1 クロエ・リベラ
「クロエ・リベラ暗殺会議を開く」
大きな部屋に澄んだ低い声が響く。
長い机の一番端っこに威圧感を醸し出しながら、ロジャス王国の第一王子、ノア・ダクラスが座っている。
縦長の大きな窓から月光が差し込み、ノアのターコイズブルーの瞳が輝く。艶のある色素の薄い金髪をしっかりと一つにまとめている。端正な顔立ちがよく分かる髪型だ。
誰もが息を呑む美しさだ。この美形に各国の姫君が夢中になり、求婚されまくって困っているらしい。
彼の右斜め前には、ノアに幼い頃から仕えている従順な側近のイアン・ミラー。黒い短髪に赤紫色の瞳。王子の背が高いせいで、彼が小さく見られがちだが、平均男性よりもやや高い身長だ。
ノアと違い、吊り目で悪役に見られがちだ。正反対の二人だけど、ノアが最も信頼している従者がイアンだ。
そして、ノアの左斜め前には、縁が丸い眼鏡をかけた小さな男の子がちょこんと座っている。私に全く懐かないませた子供……じゃなくて、第一王子の優秀な補佐、ジャック・グリーン。
苗字と一緒の緑色のクリッとした瞳がレンズ越しに見える。メガネに茶色の癖毛が少しかかっている。毛量が多くて、鬱陶しそうだ。
顔が小さいから眼鏡が大きく見えてしまう。
この三人がクロエ・リベラの暗殺計画を立てている首謀者達だ。
私はギリギリで部屋に滑り込み、なんとか遅刻を免れることが出来た。
…………なんで私は毎日必死にこんな会議に参加してるのだろう。
数日前
「クロエ! 大変だ!」
父が血相を変えて、ノックをせずに私の部屋へと入ってきた。私はベッドの上に寝ころびながら呑気に読書をしている最中で、驚きのあまりだらしない格好のまま固まってしまう。
父は中肉中背で整った顔をしている。優しいが、やや心配性すぎる。いわゆる過保護ってやつだ。
私の顔は気の強い美人な母親譲りだけど、瞳の色や髪の色は父の遺伝子を受け継いだ。……あ、でも少し母親の髪の色も受け継いだかもしれない。私の髪はちょっと特殊な色をしている。
父に似て、少し癖のある髪だが柔らかくサラサラである赤い髪を胸の下の辺りまで伸ばしている。けど、髪の内側だけ母の髪色を受け継いだ。金髪のインナーカラー。
この不思議な現象の理由は未だに不明だ。父は私が社交界に出ることを嫌がり、この屋敷からほとんど出さなかった。
虐待されている? って思うかもしれないが、父は私のことを愛するがあまり、母の反対を押し切って、私を屋敷に閉じ込めたのだ。愛娘が虐められるのを避けたかっただけだ。
染めることも出来たのにな、なんて十八歳になった今、そんなことを考えたりもした。
これをお洒落だと言ってくれる時代に生まれたかった。まぁ、私の家はこの国に四つしかない公爵家の一つだから「バケモノ!」や「気持ち悪!」なんて言葉を直接かけられることはないだろうけど。
それにこの家は王からの信頼が厚い公爵家だ。そう簡単に悪口なんて言えないだろう。
慌てる父を見ながら、私の骨格が母に似て本当に良かったな、とぼんやりと考える。おかげで私はスリムな体型を手に入れることが出来た。
「一大事だ!」
「どうしたんですか? ……もしかして、また巨大トマト作ったとか?」
私は前回父が大騒ぎしていた事件を思い出しながらそう聞いた。魔法が存在するこの世界で父は土の魔法を使うことが出来る。
趣味は野菜を育てる野菜オタクだ。……変な父だけど、ちゃんとこの国を支える宰相だ。ちなみに母は、火の魔法を使う。……私は土の魔法は少しも扱えなかったけど、火の魔法は母よりも上手に扱うことが出来る。
土の魔法も使えたら良かったのにって思ったこともあるけど、魔法の先生が私の魔法能力は天才的だって目を丸くして誉めてくれたから、私も火の魔法だけに力を注いできた。
……正直、私は外の世界を知らないから、先生が褒める為にそう言っただけかもしれないけど。
でも、あの驚き具合は本物のリアクションだと思う。……そう言った次の日から、その先生は私の家に来なくなった。
授業後、先生と父が大きな声で話し合っている声が父の部屋から聞こえてきたけど、何について話しているのかは分からなかった。ただ、先生が辞めさせられたってことだけが分かった。
唯一外部から来た人と繋がる機会だったのに……。
それが十年前の出来事だ。魔法の先生がいなくなってからから、両親にバレないように独学でこっそりと魔法を練習している。
父は「巨大トマトなんかじゃない!」と言って、私と同じ菫色の瞳を見開いて、私の方へと近づいてくる。
「第一王子との婚約だ!」と、父が興奮したまま付け足す。
……コンヤク?
普段慣れ親しんでいない言葉を突然聞く。頭の中が真っ白になる。
「今から王に文句を言いに行く! 娘の噂を知っていて、こんな婚約をしてくるなんて!」
「え、私の噂? なにそれ?」
父はハッとして、口元を手で覆い、やってしまったという表情を浮かべる。
「そ、そんなこと言ったかな?」
笑って誤魔化す父に、私はベッドから起き上がり、父をじっと見つめる。
「もう遅いわよ。白状して」
「今すぐに王宮に行く準備をしないと!」
父は私から目を逸らし、駆け足で私の部屋から去って行った。……本当にあの人がこの国の宰相で大丈夫なのかしら。
こうなったら、私も王宮に一緒に行ってやる! いつまでもこんな窮屈な世界にいたくないし!
私は一番親しい侍女を部屋に呼び、事情を説明した。全て聞き終わった彼女は口をぽかんと開けている。
「ナターシャ? 聞いてる?」
彼女の顔を覗き込む。
「あ! すみません! 驚きのあまり混乱してしまいました。えっと、お嬢様はノア様と婚約されたってことでよろしいのでしょうか?」
「え、う~ん、多分?」
私が第一王子と婚約することがそんなにビッグニュースなのだろうか。公爵令嬢なんだから、王子と婚約なんてよくある話だと思っていた。
「え、えっと……」と、ナターシャは何か言葉に詰まっている。
「第一王子ってどんな人?」
私は助け舟を出す。
ナターシャは私が物心ついた時からずっと一緒にいる侍女だ。彼女の扱い方は誰よりも分かっているつもりだ。
私の質問に、ナターシャは頬を赤くし、ぼんやりとし始めた。
「ノア様ですか? ……もうこの世の人とは思えないぐらいお美しい人です。一目見たら全細胞溶けてしまうってぐらい色気が凄くて、優しくて、まさにキラキラ王子様って人です」
凄いな、ノア。一目で全細胞溶かすなんて、箱舟を作るよりも難しい。
私は昔読んだ本の内容を思い出す。
「本当に眩しくて、同じ人間だと思いたくないです」
「そんなに眩しいなら、常に顔に遮光カーテンしてほしいわよね」
私の呟きに、ナターシャは「へ?」と首を傾げる。
「気にしないで、ただの独り言。……それで、世間ではどんな私の噂が流れてるの?」
「クロエお嬢様の噂ですか? それは酷いものですよ。家から出ることが出来ないぐらい醜いとか、学園に一度も来たことがないから、魔法が使えないんだとか、病気で動くことが出来ないんだとか、顔はカバで体はゴリラとかも言われています。……って! 申し訳ございません!」
ナターシャは物凄い勢いで頭を深く下げる。
「謝らなくて大丈夫よ」
誰に聞いてもきっと答えてくれないだろうから、ナターシャに聞くしかなかった。彼女はよく口を滑らすことが多いから。
けど、顔はカバで体はゴリラって凄いわね。むしろそんな人に会ってみたいぐらいだわ。とんでもないぐらい喧嘩強そうだし。
「で、ですが、お嬢様の気分を害してしまうような発言をしてしまいました」
涙目になっているナターシャを私は少しの間見つめた。
「そうね……。なら一つお願いを聞いて」
「お願い、ですか?」
私の言葉に彼女は少し不安そうな表情を浮かべた。