2.
ほとんど言葉を交わさないまま、私たちは昼間と同じ映画をもう一度並んで座って観た。彼の隣で映画を観た回数は片手の指を超えていて、いつもなら誰が隣に座ろうと映画に集中できるのに、今回ばかりは内容がまったく頭に入ってこなかった。彼が買ってくれたアップルサイダーの味は氷が溶け出す前の一口目からぼやけていたし、しゅわしゅわと口の中に広がる炭酸の刺激も、まるでしなびた野菜みたいに精彩を欠いていた。
「やっぱりよくわからんなぁ」
二度目の鑑賞を終えた舎川くんの表情は、一度目の上映後とまったく同じだった。
「ダメ。ハズレ。なんか損した」
どうしても気に入らなかったらしい。そういうこともあるよ、と笑って励ましてあげられたらよかったのに、私の口から気の利いた言葉が転がり出ることはなかった。
ロビーはやけに混み合っていた。レイトショーに駆け込むカップルだらけだ。私がこの時間に映画館にいることはめったにない。無意識のうちにこの甘ったるい雑踏を避けていたのかもしれない。
「大丈夫ですか」
舎川くんが足を止めて尋ねてくる。私も同じように立ち止まり、「うん」とこたえた。
「なにかあったんですか」
「どうして」
「そうじゃなきゃ戻ってこないでしょ。ただの気まぐれで行動を変える人じゃないから、係長は」
ここではじめて、私は彼の目を見上げた。すぐ隣に立っていると見上げなければならないくらい彼は背が高く、私は低い。
半年前に今の部署へ異動してきた時から感じていた。彼は本当にいろいろなことによく気がつく。言葉を選ばなくていいなら、目敏い、という形容詞が彼にはぴったりだった。気が利くのとは少し違う、人の本質を見抜く力を持っている若者。
私の本質は、彼の見抜いたとおりだった。自分の思いどおりにならないことを徹底的に嫌う頑固者で、一度決めたことはめったに曲げない。迷惑だと思ったら、はっきりと相手にそう伝える。
だから私は今もこうして、彼の傾けてくれた優しさをいとも簡単に踏みにじる。
「わかったようなことを言わないで」
なにもない。ただ少し、別れた夫のことを思い出してナイーブになっていただけだ。
彼のまっすぐな視線を振り切るように、くるりと背を向けて歩き出した。彼が追いかけてくることはない。いつもそうだ。舎川くんはいつも、私の意思を尊重してくれる。
今日もそうだと思っていた。けれど、違った。
振り向かなくてもわかる。私の手首を掴むのは、舎川くん以外にはいない。
「わかりませんよ」
振り返らない私に向かって、舎川くんは一方的にしゃべり続けた。
「本当のことなんて、おれにはなにもわかりません。おれはただ、係長が幸せだったらそれでいいと思ってるだけです。幸せなら、毎日が充実してるならそれでいい。でも、そうじゃないなら」
「幸せだよ」
手首を掴まれたまま、私は舎川くんを振り返った。
「私は幸せ。昔よりも、今のほうがずっと」
口調が威圧的になる。そうやって自分自身に強く言い聞かせていないと、つぶれてしまいそうだった。
「そうですか」
私を掴んでいた舎川くんの手が、わずかな迷いを残して離れた。さらりとした前髪の隙間で、瞳が小さく揺れるのが見えた。
「だったら、いいんですけど」
不格好な笑みを浮かべて、彼は「帰りましょう」と言った。バツイチだと告げた時と同じだ。彼はいつだって他人と適度に距離を取り、必要以上の詮索はしない。
歩き出した彼の背中を、素直に追いかけることができなかった。舎川くんは立ち止まって振り返り、「係長?」と私に声をかけてくる。
あぁ、もう。
自分の面倒くささに呆れ、伸ばした前髪を乱雑にかき上げる。
彼が差し伸べてくれた手を自分から拒絶したくせに、どうしてさっさと引き下がってしまうのと思っている自分がいる。「幸せそうには見えないですよ」。そんな風に言ってもらいたがっていることに気づいて、あまりに馬鹿らしくて辟易する。
面倒くさい。陳腐なプライドだ。こんなにも弱くて脆いのに、一人でも生きていけると信じている。中途半端なおもいやりは、彼を余計に傷つけてしまうだけなのに。
顔を下げることしかできない私のもとに、彼が近づいてくる気配を感じる。視線を上げるよりも早く、彼の温度に包まれた。
「案外不器用なんですね、係長って」
他の人には聞こえないように、彼は私の耳もとでささやいた。
「仕事みたいに、もっとうまく使ってくださいよ、おれのこと」
火照っているのは私のからだではなかった。私で隠して見せてくれない彼の顔は、どのくらい熱を帯びているだろう。
ズルいよ、と心の中だけでつぶやく。うまく使ってだなんて、私が悪者みたいじゃないか。
「……帰りたくない」
実際、悪者なのだと思う。先のことなんてこれっぽっちも考えていないくせに、未来ある若い男の子の貴重な今を、身勝手に利用しようとしているのだから。