ダンスバトルの街
Tokyo Break (トウキョウ・ブレイク)
東京のストリートでは、東日本を支配する「神龍」組と、西日本を支配する「鬼瓦」組、二組のヤクザが数年に渡り、裏社会の覇権をめぐって戦いを繰り広げていた。彼らの前に立ちはだかる者は誰であろうと消されていき、状況は混乱を極めた。
長い戦いによって疲弊した両者は、事態を収拾するために平和条約を締結した。しかしその後も小競り合いが頻繁に起こり、業を煮やした彼らは、暴力に代わって諍いを解決する方法を提案した。
それは「ブレイク」。両者の同意により、五つのルールに基づいて行われるブレイクダンスの試合。
一 勝敗を決めるのは、その場に居合わせた人々である。最も大きい歓声を得た者が勝利する。
二 挑戦者は、先攻・後攻を決めることができる。
三 暴力は許されない。
四 ダンサーはいつでも試合を辞退することができるが、その時点で負けとなる。
五 「ブレイク」の精神を裏切った者や軽んじた者は、神龍組と鬼瓦組、両者の間の誓約を無視したと見なされ、追われる身となる。
そしてストリートでは、音楽とダンスが、暴力と殺人に取って代わった。 しかし、三年間の比較的平和な日々の後、鬼瓦組の新しいトップが、神龍組のシマを奪うことを目論んでいるという噂が広がり始めた。これは、この先起きる数々のバトルの序章に過ぎなかった―
一日目
ある夏の暑い日。太陽が照りつける中を、一人の若い女性が、片手にビジネスバッグを持ち、もう片方の手で日傘を差した姿で歩いていた。肩にかかる長さのカールした黒髪が、汗でその唇にまとわりついていた。彼女の名前は小野美咲といった。
混雑したストリートを歩いて会社へ向かっている彼女は、平凡なビジネススーツを着ていたが、耳にはせめてものお洒落として小さな白いイヤリングを付けていた。湿気で苦しくなった彼女は深呼吸をし、ハンカチで額の汗を拭った。
(うちの会社の古臭い服装規定を考えた人は、絶対にファッションセンスゼロだわ)
美咲は、目の前に小さな人だかりができていることに気付いた。
(また「ブレイク」なの?あれがダンスだとでもいうの?ダンスはもっと誇り高くて洗練されたものよ。あんな不良のお遊びとは違う)
ダンサーに声援を送る群衆のそばを足早に通り過ぎながら、彼女は思った。
(私は小さい頃からダンスが大好きだった。クラシックからモダンまで、色々なダンスを学んだ。私は「本物の」ダンスが何よりも好き。だから、ダンスが皆の生活の一部になっているこの街に引っ越したら楽しいだろうなと思った。でも今は、有名なダンス学院での仕事を見つけて、早くこの街から出たい)
美咲は、ヘッドスピンをしている若い男をちらりと見た。
(あれはいったい何なのかしら。バカバカしい)
そして再び前を向いて歩き始め、やがていつもの場所にたどり着いた。「アンクル・ブレイク保険」と壁に記された、大きなビルに。
(仕事を始める時間だわ)
ドアが開き、ビルの中から涼しい風が吹いてきて、彼女の気分はほんの少し回復したが、仕事のことを考えるとまた気が重くなった。
(ダンスを愛する人間にとって、こんな所で働くのは呪いのようなものだわ。私、前世で何かしたのかしら…)
そう考えながら社内を歩き始めた彼女は、廊下の角を曲がったところで、何者かとぶつかって尻餅をついた。
見上げると、背の高い男性が厳しい表情で彼女を見下ろしていた。短く切りそろえられた髪、細いフレームの眼鏡。そして、洒落っ気のない平凡なスーツを折り目正しく着こなしていた。
「いつまでそこに座っているつもりですか?小野さん」
美咲は飛び上がって直立不動の姿勢を取った。
「すみません、もっと前方に注意を払うべきでした!遅れて申し訳ありません、課長!」