第二十二話 食欲には勝てない
「嘘……」
お手伝いに来ている文官さんが風邪で休んでしまったので、今日は久しぶりに子爵家の書類仕事を手伝った。書類に埋もれるのは嫌いだけど紙に触れるのは好きな私としては、なんだかちょっと新鮮な気分。みんなが処理してくれるおかげでずいぶん書類が整理されたと思ったんだけど……。
「嘘ではない」
王子様付きの従者さんは眼鏡を上げて言った。
「これが現在の子爵家の帳簿だ」
「……ほえ」
このV字回復している書類が、うちの帳簿……
あの、領地経営ってたった二ヶ月でここまで変わるものなの?
私が言うのもなんだけど、なんだか都合が良すぎるような。
まだしも王子様や従者さんが私を騙していると言った方が信じやすいよ。
「なんでこんなに……」
「それは貴様の魔法──どぅえほんっ、なんでもない」
ん?
今、一瞬ルネさんとリュカ様からすごい冷気を感じたような。
従騎士さんがすごい汗をダラダラ流してるし。もしかして風邪かな。
「適度に休んでくださいね。倒れたら元も子もありませんから」
「……言われるまでもない」
「よし。じゃあ書類の確認は終わりかな?」
リュカ様が手を叩いて仕切り直す。
従騎士さんがすごく書類を整理してくれるからあっという間に終わってしまった。時計を確認する。まだ午前十一時。お昼までに仕事が終わるなんて……。
(それもこれも、リュカ様のおかげだよね)
たぶん、いや間違いなくそうだ。
リュカ様が来てからというもの、子爵家の空気はまるで変った。
仕事はすぐに終わるようになったし、書類に埋もれないし、お父さんも目のクマが取れてきたし。
(ありがとうって、どこかで言いたいな)
ちらっ、とリュカ様を見る。
「ん?」と首を傾げられて、慌てて本で顔を隠した。
(あぅ)
恥ずかしい……何やってるんだろ、わたし……。
ただありがとう、って言うだけなのに、かしこまると照れる……。
(でも、言わなきゃ)
リュカ様は私のこともお父さんのことも助けてくれる。
ちょっと、いやかなりぐいぐい来るけど、気取らない優しさって言うのか……
押しつけがましくない優しさが、ちょっぴりカッコよくも思う。
(って、何考えてるんだろ。私。リュカ様は王子様なのに)
ぶんぶんと首を振って煩悩を振り払う。
王子様とのあれこれなんて、夢の中だけで十分だ。
ましてや貴族と関わると碌なことがないというのは伯爵令息で十分学んだことだし。
(こういう時は楽しいことを考えよう。そうだ、仕事終わったなら何しようかな)
読書?
久しぶりに魔導書の研究? でも誰かに見られるかもしれないし。
うーん、誰にも見られない場所が欲しい……あ、おやつ食べるのもいいなぁ。
つらつらと脈絡のないことを考える私。
こっちの心情を見透かしたみたいにリュカ様は言った。
「ねぇライラ。これからデートに行かない? ランチを予約してあるんだ」
「行きませんけどっ?」
びっくりした。急に何を言ってるんだこの人は。
「えぇ……でも、外はこんなにいい天気だよ」
リュカ様が窓の外を見る。
まぁ確かに雲一つない青空だけども。
でも、だからこそ外に出たくないっていうか。
こういう日はお庭で読書をするか、冷えた研究室で紅茶を飲むのが楽しいんだよ。絶賛インドア派ですからね、私は。
「この前のお詫びも兼ねてさ、ね?」
「お詫び……いえ別に、詫びてもらうことは」
私が勝手に牢屋を見て泣いちゃっただけだし。
あの頃の記憶はほんとに嫌なことばっかりだったから……
リュカ様も、たぶん知ってたらやっていないはずだし。
「ちなみに食べ放題だよ」
「食べ……放題?」
ピク、と私の食欲が反応した。
お腹の上あたりが疼きだして、自然と顔を上げる。
リュカ様の整った顔立ちが目に飛び込んできた。
「うん、僕のおごりだからね。君には一銭も払わせないよ」
にっこり顔のリュカ様である。
食べ放題、食べ放題、食べ放題……。
「行って来たらどうだ、ライラ」
空気に徹していたお父さんがすごく悪い顔で言った。
「他人のお金で食う飯は美味いぞぉ」
どこかで聞いたような台詞である。
それはそうとニチャァって笑うのはやめてほしいな……。
「た、ただ飯……ごはん……食べ放題……」
まぁ、そんな提案に誘惑されちゃう私も同類なんですけどね!
いやだって、食べ放題だよ! 食べ放題!
お腹が減っても食べられない時に比べたら天国じゃん!
食べられる時に食べておかないと、あとあと後悔するし!
私の理性は圧倒的に敗北し、気付けば頷いた。
「いく。たべほうだい」
「デートだけどね?」
「たべほうだい!」
「何この可愛い生き物」
さぁ行こう、食の楽園に!




