ブレイクの掟
ギャングのリーダーは笑い転げる美咲を睨みつけた。
「おれはゾンビ・ギャングのキャプテン、Zealだ。ブレイクの時間だ!」
彼がそう宣言するとすぐに、マット代わりに敷かれた段ボールの周りに人が集まり始めた。寂れたストリートはあっという間に、「ブレイク!ブレイク!ブレイク!」と叫ぶ人々で一杯になった。
美咲は涙を拭い、笑顔で顔を上げた。
「笑ってごめんなさい、でもありがとう。私、本当に笑いを必要としていて…」
そこまで言ったところで彼女は、自分とジールに向かって叫ぶ人々に気付いた。
既に段ボールの上に立っているジールは彼女を指差した。
「ゾンビ・ギャングに舐めた態度を取るからには、さぞダンスに自信があるんだろうな?さあ、お前のムーブを見せてくれよ」
人々はブレイクバトルの挑戦者―美咲に向かって声援を送った。
「私…そんなことできません」
戸惑った美咲は深くお辞儀をして立ち去ろうとしたが、老婦人がその前に立ちはだかった。
「お嬢さん。ギャングを追い出すのを手伝ってくれてありがとう…その男に勝つことができれば、あなたは彼らのテリトリーを手に入れることになる。そうしたら、私たちへの嫌がらせもなくなるわ」
「えっ、でも、私は…」
美咲は慌てて否定しようとしたが、老婦人は言葉を続けた。
「わかっていたの。必死に祈れば、誰かがこのタチの悪いギャングどもから、私たちを救ってくれると…」
老婦人は溢れる涙を拭い、美咲の手からバッグを取った。
「ダンスが終わるまで、これは私が持っていてあげるわ…私たちのために立ち上がってくれて、本当にありがとう」
美咲が再びジールの方を見ると、彼はニヤリと笑って手を振っていた。老婦人は、美咲の背中を軽く叩いて言った。
「本物のダンスというものを、あいつらに見せてやってちょうだい」
その言葉が美咲に火をつけた。
(そうよ…本物のダンス。あいつらがやっていることはダンスとは違う。私が本物のダンスを見せれば、この勝負はすぐに終わるはず!)
美咲は一歩前に踏み出した。群衆はそれに反応して歓声を上げた。
「OLさん、あんたならできる!」
「そうだ、あのチンピラどもにダンスを見せてやれ!」
美咲は老婦人の方を振り返り、自信に満ちた笑みを浮かべた。
(そうよ。あいつらがこれまで見たどんなものよりも美しくて優雅なダンスを見せてやるわ!)
美咲は段ボールを踏んでジールを睨みつけた。彼の顔に描かれた二つのZの文字が、街灯の下でキラキラと輝いていた。
人々の歓声が次第に静かになっていき、やがてかすかな囁き声だけが残った。
「おれが勝ったら、お前の有り金全てをよこせ。銀行口座の金もATMでおろしてこい。そして、おれたちのパシリになり、毎朝おれたちに食い物とコーヒーを買ってこい」
ジールは美咲に向かって笑いながら言った。
「いいでしょう。でも、私が勝ったら、住民の皆さんへの嫌がらせをやめて、このストリートから消えてちょうだい!」
その言葉を聞いた群衆は歓声を上げた。
「いいだろう。だが、おれが負けることはあり得ない!」
ジールが野太い声で吠えると、群衆は再び静かになった。
彼がパチンと指を鳴らすと、ゾンビ・ギャングの一人が大きなステレオで音楽を流し始めた。 重く、速いビートが彼らのいる空間を満たした。ジールはマット代わりの段ボールの外に出て言った。
「先に踊れ」
美咲は靴を脱ぐと、ジールを睨みつけた。
「私に挑んだことを後悔させてあげるわ!」
彼女はそう言うと目を閉じて、ビートに耳を傾け始めた。
(68?違う、78。こんなに速くて重いビートに合わせて踊るの?でも大丈夫。やってみせるわ)
美咲は、左足を後ろに引いて体を反らし、右足のつま先でバランスを取りながら両手を後ろに伸ばして、力強さと柔軟性を見せつけるようなポーズを取った。
ジールは一歩後ずさりして呟いた。
「そんな…あり得ない!」
「この音楽でも踊ってみせるわ!見よ!スワン・ダンス!白鳥の湖!!!」
美咲は戦いの雄叫びを上げた。
彼女はラフなビートに合わせて踊り、高い技術を必要とする様々な動きを披露していった。
(ああ、最後に人前で踊ってからどれくらい経っただろう?風が私の肌を撫で、白鳥の湖の甘い香りを運んでくる。私には見えるわ!これは私の、今までで最高のパフォーマンスだわ)
彼女はダンスに没頭し、周りが一切見えなくなった。そして、始まりと同じポーズでダンスを終えた。月の光に照らされた彼女は、この世のものとは思えないような空気をまとっていた。
彼女は目を開けるとにっこりと笑った。しかし、その目に映ったのは、ショックを受けた様子で立ち尽くしているゾンビ・ギャングの一団だけだった。
「えっ? 皆、どこに行ったの?」
その時、背後でバッグが地面に落ちる音が聞こえた。振り返ると、老婦人が顔をしかめて美咲をじっと見ていた。
「あ…あの…」
美咲が何か言う前に、老婦人は地面に唾を吐いて立ち去った。
ジールは咳払いをし、頭を掻きながら言った。
「うーん…手間を取らせて悪かったな」
そしてゾンビ・ギャングの全員が美咲に背を向け、小声で会話しながら歩き始めた。
「あ、あれは何だったんだ?」
「知らねーけど、よく人前であんなことができるな」
「ああ。ダンスの間ずっとパンツが見えてたぜ。いったいどんな変態なんだ?」
「ステレオはどうしますか?」
ギャングの一人がジールに尋ねた。
「放っておけ。とにかくここから離れようぜ」
ジールは答えた。
美咲は恥ずかしさで顔を真っ赤にして、地面に落ちた自分のバッグをつかむと、ジールの元へ走っていき、目に涙を溜めて彼のTシャツをつかんだ。
「どこに行くの?!ダンスバトルするんじゃなかったの?」
美咲は叫んだ。
ジールは気まずそうに頬を掻きながら、あさっての方向を向いて答えた。
「うーん…いや…気にすんな。おれたち知らなかったんだ…あんたに…そういう趣味があるって」
「えっ?」
「わかるだろ。人前で…下着を…露出するというか」
ジールは言った。美咲の顔は再び赤く染まった。
「まあ、性癖は人それぞれだが、何と言うか…ブレイクをそういうもので汚したくは…」
美咲は、ジールが話し終わる前に、彼の頬を強く叩いた。
「よくも私のダンスを侮辱したわね!」
「このアマ…神聖なブレイクの勝負で暴力を振るいやがったな?」
ジールはサングラスを直すと、指の関節を鳴らした。
「ブレイクを汚す者は報いを受ける…」
ジールは美咲のバッグをつかんで強く引っ張った。彼女が痛みで小さな悲鳴を上げたとき、大きな声が響いた。
「その女性に何をするつもりだ?」
美咲が声のした方を振り向くと、そこには、自転車にまたがってギャングたちを睨みつける丸山がいた。
「何だてめえは?引っ込んでなウスノロ。この女はブレイクの勝負を暴力で汚した。この街の誰もが知っている掟を破った」
ジールは丸山に向かって唸るように言った。丸山は溜め息をつくと、自転車を停め、ギャングたちへ向かって歩いてきた。
「その女性は私の部下だ。彼女から離れてもらおうか」
「てめえも知ってるだろ。ブレイクにおいて暴力は許されない。おれを止めるなら、方法は一つしかないぜ」
ジールは美咲のバッグから手を離すと、肩をポキポキと鳴らしながら、丸山に向かってニヤッと笑った。
「ブレイク…」
丸山はそう呟くと、ジールのサングラスの奥深くを睨みつけた。
「いいだろう。ブレイクで勝負だ」