第二話 運命の招待状
グランデ子爵家は貴族街の端っこにある。
二階建ての家はこじんまりとした庶民的な一軒家だ。
年1回ある社交シーズンだけしか使わないので、思い入れはあんまりない。
錆びた鉄の門を開ける。
玄関の前に立つと、心臓がどくんどくんと小刻みに脈を打ち始めた。
お父さんはお母さんの研究が世に出ることを喜んでいた。
もし盗られたことを知ったら……どう思うかな……。
「ライラ?」
家に入るのを躊躇っていると、お父さんが出て来た。
目の下に隈を作った不幸体質漂うおじさんだ。
私と同じ黒い髪の毛はざっくばらんに切られいて、死んだ魚の目をしている。
「どうした、入らないのか?」
「うん……」
悔しい。
悔しくてまた涙が出てくる。
「ごめん、お父さん……お母さんの研究……盗られちゃった……」
お父さんは目を見開いた。
「……まさか、またなのか?」
「ごめん。ごめんなさい……」
何度も袖で涙を拭っていると、お父さんは私の手を止めた。
「怪我はないな?」
「……うん」
「なら、いい。残念だが……お前が無事なら」
「……うん」
顔が見れなくて抱き着くと、お父さんは私の頭を撫でてくれる。
苦労性ゆえに皺がすごくて、四十代前半とは思えないほど更けているけれど、お父さんのふにゃりと口元を緩めた時の表情が私は好きだった。
「あとね……婚約破棄された……」
「…………なんだと?」
お父さんの表情が一転。
驚きに目を見開いたお父さんが私の両肩を強く掴んだ。
「それは本当か?」
「う、うん」
「本当に侯爵が許したのか? あのクズが?」
「え、ううん、エドワード様、だけど」
クズって何?
「あの、ごめん。私……」
「よくやった!」
「へ?」
お父さんが急に抱きしめて来た。
いつも覇気のないお父さんの勢いに思わず呑まれる。
「い、いきなりどうしたの?」
「婚約という枷がある故にまったく動けなかったが! あのバカ息子がやらかしてくれたおかげでようやく動ける! うははは! なぁにが娘を楽にさせてやれるだ畜生め!」
「お、お父さん……? さすがに口が悪すぎるんじゃ」
ぴたり、とお父さんは怖いくらいに動きを止めた。
「ライラ、あの男に未練はあるか?」
首を横に振る。そんなのあるわけがない。
「よし」
お父さんは頷いた。
「お前の魅力が分からない男なんて捨ておけ。うちの娘は可愛い。賢い。世界一だ」
「も、もう。何言ってるの」
「娘よ。お前も俺と同じ気持ちのはずだ」
ハッ、とお父さんは私を見た。
長年苦労を共にしただけあって、目と目を合わせるだけで通じ合う。
私たちは頷き合って声を揃えた。
「「貴族はもううんざり!」」
にか、とお父さんが笑う。
私もつられておかしくなって、自然と笑みがこぼれてしまった。
「爵位返還の準備を進めよう。まずは領地に帰らないとな」
「いいの?」
「元々子爵になったのだって安月給すぎてこき使われるのが嫌でなったんだ。少しでもお前に楽な生活をさせてやれると思ったのに、あのクズ親子のせいで親子の時間まで盗られてしまった……もういい。爵位を返還したらこの国から出よう。隣の国なら定時で帰れると聞くし、お前との時間ももっと取れる」
「定時帰りは大事だよね」
「いや本当に」
お父さんのごつごつした手が私の頭を撫でてくれる。
「今まで済まなかったな。守ってやれなくて」
「……ううん。お父さんが権力に弱いことは知ってるから」
「誰だって弱いと思うぞ」
お父さんは苦笑した。
「今日中に王都を出るぞ。いけるか」
「合点承知!」
普段は腰が重いけど動き出したら速いのが私とお父さんだ。
元々うちにあんまり荷物を置かない私たちは荷物をトランク四つくらいにまとめた。
お父さんが荷台に全部積みこむと、御者の席でよぼよぼの地竜に鞭を打つ。
私はその横に素早く乗り込んだ。
「いざ出発!」
「おー!」
真夜中の下町を突っ切り、お父さんと一緒に領地へ。
夜勤の門番さんたちは何事かと心配していたけど、子爵であることを示したら通してくれた。
こういう時だけ便利だよね、貴族って。
いやほんと、こういう時だけだけど。
子爵の肩書なんて社交界じゃ何の意味もないし、いびられるだけだし。
「はぁ──……」
風になびく髪を押さえて振り返る。
夜の風がひんやりしていて気持ちいい。
年に一回やって来る最悪の王都がどんどん遠ざかっていく。
(もう貴族なんかと関わりませんように)
私は心からそう願っていた。
◆◇◆◇
──二週間後。
気持ちのいい陽気の下、木陰の下で本を読む。
ゆりかご椅子に座りながらページをめくるのが私の趣味の一つだった。
(あぁ……静かで、幸せ……)
グランデ子爵領はすごく控えめに言ってド田舎だ。
家と家の感覚が数十メートルはある、なだからな丘陵地帯となっている。
我が子爵家はその中でも一等地にあったけど……使用人を雇うお金もない我が家は家のことを全部自分でしなければならず、領地の仕事を終えてこうして本を読めるのは本当に貴重な時間なのだった。
(婚約破棄したし、今後は人が多い集まりに行かなくても済むかなぁ)
お母さんの研究が奪われたのは残念だし、悲しくて悔しいけど。
それはそれとして、婚約破棄されたのはいいことづくめだったかもしれない。
元々、向いてないんだよ。私に貴族なんて。
だって意味が分からないもの。
食事の時に音を立ててはいけないとか、服は流行に合わせないと駄目な理由とか。
刺繍だって出来ないし、派閥の力関係とか言われても分かんないし。
まだしも魔力変換効率における陰魔力と陽魔力の相互作用とか言われたほうが分かるし。
(結果的にはよかったのかも)
ふんふふんふふーん。
と、呑気に鼻歌を歌う私の元にお父さんが走って来た。
「ららららら、ライラ。大変だ、大変だぁあ」
「……どうしたの、お父さん。ズボンの中に虫が入ってたみたいな蒼い顔して」
ハァ、ハァ、とお父さんは膝に手をついて顔をあげた。
「第二王子様から召喚状が来た! 急いで王都に向かわねば!」
「──……はい?」




