クラスメイトが住んでいる隣室で、黒いアレが出たらしい 〜恋のキューピッドは「G」から始まる奴でした〜
「恋を叶えたいか?」
「それ」は突然俺・小松川友春の夢に出てきて、そう問いかけてきた。
黒光りしている体、2本の長い触覚、そして動く度にするカサカサという音が特徴的な、昆虫の一種。
誰もが恐れ慄くその正体は――ゴキブリだった。
「恋を叶えたいか?」
ゴキブリは、もう一度俺に尋ねる。
何で俺はこんな夢を見ているのかとか、どうしてゴキブリが日本語を喋っているのかとか。気になることは山程あるけれど、まずは一つ、どうしても言っておかなければならないことがあった。
「いや、ゴキブリに人の恋を成就させる力なんてないだろ?」
身の程を知れ。お前は所詮ゴキブリだ。
桁外れの生命力こそあるかもしれないが、神様じゃない。ゴキブリに俺の恋を叶える力なんて、ある筈がないのだ。
「そんなことはない。ゴキブリの「G」は、ゴッドの「G」だ」
意味のわからないことを言い出すゴキブリ。
何だよ、その定義? 初めて聞いたっての。あと、夢だからって勝手に人の心を読むんじゃない。
「なにも綺麗な花束や高価な宝石だけが、恋愛のマストアイテムじゃない。ゴキブリにはゴキブリなりの、恋の応援の仕方ってものがある。……大船に乗ったつもりでいろ。一週間後には、お前は晴れて彼女持ちだ」
夢の中のゴキブリが、微笑んだような気がした。
俺に恋人、ねぇ。
好きな人はいるし、その子と付き合いたいとは思う。だけどいざ交際するとなると……実感が湧かないというのが、正直なところで。
だって俺はその子と、大して仲良くもないんだぞ?
第一、ゴキブリの言うことだ。本気にする方がバカらしい。
スマホのアラーム音で目を覚ました俺は、開口一番こう呟くのだった。
「……何であんな夢見たんだろ、俺?」
◇
「……隣がやけに騒がしいな」
その日の夜。
テスト勉強に励んでいた俺は、いつもより生活音の多い隣室に目を向ける。
このマンションは、結構壁が分厚い。だから多少騒いだ程度では、音が漏れない造りになっている。しかし……珍しく今夜は、ドンドンと喧しいくらいに騒音が響いていた。
隣の部屋に住んでいるのは、柳瀬琴夏。同じ高校に通うクラスメイトであり……俺の好きな人でもある。
誤解のないよう言っておくが、別に柳瀬が隣に住んでいるから、この部屋を借りているわけじゃない。お隣さんになったのは、本当に偶然だ。
だからお隣さんと言っても、頻繁に交流があるわけではなく。
会った時に多少挨拶をするくらいで、作り過ぎたおかずをお裾分けしてくれたり、毎朝「遅刻しちゃうわよ」と起こしに来てくれるみたいなラブコメ要素は皆無だった。
とはいえここまでうるさいと、隣人として無関心ではいられない。
ガッシャーンと、何やらガラスの割れた音まで聞こえたし。
……いや、本当に何しているんだ? 普通に生活していたら、こんな音する筈ないぞ?
部屋の中で誰かと戦っているとか? 或いは、まさかのバトルロワイヤル!?
……なんて、そんなアクション漫画みたいなことあるわけないよな。
ゴキブリが人の恋を成就させることくらいあり得ない。
しばらくすると、騒音がやむ。……何かが起こっていたのは確かだけど、どうやら無事解決したみたいだな。
とはいえ多少気になりはするわけだから、今度会った時にでも何があったのかそれとなく尋ねるとするか。
そう思いながら、勉強を再開させると……ピーンポーンと、玄関チャイムが鳴った。
「……宅配業者か?」
もしかすると、田舎の両親が野菜やら米やらを贈ってくれたのかもしれない。
俺は玄関ドアを開ける。するとそこには、
「出たの! アレが出たの!」
涙目になりながら、近所迷惑上等の声で叫ぶ柳瀬の姿があった。
余程焦っているのだろう。その証拠に柳瀬はパジャマ姿&ノーメイクで、俺の部屋を訪れている。
「出たって、何がだよ?」
主語はあった。しかし、「アレ」ではその正体が何なのかわからない。
「もしかして、幽霊が出たのか?」
「んなわけないでしょ! 幽霊なんてこれっぽっちも怖くないわよ!」
いや、幽霊は普通に怖いよ?
俺なんてちょっとラップ音がしただけで、その夜はトイレに行けなくなってしまうくらいだ。情けないことに。
「だったら、何が出たって言うんだよ?」
「それは……黒光するアレよ!」
黒光りするアレ……あぁ。
それなら俺も最近見た。現実ではなく、夢の中でだけど。
「なんだ、ゴキ……」
「はっきり名前を出さないで!」
俺が「ゴキブリ」と口に出そうとすると、柳瀬は全力で阻止してくる。名前すら聞きたくないとか、どんだけ苦手なんだよ。
しかし、これで先程までの騒音の謎は解明された。
柳瀬はゴキブリと戦っていたのだ。
相手が人じゃないだけで、「バトル漫画みたいだ」という俺の妄想もあながち間違ってはいないと言えよう。
「で、お前はどうして俺の部屋に来たんだよ? わざわざゴ……黒光りするアレが出たと事後報告しに来たのか?」
「ごめん。今ボケにツッコんでいる余裕ないから」
ゴキブリ相手に切羽詰まりすぎだろ……。
「あなたには、私の部屋に来てアレを退治して貰いたいの」
「それは構わないけど……良いのか? 俺がお前の部屋に入って」
彼氏でもない男を部屋に上げることに、柳瀬は抵抗がないのだろうか?
「あら? 部屋に入らずにアレを退治出来るのかしら?」
「無理。俺にそんな特殊能力はない」
「だったら、仕方ないじゃない。背に腹はかえられないわ」
俺は自宅に常備してある殺虫剤を片手に、柳瀬の部屋へ向かう。
流石に単独というわけにはいかなかったので、柳瀬も同伴だ。ただ……彼女は玄関から、一歩の部屋の中に足を踏み入れようとしなかったけど。
同じマンションなので、トイレと風呂が別々の1Kという間取りは俺の部屋と同じだ。
こういう時は、まずは一番広い部屋から捜索するのが定石だろう。
部屋の中に入った俺は……絶句した。
室内はまるで空き巣にでも侵入されたかのような、酷い状況だったのだ。
掛け布団はクシャクシャになり、花瓶は割れ、座椅子に至ってはあり得ない曲がり方をしている。
「……おい、柳瀬」
「いつもは綺麗にしているから」
俺の聞きたいことを察した柳瀬が、先んじて答える。
女子として、汚部屋に住んでいるとは勘違いされたくなかったのだろう。
「下着が散乱しているけど、良いのか?」
「後できちんと片すわよ。……アレを退治してくれたら、1枚くらい持って帰っても良いけど?」
好きな子の下着を入手出来るとは、大変魅了的な提案だけど……正常な思考をしていない現在の柳瀬からそんなものを受け取ってしまえば、間違いなく後々しこりを残すに決まっている。
目の前の下着欲しさに彼女との恋人同士になれる可能性を放棄するなんて、そんな勿体ない真似しないさ。
30分かけて部屋中を大捜索するも、ゴキブリは一度たりともその姿を現さなかった。
もうこの部屋にいない可能性も考えられる。その場合、いくら探しても見つかるわけがない。単なる時間の浪費だ。
夜遅いことだし、俺はここいらで捜索を打ち切ることにした。
「いないな。これ以上探しても、見つかる見込みもない。……また出たら呼んでくれ」
その時は、二度と逃げられないようすぐさま駆けつけるとしよう。
そう考えていたのだが……。
「嫌」
柳瀬の返答は、まさかの拒否だった。
「アレがどこにいるのかわからない部屋じゃ、眠ることだって出来やしない。寝ている間にアレが私の口に入り込んできて、そのまま私の体を中から食い散らかしていくんだわ」
発想が怖えよ。そんなホラー展開あり得るかっての。
「だったら、どうするつもりだよ?」
「……あなたの部屋に泊まる」
「あぁ、そうかよ。俺の部屋に……って、ちょっと待て」
今この女、何て言った?
「柳瀬が俺の部屋で寝泊まりするんなら、俺はどこで寝れば良いんだ? お前の部屋か?」
「流石に家主にアレの徘徊する汚部屋を押し付けるつもりなんてないわよ。同じ部屋で寝れば良いじゃない」
「だけど俺の部屋には、ベッドは一つしかないんだぞ?」
「だったら、あなたは床で寝たら?」
理不尽にも程がある!
しかし柳瀬がゴキブリのいる(可能性のある)部屋で一晩過ごすとは、到底考えにくい。もし俺が宿泊を拒めば、彼女は行く宛がなくなってしまう。
それで風邪を引かれたり、何か事件に巻き込まれても寝覚めが悪いし……仕方ない。
俺は渋々、柳瀬の宿泊を許可した。宿代として、勉強でも教えて貰うとしよう。
しかし、物は考えようだ。
好きな女の子が自分の部屋で寝泊まりするのだと自覚すると、途端にドキドキしてくる。
……えっ、何このラブコメ展開?
夢のお告げの通り、本当にゴキブリが恋のキューピッドになろうとしていた。
◇
「アレが退治されるのを確認するまで、自分の部屋に戻るつもりはないから」
そんな宣言をされた以上、俺にほとぼりが冷めるのを待つという選択肢はなくなって。翌日から柳瀬の部屋に入っては、ゴキブリ捜索に小一時間費やす日々が続いた。
期間限定とはいえ、色々用意しなければならないものもある。歯ブラシとか下着とか、流石に俺の物を使わせるわけにはいかないだろ。
当然柳瀬は自分の部屋に入りたがらないから、俺が彼女の部屋から諸々を運んでくることになる。
……ヤベッ。柳瀬のブラジャーを持って彼女の部屋から出たところを、ご近所さんに目撃された。社会的に死んだな、これ。
柳瀬もただ泊まるというのが悪いと思ったらしく、炊事や洗濯を積極的に手伝ってくれた。
家事スキルの高い柳瀬だが、特に料理が上手い。彼女の作るものは、どれもこれも絶品だった。
同居生活四日目。イレギュラーなこの日常にも、ようやく終わりの時が訪れる。
この日も俺はいつものように柳瀬の部屋を捜索していた。
きっと今夜も見つからないだろうな。そう決め付けていたところもあった為、無意識に捜索もおざなりになる。
最後に掛け布団を持ち上げたところで……俺の視界に、黒光りする物体が飛び込んできた。
……お前、まだこの部屋に居候していたのかよ。
俺は殺虫剤を構える。
恨みはない。だけどお前がここにいる限り、柳瀬は自分の部屋に戻れないんだよ。
ゴキブリは逃げようとしなかった。
その代わりに、ジーッとこちらを見続けている。
俺とゴキブリの視線が交わる。
「充実していたかい?」。ふと、ゴキブリがそんなことを尋ねてきたような気がした。
……そうか、そうだったのか。
これがお前の言う、ゴキブリなりの恋の応援の仕方だったのか。
「……悪いな、柳瀬。俺にこいつを退治することは出来ないみたいだ」
俺は殺虫剤を置く。
それから優しくゴキブリを掬い上げると、彼を外に逃してあげるのだった。
ありがとう、ゴキブリ。
お前のお陰で、俺の恋は一歩成就に近付いたよ。
◇
二日後。
またも柳瀬は、俺の部屋に駆け込んできた。
「助けて! アレが出たの!」
……退治してから、まだ二日しか経っていないんだぞ? お前の部屋は、どんだけゴキブリに好かれているんだよ?
しかし柳瀬に頼られているのは少し嬉しかったので、俺はゴキブリ退治を引き受ける。
……この前無傷で逃してやったんだ。もう貸し借りはなしだろう。
今度こそ、正々堂々勝負である。
俺は柳瀬の部屋に入る。しかし入ってすぐ、違和感を覚えた。
……ゴキブリが出た割には、部屋が綺麗すぎる。
花瓶は割れていないし、タンスも倒れていない。下着だって、一枚たりとも床に落ちていなかった。
つまり柳瀬はゴキブリが出たというのに、冷静だったということになる。
つい数日前はあんなに狼狽していたのに、そんなことがあり得るのだろうか?
ふと、俺の脳裏に一つの可能性が浮かぶ。もしかして……
俺の推測を証明するように、柳瀬はえらくモジモジしながら言う。
「だからさ、その……今夜も泊まって良い?」
……やっぱり。ゴキブリなんて、本当は出ていないんだな。単に俺の部屋に泊まりたかっただけなんだな。
ゴキブリが出現していないのに、好きな女の子に「部屋に泊まりたい」と言われる。
男として、こんなに喜ばしいことはない。だから――
「……あぁ、ゆっくりしていけ。今夜はアレを退治出来そうにないからな」
俺は柳瀬の嘘に、喜んで騙されることにしたのだった。




