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1-①

 その時の僕の感情を一言で表現するならば、緊張、だ。

 無理もない。なにせ目の前には、あの黒棘楓の背中があるのだから。これで緊張しなければそれは、自律神経の異常か、はたまたあまりの歓喜に脳が着いていけてないに違いない。

 仲春の涼やかな風に、彼女の長い黒髪がなびいた。ちらと覗くうなじは、まるで一つの芸術品のごとき気品さを備えつつ、また艶めかしい。すらっと伸びた長い四肢。雪のように白く、絹のようにきめ細かい肌。そしてなにより、小さく均整の取れた美しい顔――ん?

「あのさ。さっきから後をつけてるけど、なに? 私になにか用?」

 こちらを振り返った黒棘楓が、眉根を寄せながら僕に言った。彼女と僕の視線がぶつかる。どきん、と胸が高鳴る。美しさというのは、あるレベルを越すと心臓に悪い。

「あ、気付いてたんだ」

「学校を出た瞬間からね。一応、ちょっと様子見してたんだけど、一向に話しかけてくる気配がなかったから」

「すごい。達人だね黒棘さんは。尾行の達人」

「尾行しているのはあなたでしょう」

「じゃあ、尾行される達人」

 実際のところ僕が彼女を尾行し始めたのは、教室を出た瞬間からなので、多少は時間がかかったようだけど。

「それで? 転校生が私になんのご用かしら」

「よかった。僕のこと、覚えてくれてたんだ」

 彼女が、この僕のことを認識してくれている。ほんの僅かでも、記憶の片隅、脳の容量0.0001%でも費やしてくれている。それだけのことで感涙しかねないほどの歓喜が僕を襲った。

「当たり前でしょう。二年に進級したと思えば、一年の頃は校内のどこにもいなかった人間がいきなりクラスメイトになったんですもの。注目……はべつにしなかったけれど、記憶の端に留めるくらい、するわ」

黒棘楓は表情を一切変えないまま――つまり訝しげな目を僕に向けたまま、言う。どうやらいまの発言は彼女の本心からの言葉で、ツンデレ的要素は皆無らしい。

「たしか名前は……骨川大空(ほねかわそら)、だったかしら?」

「うん。気兼ねなく名前で呼んでいいよ。というか呼んで」

 この苗字のせいで僕の小学校時代のあだ名は、御多分に漏れず『スネ夫』だった。苗字以外は全くスネ夫要素はないのに! 嫌だお願いそれだけは止めて、とどれほど懇願してもあだ名の改名申請は通らず、そもそもどこに申請すれば良いのかも分からなかったのだけれど、とにかく僕は『スネ夫』で六年間を過ごした。

 とはいえそれも、最悪ではなかった。これがもし『剛田』だったらどうなっていたか。想像に難くなく、したくもない。

 その時、僕たち二人の間をひゅう、と風が吹いた。歩道の脇に連なる桜並木から薄紅色の花弁が舞う。

 ここ最近だいぶ暖かくなってきたとはいえ、春風は身体の芯を冷やす。万が一、黒棘楓が風邪を引いてしまっては大変だ。

 早急に話を進めるべく、僕は口を開いた。

「それでね、黒棘さん。ちょっと確認したいんだけど――」

「楓」

 矢先、彼女がその単語を割り込ませてきた。

「私のことも、名前で呼んでくれていいわ、大空。私だけが一方的に名前で呼ぶなんて、落ち着かないし」

「そう、かなぁ? 変わってるね黒……楓」

「あなたほどじゃないわ」

 即座に言い返されてしまった。強い、反論を許さない口調で。

「それじゃあ楓」

 ごほん、とせきを挟んだ後、僕は言う。

「九日前の午後十二時頃、どこにいた?」

「それは確認ではなく質問だわ」

 楓は眉一つ動かさず、答えた。すごい、と素直に感心する。

「あ、そっか。ごめんごめん。じゃあ楓は、九日前の午後十二時頃、その日何者かに殺害された田中和人くん――僕たち二人のクラスメイトのアパートにいなかった?」

 楓の眉がぴくりと揺れた。


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