酸と石灰は使えるらしい
ヒビノが目を覚ましたとき、そこには見知らぬ風景が広がっていた。
「……?」
冷たい地面、湿った苔の匂い、頭上には二つの月が浮かぶ。森の中だ。見慣れない木々が生い茂り、辺りは静寂に包まれている。
「ここ……どこだ?」
ヒビノはゆっくりと立ち上がり、状況を整理しようとした。だが、どうにも頭がぼんやりしていて、自分の名前すら完全には思い出せない。
「……ヒビノ……そうだ、俺は日比野……下の名前、なんだったっけ?」
自分の記憶が一部欠けていることに気づきながら、彼は周囲を見渡した。どうやら理科準備室ではない。むしろ、地球ですらないかもしれない――その違和感を、なんとなく理解した。
「うーん……これは……もしかして……異世界ってやつか?」
転生ものの小説や漫画を思い出すヒビノ。しかし、そんな空想に浸る余裕もなく、腹が鳴り始める。
「お腹が減ったな……でも、何か食べられるものあるのか?」
木の実を探そうとしたそのとき、茂みの奥から何かが現れた。小型の獣……いや、明らかに普通の動物ではない。体長は50センチほどだが、背中にはトゲが生え、目が異様に光っている。
「なんだあれ……動物じゃないな……」
ヒビノはすぐに察した。これは「モンスター」だ。
「まじかよ、どうすればいいんだ……」
武器もなければ、魔法も使えない。ただの高校化学教師であるヒビノには、逃げる以外の選択肢が思いつかなかった。しかし、逃げようとした瞬間、モンスターが飛びかかってきた!
「うわっ、待て待て待て!」
間一髪、ヒビノは転がるようにして距離を取る。必死に周囲を見渡して、手近な道具を探す。すると――地面に転がっている白い粉のようなものを見つけた。
「これ……石灰?」
見た目や質感から、水酸化カルシウムだと推測した。だが、それだけではどうにもならない。すぐ隣に、水が湧き出している小さな泉があるのを発見する。
「水と混ぜれば……発熱するかもしれない!」
ヒビノは急いで石灰を掬い取り、泉の水を勢いよくかける。
ジュワッ!
化学反応により発生した熱が湯気を上げ、勢いよくモンスターの目の前に広がった。驚いたモンスターはヒビノから距離を取る。
「よし……これでなんとか逃げられる……」
彼はその場を立ち去り、森の奥へと進んだ。
数時間後、ヒビノはある程度の安全な場所を見つけ、腰を下ろした。
「はぁ……化学やってて良かった。これ、普通の人だったら死んでたかもな……」
そう呟きながら、彼はふと自分の手の甲に光る文字を見つけた。
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ユニークスキル:化学教師(レベル1)
スキル経験値:2/10
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「……なにこれ?」
ヒビノはそのスキルが、自分の知識を活用することで成長していくものだと直感的に理解した。異世界に来た理由は分からない。だが、化学教師としての知識が武器になるなら、生き延びる可能性はある――そう考えたのだった。