第十二話 あなたと過ごす時間
リュカ様が子爵領に来てから一人になれる時間は限られている。
机に向かった私は真っ白な本を広げて、これまであったことを書き記していた。
習慣……というか、お母さんがそういう人だったから。
交換日記をして、欲しいものをねだったこともあったっけ。
「えっと、婚約審査会に行ったのがついこの間のことで……」
「ライラ、何を書いてるんだい?」
「うひゃぁ!?」
ばたん!と本を閉じて振り返る。
リュカ様が不思議そうな顔をしてサファイアの瞳を瞬かせていた。
「どうしたのそんなに慌てて。もしかして僕への愛の手紙だった?」
「そんなわけないでしょ!?」
「だよね。ちょっと残念だけど」
クスクス、とリュカ様は笑う。
ほんとこの人は、心臓に悪いったらありゃしない。
「じゃあ何を書いてたの? 古代魔法?」
「どこから古代魔法が出て来たんですか」
「ライラの才能ならあり得るかなって」
「……私が古代魔法の本を書いてるとでも?」
「まぁないよね。『黒の書』じゃあるまいし」
いや『黒の書』って。
読んだ人に全知全能を力を与えると言われる伝説の本だよね?
しかも、《空の文明》を滅ぼした原因って言われてるやつ。
そんな危ない本を私が書けるわけないでしょ。何言ってんのこの人は。
「古代魔法の研究ならしてますけど」
「え?」
あ、これ言っちゃダメな奴だった。
慌てて口を手で覆った私にリュカ様は目を見開いている。
「古代魔法を研究? 本当に?」
「……」
うぅ。何を口走ってるんだろ、私。
お母さんに絶対秘密って言われたのに。気を許しすぎだよ……。
リュカ様は真剣な面持ちで顎に手を当てている。
「そもそもあの難解な古代文字が読めるのかい?」
「……」
まぁここで変に誤魔化すのも怪しいよね……。
こくりと頷くと、リュカ様の眉間に皺が入った。
「そう、か。なるほどね……ちなみに、これを知ってるのは?」
「お父さんと、リュカ様だけです……」
「ヴィルヘルム侯爵家は知らないんだね?」
「知らないはずですけど」
「ふむ」
リュカ様は何やら考え込んでいる。
「あの、このことは」
「あぁ、大丈夫。絶対に秘密にするから」
「本当ですか?」
「もちろん。僕がライラに嘘をついたことはあるかい?」
「それ、付き合いの長い人に言うセリフですよね」
「え? 僕と長く付き合っていきたいって?」
「耳が腐ってんですかっ?」
まぁでも言いふらすような人でもなさそうだし。
別にいいのかな。いや良くはないか。次から気を付けよう……。
「ちなみにさ、古代魔法を研究してどうするの?」
「どうもしません」
私は苦笑する。
「別に大それた野望があるわけじゃないし、魔法師として名をあげたいわけでもありません。ただ、気になりませんか? 千年前、神の逆鱗に触れるほど発達した《空の文明》が作り出した古代魔法。本当の魔法。どんなことが出来るんでしょう。魔力は? オドは? そもそもこの世の理から逸脱しているのになぜ機能するのか。なぜそれほどの技術を持ちながら神様の逆鱗に触れるようなことをしたのか。いえ、そもそも本当に神様はいるんでしょうか?」
古代魔法を知れば知るほど《空の文明》の輪郭も浮き彫りになる。
色んなことが分かって、色んなことが出来るようになるかもしれない。
それこそ、死んだ人に会うことだって……。
(……あ、喋り過ぎた)
ぽかんとしているリュカ様を見て顔が熱くなる。
目を逸らして、ぎゅっと拳を握った。
「ごめんなさい。私なんかがこんなに話して」
「え? なんで?」
「なんでって……呆れてたんじゃないんですか?」
「いや、その逆だよ」
リュカ様は微笑んだ。
「好きな物に関して熱く語れる君が、素敵だなって思ったんだ」
「え」
「情熱を注げる物があるっていいよね。僕にはそういうのないからさ」
リュカ様は寂しそうに言った。
「ちょっと羨ましい」
「リュカ様……?」
やっぱりこの人にも色々あるのかな。
正真正銘の王子様だし、ないほうがおかしいんだけど。
でも、なんか寂しそうな……
思わずその頬に手を伸ばしたその時だった。
「まぁ、今は僕にも情熱をかける相手がいるんだけど」
「え」
がし、と手を掴まれた。
椅子ごしに身体を引き寄せられて、顔が近くなる。
「今の僕は君にしか目に入らないんだ」
「~~~~~っ」
パシ、と手を離して本を持った私は後ずさった。
「せ、せっかく人が心配したのに! 結局いつも通りじゃないですか!」
「え、心配してくれたの? 嬉しいな」
「顔を輝かせないでください! これだからリュカ様はリュカ様なんです!」
「厳しいなぁ。こんなにも君を溺愛してるのに」
「溺愛なんてお断りです!」
「どうして?」
「だって……」
だって、期待してしまう。
私なんかが幸せになっていいのかなって思ってしまう。
こんな、容姿も目立たなくて本と魔法が好きなだけの、ただの平民に……。
(期待して、裏切られるのはもう嫌だし)
信頼すればするほど裏切られた時の失望も大きくなる。
最初から期待していなければ傷つかずに済む。
もしも今度裏切られた……私はもう、立ち直れない気がするから。
「そっか。でも」
リュカ様はふわりと笑った。
「それでも僕は君が好きだよ。君が笑ってくれるだけで幸せなんだ」
「~~~~っ、リュカ様は、あけすけすぎます」
「本人が目の前にいるのに気持ちを伝えなくてどうするんだい? 社交界じゃあるまいし」
そりゃあ、私も遠回しな言い方はすごく苦手だけど。
『ご機嫌麗しゅう。元気そうね』
と言われたら、
『調子に乗らないで大人しくしろ』
なんて風に捉えなきゃいけないのが社交界だし。
「だからって……」
「ん?」
ドキドキする。
心臓の鼓動が耳の奥で響く。
「そ、そういうのは、ダメなんですってば!」
「支離滅裂だね。ほんとにおもしろいな、君は」
「も、もう知りません! 勝手にしてください!」
「うん。じゃあ君の傍で本でも読んでようかな」
リュカ様は書斎の棚を漁って適当な本を手に取る。
あ、それお気に入りの本だ。ちょっと感想聞きたいかも……
そわそわしながら机に戻る。
リュカ様は私を見ず、静かに読書をしていた。
傍に居るのに構って来ない。こういうところはいいなって思う。
(そう言えば男の人と二人きりって久しぶりだけど)
エドワード様の時はよく絡まれたっけ。
やれお前の魔法がどうの、あの論文の仕上げがまだだの。
あの時は落ち着かなかったし、怖かったけど。
「……ちょっと落ち着く」
リュカ様と一緒の空間は、悪くないと思った。