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2-①

 楓に追いつくと、僕は意識的に彼女と歩幅を合わせ、歩いた。僕と楓とでは身長差がかなりあるため、普段の歩幅で歩けば、どんどん距離が開けてしまいそうだった。

「まず初めに、大空の誤解を解いておきましょう」

 桜並木を抜け、舗装路を進みながら楓が言った。

「誤解?」

「私は田中くんを殺してなんかいない」

 慌てて僕は首をひねり、楓の顔を凝視した。彼女は小さく頷く。

「確かに私はあの日、田中くんの部屋を訪ねた。そしてそこで彼の死体を発見して、それから警察に通報した」

「ちょ、ちょっと待って! いま話を整理するから」

 楓は田中和人を殺していない? 予想外の情報に僕は混乱した。大いに混乱した。だが考えてみれば確かに、僕は田中和人の部屋を訪ねる楓の姿を目撃しただけで、そこから悲鳴を聞いたであるとか、返り血を浴びて事件現場を後にする彼女を見た訳ではない。僕には、楓の言葉が嘘であると判断する材料は何一つないのだ。

 だがそうなると、一つ疑問が生まれる。

「それなら、どうして僕の話に耳を傾けたの?」

 楓は田中和人を殺害しておらず、あの時間に彼の部屋にいたことはすでに警察にも把握されている。ならば、いまさらアリバイ工作など無意味であり、不可能だ。それはつまり、僕と一緒にいたところで、楓にはなんの得もないことを意味する。

「そもそも私は、大空の申し出を受け入れた憶えはないのだけれど」

「あれ、そうだっけ? いやでも、それならなんで僕たちはいま、一緒に歩いているのかな」

「大空が、私のことを好きだ、と言ってくれたからよ」

 うっすらと笑みを浮かべ、楓が言った。その表情は僕の鼓動を一瞬、爆発的に早めるほど魅力的なものではあったのだけど、発言の意味は分からない。

「まあ、いいじゃない。とりあえずいまは、事件についての話を進めましょう。それで私は、事件現場に駆け付けた警察から、重要参考人ということで事情聴取されて、結局自宅に戻ることが出来たのは、翌日の昼過ぎだったわ」

「……ひとつ質問してもいいかな?」

「どうぞ」

「その、どうして楓はあんな時間に田中くんの部屋を訪ねたの?」

 まさか二人は恋人関係にあったの、とまで訊く勇気はなかった。もしも肯定されれば、仮にその相手がいまは亡き故人であっても、嫉妬の炎に身を焼かれてしまいそうだった。

「呼び出されたのよ。電話が掛かってきて、あのアパートの住所と部屋番号を伝えられた」

「誰に。田中くんに?」

「ストーカーに。私、近頃誰かにストーキングされてたの。三か月――大空と出会うよりずっと前からね。視線を感じたり、いたずら電話が掛かってきたり、変な郵便物が送られたり」

「それは酷い!」

 僕は本心から憤った。奇跡のような美しさを備える楓に、心奪わるのは致し方ない。それはごく自然なことだ。しかしだからといって、そんな嫌がらせをして彼女を困らせていい理由にはならない。万死に値する。

 楓はじっと僕の顔を見つめた後、「なるほど」と頷いた。

「それは本気で言っているのよね?」

「もちろん。ストーカーなんて、許せないよ」

「……ええ、そうね。すごく同感。で、あの夜、そのストーカーから電話があったの」

 楓曰く、そのストーカーはいつも電話を掛けてくる際、非通知で、ボイスチェンジャーかなにかを使って声を発していたようで、その時もすぐに判別できたらしい。

「それであのアパートに呼び出された、と」

「ええ。実際、あそこが田中くんの部屋だということは、そこで彼の死体を見るまで知らなかったくらい」

「どうして呼び出しに応じたの? ストーカーの指示なんて、無視すれば良かったのに」

 ストーカーからの呼び出しに応じ、どこかも分からない場所に出向くなんて、考えるまでもなく、危険だ。危険極まりない。賢明な楓がそんな愚挙に出るとは、想像し辛かった。

「そこに行けば、ストーカーに会えると思ったから。いい加減私も辟易してて、直接会って、可能なら説得して、それが無理なら警察に引っ張っていこうと考えたのよ」

「危ないよ、それは」

「もちろん準備はしてたわ」

 僕の指摘に、楓はほんの少し唇を尖らせ、拗ねるように言った。それから、肩から提げた鞄に手を入れ、一つの物を取り出した。

 黒い、筒状の物体だ。全体的なフォルムは懐中電灯に近い。傍から見ても、ずっしりとした重量を感じさせる。

「それってもしかして、スタンガン?」

「ええ。定番でしょう? 一番強力らしいものをネットで買ったの」

 いったいなにをもって「一番」などと自称しているのだろうか、と疑問に思ったが、自慢げに語る楓に水を差すような真似はしたくなかった。

「へえ。それさえあれば、相手を昏倒出来ちゃうんだ?」

「っていう触れ込みだったわ」

 楓の指が、スタンガンの側面に付いたスライド式のスイッチへと伸びる。

 数秒待ったが、スタンガンは無音を保ったままだった。期待していた電光も、バチバチといった破裂音も聞こえなかった。

「あ、あれ? おかしいわね。ちょっと、まさか壊れてるんじゃないわよね」

 楓は明らかに狼狽し、何故だかスタンガンを軽く振り始めた。その姿はどこか子ども染みていて、いつもの彼女とはまた違う可愛らしさに溢れていた。

「待って楓。それさ、たぶん主電源が入ってないんだよ。底のほうとか、どこかに別のスイッチがない?」

「え、ああ、これかしら――きゃっ!」

 スイッチをスライドさせたまま主電源を入れたことで、意図せずスタンガンから電撃が走った。それに驚いた楓の手から、スタンガンが滑り落ちた。

 地面を転がるスタンガンを眺めながら訊ねる。

「もしかして、お試しで使ったこととかもないの?」

「私、本番には強いタイプなのよ」

 目を反らしてそう言う楓の姿は、とても新鮮に思えた。

 それから楓は、あの晩起こった事件について、直接その目で見たこと、そして警察から事情聴取の際に訊き出したいくつかの情報を交え、詳しい説明を始めた。

「大空も目撃した通り、私が田中くんの部屋を訪ねたのは午後十二時少し前。部屋の間取りは、玄関から廊下が伸びて、その先に七畳の洋間。廊下の途中左に曲がると、小さなキッチンスペースとユニットバスに続く扉があった。

田中くんはそのキッチンに、うつ伏せの体勢で倒れていた。後頭部に殴られたような傷があって、その場で脈を確認したのだけれど、すでに死亡していたわ。服装は上下スウェット姿で、就寝前といった風だった。

 キッチンの状態としては、ガス焜炉にやかんが一つ載せられていた。焜炉の脇にはカップも二つあった。それと、血の付着した重さ十キログラムの鉄アレイが転がっていたわ」

「それはつまり、田中くんはお茶の用意をしていたところを、背後からその鉄アレイで殴られて死亡した、ということ?」

「素直に考えれば、そういうことになるわね」

 僕の問い掛けに楓は小さく頷き、さらに説明を続けた。

「田中くんの死亡推定時刻は午後十時から十一時半頃。死体には、死斑は出ている一方でまだ死後硬直は始まっていなかったみたい。つまり私が見た田中くんは、本当に死後すぐの状態だったということね。

 死因はやはり、後頭部への殴打による脳挫傷。死体に争った形跡はなく、ほぼ即死だった。服にも特に乱れはなかったわ。

 凶器は例の鉄アレイでまず間違いないみたい。傷口の形状が完全に一致して、付着していた血も田中くんの血液だった。この鉄アレイはもともと田中くんが所持していた物らしく、同じメーカーの、少し軽い鉄アレイが洋間のほうに置いてあった。

 それから洋間の状態なんだけど、こちらはかなり荒らされていた。金目のものを探したとも考えられるけど、田中くんの財布には手を出していない。

 あとは、写真が一枚だけ破られていた」

「写真?」

「入学式の時の写真よ」

 入学式の際、クラス単位で撮影した集合写真だという。楓は一年次も田中和人と同じクラスだったようで、彼女も同じ写真を持っているとのこと。

 その写真がビリビリに破られた状態で洋間に放置されていたらしい。田中和人の部屋には他にも、友人や家族と一緒に映った写真が何枚もあったのだが、それらは手つかずのままだった。

「とまあ、こんなところかしら。目撃情報は一切なく、犯人に関する具体的な手がかりはまだ何もないのが現状ね。――どうかしら、大空。この事件について、あなたはどう思う?」

 楓が僕の顔を覗き込み、訊ねた。どう、とはなんと曖昧な問い掛けだろうか。

「……気になる点が三つあるんだ」

「へえ」

 楓の目が一瞬、ほんの僅かだけど、輝いた。そのことに内心喜びを覚えつつ、僕は続ける。

「まず楓の話からすると、きみのストーカーはこの事件の犯人、少なくとも関与していると推察できるよね。仮にこのストーカー=犯人を前提とすれば、どうしてそいつは田中くんを殺害したんだろう? 偏執的な情動による凶行だとしても、それが田中くんに向かう理由が分からない。

 次に、犯行時刻について。田中くんはお茶の用意をしていたところを殺害されたってことは、犯人を部屋に招き上げたってことになる。死亡推定時刻が午後十時から十一時半だっけ? まあ遅い時間だよね。そんな時間に訪ねても、不審に思われることなく部屋に上げてもらえるってことは、田中くんと犯人はかなり親しい間柄だったはず。

 最後は、やっぱりその、破られていた写真だね。常識的に考えれば、その写真になにか犯人にとって都合の悪いもの――たとえば犯人が誰か示すような手掛かりが映っていた、とかなんだろうけど、証拠隠滅が目的なら破るんじゃなくて持ち去ればいい。あるいは燃やすとかさ。中途半端だよ」

「ふふっ」

 僕の見解を聞き終えたところで楓が、上機嫌そうに頬を緩めた。

「なにか変なこと言ったかな」

「ううん、そうじゃないの。ただ、大空がまともにお話し出来る程度には馬鹿じゃないみたいで、安心したのよ」

「それは褒められているんだよね?」

 もちろん、と楓は微笑んだ。その表情を前に僕が異論を口に出来るはずもない。むしろお礼を言いたいくらいだ。笑って下さり誠にありがとうございます。

「大空が挙げた点のいくつかは私も同感だし、またいくつかは答えを教えられるわ」

「え、そうなの?」

「ええ。でも続きは、中で話しましょう」

 楓が立ち止り、遅れて僕も足を止めた。目の前にあるのは、閑静な住宅街にあるほんの少し立派な一軒家、楓の自宅だった。話に熱中するあまり、自分がいまどこを歩いているのか気にも留めていなかった。

「中って、楓の家の中?」

「ほかにどこがあるのよ。ほら、どうぞ」

 楓は門扉を開け、僕を招き入れる。

 今日は記念日だ、と心の中で叫ぶ。楓と一緒に下校して、楓の家にお邪魔する日が来るだなんて昨日までなら考えられなかった。楓記念日。

 まるで国境を渡るがごとき感慨を抱いて僕は、黒棘家の敷地へと足を踏み入れた。


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