第七話 消えていくお仕事
翌日。
私の周りは紙の山で埋もれていた。
右を見ても紙、左を見ても紙、書類の山が何山も……。
この山を崩していかなければ、私たちに安寧はない。
「お昼寝したい……読書……私の自由時間……」
思い出すのは昨日、リュカ様とお付きの人に仕事を手伝ってもらった時のこと。
『さすがに書類溜め過ぎかな』
と、笑顔でリュカ様に釘を刺されてしまったのだ。
一年前に処理した事案とか、状況だけ書いてそのままだったしね。
いやでも、領民からの要望とか社交界とか付き合ってたらそうなっちゃうんだもん……。
「お父さぁん……助けてぇ……」
「娘よ……こういう時は心を殺すのだ。それが社会で生きるコツだ」
書類の山の向こうで死んだ魚の目をしたお父さん。
まったく参考にならない社会人奴隷に私はげんなりとため息をつく。
これ、ほんとにいつ終わるんだろう……来週くらいかな……
「あぅ……書類に埋もれて死ぬ……」
リュカ様は言うだけ言ってどこかに行っちゃうし。
手伝ってくれたのは昨日だけだし。何という王族ムーブ。
私たちも子爵家なのに……これが権力の差というやつだよ。
なんてことを思ってたら、子爵家の玄関に数台に竜車が止まった。
物音がして窓に近寄ると、リュカ様が笑顔で手を振っていた。
「ライラ―! ただいま!」
「……リュカ様? 帰ったんじゃ……」
「え? 死ぬほど僕に会いたかった? やっぱり婚約する?」
「耳が腐ってるんじゃないですかっ?」
「辛辣だなー。そんなところも好きだよ!」
「だからそういうところです!?」
公衆の面前で! 何を言ってるのこの人は!
ほら従者の人ぽかんとしてるし! リュカ様見て「誰あれ」とか言ってるし!
というかなんかすごい人だね……十人くらい?
「ライラ、悪いんだけど今からそっちに文官入っていい?」
「構いませんけど……何を?」
「そっちが狭いから書類運ばせる」
「……へ?」
言うや否や、我が家に文官らしき人たちが入って来た。
執務室にしている部屋は書類の密林である。
文官たちもすごく怪訝そうにしていた。あうぅう、汚くてすみません。
「こちら運んでもよろしいですか?」
「は、はひ! お、お父さん、どうしよ」
「どうぞどうぞ好きなだけ持って行ってください! 案内します!」
ほんとこの人は権力に弱いな!?
我が父ながら受けられる恩恵は受けてやろうという強かさを感じる。
文官と一緒に父が消えると、代わりにリュカ様が入って来た。
「や、ライラ。昨日ぶり」
「リュカ様……あの、これどういうことですか。なんで書類運んで」
「決まってるじゃないか。彼らに処理してもらうんだよ」
「処理って」
「本来この領地が受けるべき恩恵を受けてもらう」
「???」
私は首を傾げた。
「あの、もっと分かりやすく言ってもらえますか?」
リュカ様は呆れたように笑う。
「君は魔法陣の事に関しては天才的な頭脳を発揮するのに、興味のないことに関しては途端に鈍くなるね」
「えへへ……天才だなんてそんな……」
「そこか。まぁいいか」
リュカ様が私の手を取って騎士みたいに口づけする。
「君はそれでいい。そこも君の魅力だから」
私は慌てて距離をとった。
「だ、だからって普通いきなりキスしますか!?」
「え? 手の甲じゃなくて唇がよかった?」
「引っ叩きますよ! 不敬罪で死んで呪ってやりますから!」
「それは困る。まぁ要するに」
リュカ様は言った。
あっという間に元の部屋の姿を取り戻した執務室をさして。
「君はもう文官の仕事をしなくていいってこと」
「……本気で言ってます?」
「本気。未来永劫」
「何かその、デメリット的なものは」
「貴族位の返還は止めてほしいかな。君と結婚する時に平民じゃ困る」
「元々平民なので関係ないのでは」
「建前ってやつが大事なのさ。特に貴族社会においてはね」
「そうですか……って結婚しませんけども!」
「チッ」
「舌打ちした!?」
突っ込みながらも、綺麗になった部屋を見て我に返る。
あんなに苦しんでいた書類仕事があっという間になくなってしまった。
リュカ様が連れて来た文官たちがやってくれるって話だけど……
あの、これ嫌がらせとかじゃないよね?
実は書類を処分しておいて後でその書類が必要でしたってオチじゃないよね?
書類がないから理不尽に何かしろとか……言われないよね?
「まだ現実感が沸かない?」
「はい……全然、分かりません。どうしてここまで」
「君が僕を見てくれたから」
「……?」
よく分からんないけど。
「見るだけでいいなら、いくらでも見ますけど」
「え。それって……子供はどっちに似るかって話?」
「どっから出て来たんですか子供」
「ちなみに僕は三人くらい欲しいけど、結婚してから三年は君を独占したいかなって」
「そんな話してませんよねぇ!?」
「そういうわけで侍女を連れて来たよ」
「どういうわけですか! え、侍女?」
「紹介するね」
執務室に入ってきたのは蒼髪色のお姉さんメイドだった。
黄金色の目は鋭くてちょっとクールに見える。
綺麗な人だな……。
お胸もすごいし、すらっとしていて肌もつやつやだし。
私より背が高くて、出来るメイド感が全身からにじみ出ている。
「ルネ・アリステリスと申します。どうぞよろしくお願いします」
「は、はぁ。ライラ・グランデです……どうも」
……ん? アリステリスってどこかで聞いたような。
「ルネは今日から君の侍女になるから、よろしく」
「は!? わたしの!?」
「当然じゃないか。子爵令嬢なんだから侍女くらいつけないと」
「いやいやいや! うちにはルネさんみたいな美人を雇うお金なんてないですって!」
「安心して。僕の私財から出すから」
至れり尽くせりである。
有難いと言えば有難いけど……。
「ちなみにルネは元魔術師だから、君の助手も出来るよ」
「そうなんですか?」
「はい。何なりとお申し付けくださいませ」
ですが、とルネさんは私の全身を舐めるように見て来た。
ぴきーん。
あれ? なんか獲物を見つけたみたいに目が光った気がする。
「まずは身支度を整えねばいけませんね」
「ほえ?」
「失礼」
「きゃぁ!?」
な、なに!? なんでいきなり抱き上げられてるの!?
しかもお姫様だっこ!? ちょっとこれ恥ずかしいんだけど!?
「あ、あの。自分で歩くので下ろしてほしいんですけど……」
「下ろしません。ライラ様はお化粧や身支度を整えるのが得意ではないとお見受けしました。魔法オタクにありがちな症状です。しからば、わたくしはメイドとして貴女を磨き抜く義務があります。お覚悟を」
「いや、魅せる相手もいないんだからそんな……ていうか力強いですね!?」
「メイドの嗜みです」
「メイドすごい」
「ライラ、頑張って来てね」
「なにを!?」
「それでは参りましょう」
「ちょ、ま、歩くから! 自分で歩くから下ろしてください~~~~!」
ルネさんはお風呂場につくまで下ろしてくれなかった。
人間一人が寝ころんだら手狭になる子爵家の浴槽の前に座らせられる。
あっという間に脱がされた……うう。貧相な身体が恥ずかしすぎる。
というかルネさん、色々すごいな。色々。
私なんて全然なのに……比べちゃうよ……。
「さぁ、この原石をどのように仕上げていきましょうか」
「ひ……お、お手柔らかにお願いします……」
爛々と目を輝かせたルネさんに、私は引きつりながら頷くのだった。