屋上の嵐
昨夜書いたラブレターを、封筒から出して読む。
きのう一晩中かけて、推敲に推敲を重ねた。
なぜ封をして学校に持って来なかったかといえば、深夜のテンションで書かれたものを渡していいか、昼間に確認したかったからだ。
気持ちは伝えたい。だけど恥はかきたくない。
ここは早朝の教室。まだ、だれも来ないだろう。
もう一度最初から読む。
このままでいいんだろうか。いや…、やっぱりもっとオブラートにつつんだ方がいいか。
いや、気持ちが伝わらないことには意味がない。
だけどやっぱり…。
うん。やめよう。
これは出さずに、またいつかの機会に告白しよう。
そう思った時、背後から手が伸びてきて、自分が読んでいた便箋がひったくられた。
振り向くと、中学時代の先輩の五十嵐が立っていた。
「ちょっと、先輩!」
五十嵐はにやにや笑っている。
「おまえ、俺に内緒で、教室で一人でなにやってんだ」
「返して下さい!」
「やなこった!」
五十嵐は僕が書いた手紙をひらひらさせながら、教室の外に走り出た。
最悪だ。最悪な人に見つかってしまった。
「待ってください! 待って…」
校舎のまっすぐな廊下を、先輩がぐんぐん走っていく。僕は必死に追いかけるしかない。
向こうから男子が一人歩いてくる。
「どーん!」
先輩が彼を突き飛ばしてさらに走る。
「だ、大丈夫?」
僕は男子を助け起こした後、先輩を追いかける。
誰もいない学食を通り、オーバーブリッジを抜け、階段を駆け上がる。
この人にだけは読まれてはいけない。この人にだけは…。
しかし、サッカーで鍛えた先輩の脚に、僕はついていくのがやっとだ。
それでもあきらめるわけにはいかない。
ついに、先輩を誰もいない屋上のすみに追い詰めた。
いや、おびき出されたのか?
「先輩、返して下さい。お願いだから…」
「いいぞ。ただし、俺が読んでからな」
「やめて!」
先輩は屋上の柵によりかかって、おもむろに便箋に目を落とした。
「『初めてお会いした時から、わたしはあなたに憧れていました。その笑顔、あなたが部屋にいるだけで誰でも明るい気分になれる…』」
「やめて下さい!」
屈辱のあまりくらくらした。
「『それにあなたの美貌、この姿を見ているだけで、なんだか自分までも美少年になったような、自分もあなたとつりあいのとれる姿になった気がしました』…なにこれ、ウケるーっ!」
先輩にとびかかろうとしたが、ひらりとかわされた。先輩はニヤニヤ笑いを止めない。
「『だけど僕はもう、あなたを見ているだけでは我慢ができなくなりました。あなたを、自分のものに、自分だけのものにしたくなったのです。無謀な挑戦だとわかっています。だけど、僕はもう、このままではいられない。だから、あえて書きます。好きです、つきあってください!』」
先輩は変に抑揚をつけて読んだが、最後だけは大声を出した。
「やめろ!」
「『五十嵐百合子様…』え?」
先輩がまつげの長い、大きな眼を見開いて、便箋の一番下を穴が空くほど見つめている。
そんなに自分の名前が珍しいのか。
「タ、タケシ…、これは…」
先輩が小柄な体をガタガタ揺らしながら、こっちを見た。もともと透き通るような白い肌を真っ青にしている。
僕はつかつかと先輩に近づいた。先輩は、体を縮めながら目をつぶっている。殴られると思っているのか。
僕は便箋を乱暴にひったくると、びりびりに破いて屋上から下に投げ捨てた。誰か拾って読むかもしれないが、もうどうでもいい。
僕はくるりと踵を返すと、先輩を残して歩き出した。早く一人になりたかった。早くどこかに隠れたかった。
ドン!
という衝撃を背中に感じた。腹に何か巻き付いている。下を見ると、さっき自分の手紙を奪った、真っ白な、爪までも小さい手が、ぎゅっと自分の腹の上で重ねられている。女子の体の柔らかい感触を背中に感じて、全身が硬直した。思わず叫んだ。
「離せ!」
「タ、タケシ…。好きだ。出会った時から、おまえが好きだ! だから…、俺とつきあってくれ!」
「同情されても惨めなだけです」
「そんなんじゃない!」
「離してください」
「返事をもらえるまで離さない!」
「わかりました。返事をしますから、正面を向かせてください」
僕はそっと先輩の両手を外してそちらに向き直った。
「こんな僕でも良かったら、つきあってください。ただし、お願いがあります」
「何でもするぞ!」
「『俺』はやめてください。先輩のような美少女が言うと、ものすごく違和感があります」
先輩は、さっきまでの真っ青な顔を真っ赤に染めて、ちょっと顔をななめにしてうつむいた。
真っ赤な顔と、大きな眼、さっき学校中を走り回っていた時にぴょこぴょこ動いていたポニーテール。
しっぽが黒くて顔が赤い出目金そのものだ。かわいいけど。
「タケシ君。ずっと好きでした。こんなあたしで良かったら、つきあってください」
「…やっぱりキモチ悪いからもとのままでいいです」
「うぬっ!」
鼻をかわいいげんこつで殴られた。
おしまい