丸山という男
課長と呼ばれたその男性―「丸山」は、会社の歴史上最年少で管理職になった人物だった。知的で勤勉で、その上ハンサムだった。しかし上司としては人使いが荒く、部下に非合理な量の仕事を押し付けていた。完璧主義者であり、もし彼が毎日、結んだネクタイの長さが基準をクリアしているか定規で測っているとしても、誰も驚かないだろう。
美咲はぎこちなく微笑んだ。
「小野さん、レポートはできましたか?」
丸山は表情を変えずに言った。美咲はバッグに入れたファイルフォルダを見た。中の書類はきちんと付箋で分類されていた。
「あっ、はい、今ここにあります、ちょうど提出するところだったんです!」
彼女はフォルダの中からレポートを取り出し、丸山に差し出した。
「追加の仕事をいくつか小野さんのデスクに置いておきました。本日の就業時間までに、私のデスクに提出してください」
彼はそう言うと、美咲の横を通り過ぎ、廊下を歩いていった。美咲は遠ざかっていく後ろ姿を見てあきれた表情をした。
(何ていう堅物野郎なのかしら。あいつに趣味とか楽しみってあるの?畳の目を数えるとか?)
美咲は首を横に振った。
(いくらちょっとイケメンだからって、あんな厳しい奴と上手くやっていくなんて無理だわ。冗談じゃない)
美咲が自分の席へ到着すると、そこでは、山のように積み重なった書類が彼女を待っていた。
(今日中にこれを全部終わらせるなんて無理に決まってるじゃない!あいつ何様のつもりなの?私のこといったい何だと思ってるのかしら!)
美咲は目の前にある仕事の山に向かって顔をしかめながら、頭の中で丸山に文句を言った。そして深い溜め息をつき、席について書類をめくり始めた。
(とにかく急いでやろう。そうしないと…)
彼女の心の声は、デスクの上の電話の音で中断された。
(どうしていつも、私が仕事しようとすると、誰かが電話してくるの?不良がダンスの真似をするのを見たり、廊下で課長にぶつかったり、今日は朝からさんざんな日だわ)
彼女は受話器をつかみ、息を長く吐いて心を落ち着かせてから電話に出た。
「はい、アンクル・ブレイク保険です。どのようなご用件で…」
「丸山です。小野さん、私のオフィスに来てください」
ガチャッ
美咲の血圧は急上昇した。彼女は受話器をきしむほど強く握った。
(今あいつ、言うだけ言って電話切ったよね?部下はどう扱ってもいいと思ってるわけ?
彼女は受話器を叩きつけようとしたが、寸前で思いとどまり、そっとそれを置いた。
彼女は立って、丸山がいる、管理職用の執務室に向かった。その体から怒りが湧きだしているのを感じた同僚たちは、一人、また一人と道を開け始めた。
「あっ、小野さん!どうし…」
同僚の一人、長野が美咲に話しかけようとしたが、丸山への苛立ちで頭がいっぱいの彼女にはその声が聞こえなかった。
「小野さん、何かあっ…」
別の同僚、相模が長野の肩に手を置いて言った。
「彼女はやるつもりだ。ついに、あの課長に全部ぶちまけるんだ」
「本当?」
長野は感動の涙を堪えきれなかった。
「ついにあのモンスターに言うつもりなのね」
美咲は、同僚たちが彼女を見つめる中を、闘気を放ちながら歩いて行った。囁き声のようなかすかな声が、同僚たちの間から聞こえ始め、それは次第に大きくなっていった。
「小野! 小野! 小野! 小野!」
フロア全体が彼女を応援し始めた。
「小野さん、がんばれ!あなたならできる!」
美咲は自分の中の力が増しているように感じた。 彼女は丸山の部屋の前にたどり着き、ドアノブをつかんだ。その手は高まる緊張でかすかに震えていた。彼女が中に入ろうと心を決める前に、ドアの向こう側から声が聞こえた。
「小野さん、早く入ってください」
美咲はすぐに中に入り、ドアを閉めた。
「はい、丸山課長。どのようなご用件でしょうか?」