歓喜に震える女
クオン様の侍従らしき人が、温かな紅茶を淹れてくれた。
「父上は余計なことをしてくれたものだな」
「はい、そうですね」
「そういう遠慮ない物言いは変わらないな」
クオン様は紅茶のカップに口をつけ、ふっと笑った。
いつもは厳しい顔をしているけれど、こんな風に笑った顔は21歳の普通の青年に見える。
まぁ、とんでもない美形だから普通ではないけれど。
正妃様によく似たご尊顔は、絵本に出てくる王子様のようだ。
薄青色の髪を乱雑に掻き上げたクオン様は、はぁっと息をつく。
「年始の祝宴以来か」
「そうですね」
たびたび顔を合わせることはあるが、聖女はいつもヴェールで顔を隠しているので、こうして向かい合って顔を突き合わすのは初めてかも。
あれ、なんで私のことすぐにわかったんだろう。
疑問に思っていると、クオン様は意地の悪い笑みを浮かべた。
「祝宴の後、ヴェールを脱いで休んでいただろう。あのとき顔を見た」
「はっ!!」
そうだった。
あの夜、素顔を見られて慌てていたら「顔と性格が随分異なるな」って言われたんだった。
黙っていたら気弱そうに見えるとよく言われるから……。
タレ目がちなのは私のせいじゃない。
俯いていると、クオン様は淡々と続けた。
「互いに顔を合わせて話してみた結果、性格が合わないということで破談にしようか」
出会って三分で破談と言う言葉を出すクオン様。
その決断の速さが私は嫌いじゃない。
「ご配慮くださりありがとうございます」
「破談に感謝されたのは初めてだ」
クオン様と結婚したい女性はたくさんいる。
この美貌に第二王子という身分、性格はあまり知らないけれど、合理的な考え方で優秀な人だと聞く。
私だって彼が庶民ならぜひ、と思うかもしれない。
しばらく無言でお茶を飲んでいると、クオン様はじっと私を見つめてきた。
何か不思議そうな、めずらしいものを見るような目で……。
「何か?」
「いや。何も話さないんだなと思って」
あぁ、普通の女性ならクオン様に気に入られたくて色々話しかけるだろうな。
でも破談にするのに会話しても、って思うのはちょっとドライ過ぎたか。
さすがにクオン様に気を遣わせるのは申し訳なくなってきて、差しさわりのなさそうな話題を選ぶ。
「本日はわたくしのために、お時間を?訓練はよいのでしょうか」
クオン様は王子だけれど騎士団に所属している。
今から訓練に行ってもらってもいいんですが、と暗に言ってみると彼は驚いた顔になった。
「あいにく今日は休息日だ。もともとな」
「そこに陛下がわたくしとの時間をねじ込んだというわけですね。これは申し訳ないことをいたしました」
ではこれで、とばかりに席を立とうとすると、クオン様の侍従に椅子の背をガッと抑えられる。
椅子を引いて立ち上がりたい私。帰らせたくない侍従。
渾身の力を込めて椅子を引くも、彼の腕力で止められて動かない!
「お二人の~、ご親睦を~、深めてくださいませぇぇぇぇ」
「ぐぬぬぬぬぬ」
何この人、目がヤバイ。
そんなにクオン様と私をくっつけたいわけ!?
互いに笑みを浮かべているけれど、彼の手はぷるぷるしているし私も口元が引き攣っている。
そんな私たちを見てクオン様が苦笑した。
「本当に私に興味がないんだな。ありがたいが複雑だよ」
「そうですか?興味を持たれても困るのでしょう?」
「あぁ、そうだ」
どういうわけか知らないけれど、クオン様は未だ婚約者もおらず浮いた話もない。
ははーん、さては男色ですね。
騎士団に恋人がいるんですね。
わかりましたよ、私は何も聞きません。
クオン様を見つめてうんうんと頷く私。でも彼はじとっとした目で「違うからな」とだけ言った。
「ところで」
「はい?」
とりあえず席を立つことをやめた私に、クオン様は尋ねる。
「まったく菓子に手をつけていないが、気に入らなかったか?」
「あ」
せっかく用意してくれたんだ。
手を付けないのは失礼だ。
私はテーブルの上を見回して、一番甘くなさそうなキッシュを選ぶ。
これならアーモンドやナッツの味が強くて、クリームは少ないだろう。
「お言葉に甘えていただきます」
もぐもぐ……と食べ始めて私はさっそく後悔した。
予想を超える甘さだったのだ。
うっ、と目元が引き攣ったけれど一生懸命に噛んで飲み込む。
あぁ、私が食べるよりも世話役の皆に食べさせてあげたい。
なんとか紅茶を飲み干すと、私をずっと見ていたクオン様が近くにいた侍女に何か指示を出した。
その人はスッと下がっていき、他の侍女にも指示を出している。
「……?」
きょとんとしていると、クオン様が表情を緩めて言った。
「無理せずともよい。これらはすべて教会に持ち帰れる状態にまとめてくれと伝えた。皆で食べればいい」
「っ!?」
何この人ー!!すごい優しいんですけれど!?
思わずきゅんと来てしまい、胸の前で両手を組み合わせる。
それは恋する乙女の感情ではなく、崇拝する神に祈るような気分だった。
「ありがとうございますっ!あなた様のご武運とご多幸をお祈りさせていただきます!!」
「そんなにか!?」
教会は禁欲、禁酒、禁遊び、禁化粧……なんせ禁止されているものが多い。
でも王子様からの差し入れならば、お断りできずにすんなりいただける。
私が事情を説明すると、クオン様は「そうか」と何やら思案し始めた。
テーブルに肘を付き、口元を手で押さえる姿は、お行儀はよくないけれどカッコイイ。
あまりしゃべったことはなかったけれど、この数十分ですでにクオン様はいい人だとわかるし、これではご令嬢方が放っておかないだろうなと思った。
一人で納得していると、何やらクオン様は思いついたようで突然に席を立つ。
もう茶会は終了だろうか。
王城のバラ園でも散歩して帰ろうかな、なんて思ったその瞬間。
クオン様が私の隣に来て、突然に手を取った。
「もう帰れる、と思ったのか?」
「はい」
「そこは否定するところだろう。まったくサラは正直すぎる」
彼は自分の左腕に私の手を乗せると、エスコートするように歩き始める。
動揺しつつも私は歩くしかなくて、クオン様に連れられて部屋を出た。
「クオン様、どちらへ?」
侍従と護衛もついてこない。一体どこへ行こうというのか。
「外へ出ることはあまりないのだろう?裏手にある丘なら自由に行き来できる。気晴らしにどうだ」
思わぬお誘いに、私はパァッと顔を輝かせて言った。
「行きたいっ!行きたいです!!」
願わくばひとりで駆けまわりたいけれど、贅沢は言っていられない。
いつもはおでかけできても、世話役のお姉さん方や聖騎士らにがっちり囲まれて窮屈だから。
ドレスの裾の中で、できる限りの速さで足を回転させて急ぐ私に、クオン様は笑った。
「そんなに急ぐと転ぶぞ。まだ夕暮れまでには時間があるから、急がずともよい」
「待ちきれません……!」
走っていきたい。猛烈に。
「菓子より外に出たいとは、ミュゼと同じだな」
ミュゼというのはクオン様の妹王女で5歳である。
5歳児と同じと言われて少し情けなくなったけれど、私は軟禁生活で外出に飢えているのだ。
ちらりと見上げると、今日会ったばかりのときの不機嫌そうな顔はどこかへ行ってしまった、穏やかな笑みを浮かべたクオン様の顔があった。
「まぁ、私も似たようなものだ。一人になりたいときは丘へ行く」
「あ、ではわたくしは到着したら別行動でかまいませんので」
気を遣ってそういうと、クオン様はじとっとした目で私を見た。
なぜだ。
「……サラ」
「はい」
「そんな性格で結婚できるのか」
失礼な。
その言葉をそっくりそのままお返ししたい。
拗ねてぷいっと顔を逸らすと、またクオン様が笑った声が聞こえた。