながら近づいてくる。その手には、鈍い光を放つ石のナイフが握られていた。
「こ、これで終わり……?」
恐怖で身動きが取れないヒビノ。そのとき――
ヒュンッ!
鋭い音とともに一本の矢が飛び、ゴブリンの胸に突き刺さった。ゴブリンは驚愕の表情を浮かべ、地面に崩れ落ちる。
「……え?」
ヒビノは呆然としながら、矢が飛んできた方向を見る。そこには、ガタイのいい男が立っていた。男は弓を構え、鋭い目つきでこちらを見ている。腰には大きなナイフがぶら下がり、体には動物の皮をまとっている。まさに「狩人」という雰囲気だ。
「……お前、こんなところで何をしてる?」
低い声で問いかける男。その問いにヒビノは答えようとしたが、恐怖と安堵が入り混じって言葉が出てこなかった――。