第六話 子爵家の新たな日常
グランデ子爵領は緑が溢れて畑がほとんどの超田舎。
総人口は数千人ほどで、貧乏子爵家の私たちは文官や書記官や侍女を雇うお金もない。
なので、領民から来た苦情は直接処理して、魔法陣の修復だったり問題の対処に当たっている。
そんな田舎町の貧乏貴族だから、噂なんてあっという間に広まってしまうのだ。
──子爵家の隣に豪勢な貴族屋敷が建った、と。
ざわざわと、領村を歩く私に好奇な視線が向けられている。
いや、正確には私の横でニコニコ笑顔を浮かべる王子様にだけど……。
「あの、なんであなたがついて来てるんですか」
「将来僕と君が治めることになる土地だからね。実際に見ておきたかったんだ」
「結婚を前提にしないでください。婚約すらしてませんからねっ?」
「残念。引っかからなかったか。本当は君の顔が見ていたかっただけだよ」
こ、この人は軽率にそういうことを言う……!
どうせ私以外にもそういうこと言ってる癖に……騙されないんだから!
「ライラ様~~! こっちです! こっち!」
入り組んだ路地の向こうから手を振ってくる金髪の少女がいる。
「ほら見てよここ! 穴が空いてるでしょ!」
「あぁ、ほんとですね」
村の通りに穴が空いて子供が転びそうになった。
なのでそれを塞いでほしい……というのが今回の要望だった。
「じゃあ塞ぎます」
しゃがみこんで、穴の周りに魔法陣を描いていく。
リュカ王子は本当に見ているだけのようで、ニコニコと立っていた。
「ライラ様、ライラ様、いい加減紹介してよ~、誰なの、そのイケメンは?」
顔馴染みだから、気安く肩を組んでくる。
この村の人はみんな家族みたいなものだから、それは別にいいんだけど。
(王子って知ったら絶対騒いじゃうよね……)
「……うちに来た文官ですよ。査察に来たんです」
「査察ぅ? こ~んな何もない村の何を査察するっていうのさ」
「わ、私の仕事ぶりとか……?」
「あはは! じゃあ何も心配いらないね! ライラ様の仕事ぶりは世界一なんだから!」
「しゅ、集中するので背中を叩くのはやめてくださいよぉ」
「ごめんごめん。じゃ、私はあの人と話してるね」
こくりと頷いて、魔法陣の続きを再開する。
魔法陣。《力ある言葉》をルーン文字で現し、魔力を注いで発動させる陣のこと。
数百以上の文字と記号を組み合わせて適切な位置に置けば、この世を変革する力となる。
まぁ、私はそんな大それたことは出来ないけれど。
魔法使いに向いてないって言われたもんね。魔力だって多くないし。
とはいえ、これくらいの穴を塞ぐことなら朝飯前かな……。
私は振り返った。
「あ、あの。ナターシャ、悪いんですけど、魔力を……」
「ねぇねぇお兄さん、よかったら晩ご飯食べて行かない? 御馳走するよ」
「悪いけど。僕には心に決めてる人が居るんだ」
(めっちゃナンパしてる──!)
ナターシャがこちらに気付いて、
「ライラ様。なんか言った?」
(この温度の差!)
「あ、魔力ね! はいはい、了解っと」
ナターシャが魔法陣に手を置くと、金色の光が起こった。
あっという間に穴が補修され、補修痕が見えないくらいになった。
「おぉ、すごいねライラ様。もう見分けつかないよ」
「よかったです。あの、それじゃあ次のところがあるから……」
「うん! ありがと~~! 今度焼きたてのパン持っていくね!」
「それはぜひお願いしますっ」
「お兄さんもまたね~~~!」
リュカ王子は軽く手をあげて応える。
けれどそれも一瞬で、すぐに笑顔を消して魔法陣のところに近付く。
「……ライラ、一つ聞きたいんだけど」
「はい?」
「あの子は魔術師の家系なのかい?」
「いえ、パン屋さんの娘ですけど」
「パン屋さんの娘が魔法陣に魔力を注ぐやり方を知っていると?」
え、何言ってるの?
「人間の身体には絶対に魔力が流れているんですから、いちいち魔力を注がなくてもそれを抽出して現象に変換すれば魔法は発現しますよ。手が触れたら発動するのが魔法陣の便利なところでしょう?」
「人間の身体から魔力を抽出する……? そんなことが……」
「……? まぁリュカ様は王子様だから知らないかもしれませんね」
「いや、僕はかなりの本を読んできたし、魔法に関しては一般人以上に知識があるはずだけど……一般人が魔力を注げば正しく発動できずに跳ね返る危険が……」
なぜだかぶつぶつ言っているリュカ様。
どうしたのか分からないけれど、仕事が詰まってるので放置しておく。
そのあとも何軒か仕事を処理していると、あっという間に日が暮れた。
「はぁ。これから書類作成と事後処理か……」
とぼとぼと夕暮れの田舎道を歩いていると、リュカ様が驚いたように言った。
「まだ仕事するのかい?」
「やらないと終わりませんから……」
「気になっていたんだけど、文官や書記官は?」
「貧乏子爵家にそんな人材来ませんよ。こんな何もない場所ですし」
「いや、各領地には必ず文官一人置いているはず」
「少なくとも私は見たことがありません」
リュカ様は険しい顔になった。
「……気になるね。ちょっと調べてみるよ」
「期待せず待ってます」
国からすればこんな何の旨味もない土地は大切にする価値がないんだろう。
今まで査察なんて来たことがないし、税収だって雀の涙だし。
日々の食費を賄うことで精一杯。悲しいかな、これが子爵という身分の現実である。
「リュカ様からすれば、この村は退屈でしょう?」
「……ん?」
「ここは王都みたいな華やかさはないし、田舎だし、畑ばっかりだし」
(私は、この静かな感じが気に入ってるんだけどね)
それに、領民のみんなが温かい。
だからこそ遅くまで仕事を頑張れる。そうじゃなきゃ無理。
何の関係もないリュカ様には退屈で仕方ないだろうな──と思ったんだけど。
「そうかい? 良い土地だと思うけど」
「え?」
リュカ様は微笑んだ。
「確かに資源は少なく旨味がないように見えるけど、人々の顔を見れば分かる。これだけ領民に愛されている領主一家は見たことがない」
「……」
「きっと君とお義父上が一生懸命向き合って来たおかげだね」
夕暮れの光がリュカ様のお顔を照らし出す。
青空みたいに澄んだ瞳が私をまっすぐ見つめた。
「王族を代表して礼を言う。ありがとう、ライラ」
その言葉は心の奥深くにすっと触れて──
かぁぁああ、と顔が熱くなってしまう。
「し、しれっとお父さんのことを義父上って呼ばないでください!」
「おや、バレたか。このまま既成事実に持っていこうと思ったのに」
リュカ様は楽しそうに笑っていた。




