第九話 変化していく日常
リュカ様がルネさんと文官たちを連れて来てくれてから生活が様変わりした。
毎朝日の出前に起きて家事その他諸々を済ませていたのだけど、今は日が登ってから起きると全部が終わってる。ルネさんは早速この狭い家を掌握したようで、朝ごはんが出来ると私とお父さんをそれぞれ起こして着替えを手伝い、食事の席につかせてくれた。
「お父さん、私は夢を見てるのかな……」
「娘よ。俺も同じ気持ちだ。おそらくこれは幻覚だろう」
「そうだよね。我が家の朝食がこんなに豪華なわけないもんね」
「現実でございます。グランデ家の皆様」
テーブルに並んでいるのは生ハムとバゲッド、かぼちゃのスープ、クルトンを混ぜたサラダにこんがり焼けたベーコンと目玉焼き、とろ~り溶けたチーズがなみなみと壺に入っていて、瑞々しい野菜スティックがコップに刺さっている。なにこれなんて料理?
「これは君たちが本来受けるべき恩恵だよ。存分に食べるといい」
「はぁ……ってなんで居るんですか!?」
びっくりした。いつの間にかリュカ様が私の隣に座っていた。
頬杖をついて私を見つめるリュカ様は空色の瞳を嬉しそうに細める。
「そりゃあ、君がここに居るから。朝食の時も一緒に居たいじゃないか」
「さも当然のように言ってますけども、おかしいですからね」
「おかしくないよ。僕は子爵家の査察官なんだ。ちゃんと子爵家が貴族らしくしているか監視しなくちゃ」
「これが貴族らしい食事ですか……」
いつもは目玉焼きと黴かけのパンだけなのに。
まるで晩餐会に来た気分で、思わずごくりと喉が鳴った。
「あ、あとで食事代とか請求されませんよね?」
「しないよ」
「パンのお代わりは自由?」
「もちろん」
「……リュカ様って実は神様ですか?」
「違うよ?」
違うのか。そっか。
「じゃあ、まぁ」
お父さんと視線を交わして頷き合う。
これ以上遠慮していて料理が冷めるのもルネさんに失礼だ。
食前の挨拶をした私たちは朝食にかぶりついた。
「……美味しい」
「ルネは料理も家事も魔術も出来る万能メイドだからね」
バゲッドの皮はサクっと香ばしく、中はふわふわしてちょっと甘い。ベーコンと一緒に食べたら脂がしみ込んで最高。バゲッドにチーズを乗せてはちみつをかけると、お菓子みたいに甘くて何度でも食べられちゃう。新鮮な野菜スティックは塩につけるだけでも美味しくて、シャキっとした歯ごたえが良い。全身が美味しい食事に喜んでいるのが分かる。
ルネさんを見ると、ちょっぴり満足げなご様子。
綺麗で万能で、この人に欠点なんてあるのだろうか。
私を甘やかしてくれるし、ちゃんとお世話もしてくれるし……
「私、結婚するならルネさんみたいな人がいいなぁ」
「「は?」」
あ、声に出てた。
「ち、ちが。えっと、美味しいご飯を食べさせてくれる人って素敵だなって」
「……なるほど?」
「ルネ、ちょっと明日から料理係替わらない?」
「殿下は料理がお出来にならないでしょう」
「くッ、まさかこんなところにライバルが居たとは……せっかく護衛に女性を選んだのに……!」
「あ、あの!」
やばいやばい。
なんだか収拾がつかなくなってきた。なんか言わなきゃ。
「る、ルネさんの料理は毎日食べたいって意味です!」
「……」
あ、あれ?
なんかこの場の空気がおかしくなったんだけど?
ごほん、とルネさんが咳払いした。
「グランデ子爵。お嬢様の教育はどうなってるのですか」
「……こういうところが可愛いでしょう。ねぇ王子」
「うん。可愛すぎて他の男にこういうこと言わないか心配になる」
「……?」
よく分からないけど、ご飯が美味しいからいいや。
美味しいごはんは正義だよね。
◆◇◆◇
文官たちに書類仕事を任せたといっても私の仕事が無くなるわけじゃない。
うちの領地は魔法師が圧倒的に不足しているのだ。
その癖、魔法をベースに生活を成り立たせているから私たちは村中を奔走することになる。
今日は村の外れにある麦畑の中で魔道具を修理していた。
蓄音機式の魔導具だ。畑に置いておくと害獣を遠ざけてくれる。
私の背丈くらいの大きさはあるそれの中身を見ていると、鉄板が劣化していた。
(またかぁ……うぅ、費用がかさんじゃうなぁ。よよよ……)
何分貧乏子爵家だから蓄音機の土台部分は木造でまかなっている。
その分湿気が溜まりやすくて、鉄の板だとすごく錆びやすい。
そうすると、鉄板に刻んだ魔法陣が不具合を起こして機能しなくなってしまう。
ただでさえ畑に置くもので雨に晒されるからね……まぁしょうがない。
鉄板を外して、麦畑から出る。
あらかじめ用意していた道具箱の中から新しい鉄板を取り出した。
本当は銀板とか用意したいんだけど、高いから……
「ライラ、それ交換するの?」
「はい」
なぜか私の仕事についてきたもの好きなリュカ様。
それまでずっと黙って仕事を見ていた王子様は確かめるように言った。
「でも鉄板に魔法陣を刻んでも劣化が早いんじゃない?」
「まぁ二週間で交換ですかね……ただでさえ廃材使ってるので」
「だよね」
リュカ様は頷いた。
「少し待ってくれるかい? あ、来た」
「え?」
街道の向こうから竜車が走って来た。
なんかすごい荷物が積まれてますけど、あれなに?
リュカ様は竜車のほうで一言二言交わした後、箱を持ってきた。
「はいこれ、ライラ」
「え?」
「プレゼント」
「食べ物ですかっ?」
「違うよ」
「なんだ……」
「途端に興味を失くすんだね。そんなところも可愛いけど」
クス、とリュカ様は微笑んだ。
「中身を見たら喜ぶと思うよ?」
「中身……食べられないものなんて別に……あ」
リュカ様が箱を開ける──その中身に私は口をあんぐり開けた。
銀色の輝きが視界を埋め尽くす。
こ、これ、プラチナの板……!? この箱全部!?
「僕がどれだけ仕事を手伝っても君の仕事が減らないんじゃ意味ないでしょ?」
ゆっくり顔をあげると、リュカ様は微笑んでいた。
「だから君の仕事を失くそうと思って」
「あの、これ、高かったんじゃ」
「僕の私財だから気にしないで」
「私財って……無限じゃないですよね」
「君が気にすることじゃないよ。僕がやりたくてやっただけだし」
ぽんぽん、と頭に触れられる。
「君が喜んでくれるなら、それでいい」
「……っ」
体温が上がった。
「そ……そういうの……ずるい、と思います」
「そうかな」
「そうです」
そんなこと言われたら……本気にしてしまう。
騙されて酷い目にあって痛い目にあったばかりなのに。
この人なら本当に、私を大切にしてくれるのかなって思ってしまう。
身の程知らずなのは、分かってるけれど。
「し、仕事に戻ります」
これ以上喋ってたらどうにかなってしまいそう。
私は熱くなった顔を仰ぎながら、ルネさんの用意した作業台に近付いた。
プラチナの板を用意する。道具箱の中から魔法陣を刻むペンを取り出した。
「ふぅ、よし」
集中する。
金属の板に魔法陣を刻む場合はペン先に超高熱を発するペンで刻むけれど、ちょっとでも間違えたら機能しなくなるから注意しなければならない。こんな子爵家の一ヶ月分の予算を全部つぎ込んでようやく買えそうな高い板なんだし、絶対に失敗は出来ない。円を描き、魔法を発動するのに必要な力ある言葉を書き込んでいく。
「ライラ様。疲れたら仰ってください。微力ながらお手伝いいたします」
「大丈夫です。もう終わりました」
「──……は?」
魔獣除けの魔法陣は書き慣れている。
うちの騎士団はよぼよぼの老人で構成されているから襲われたらひとたまりもないし。
あと私が魔獣怖いから、目を瞑っていても書けるようになった。
「ライラ様、少し見せてもらっても?」
「どうぞ。別に変わったものじゃないですけど」
ルネさんはプラチナ板を一心に覗き込んで目を剥いた。
「信じられない……これだけ精緻かつ緻密な魔法陣を一分と掛からず書きあげるなんて……」
「えへへ。そんなに褒めても何も出ませんよぉ」
「むしろこの魔法陣が見られたことに鑑賞料すら払いたい気分です」
「いやいやいや、私なんかそんな……あ、じゃあこれ設置したら次に行きましょう」
あれ?
そういえばこういう時真っ先に狂喜乱舞しそうなリュカ様が何も言わないな……
振り返ってみると、物好きな王子様は私が修復した魔道具を見て難しい顔をしていた。
……ま、そういうこともあるよね。
早く終わらせて読書しよう。そうしよう。